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君の手のひらで踊りたい。  作者: 田邑綾馬
第Ⅰ章 起

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第五話 cold case

 星野光子さん宅から自宅に直帰すると、時刻は18時を過ぎていた。リビングでは、酔っ払った父親がだらしなくソファに寝そべりながらテレビを見て笑っている。あと数年で還暦を迎える父だが、警察官という職業のためか引き締まった身体を持っており、肌艶も良く若々しい。家の中ではだらしないが。

 父の「おお、樹、おかえり」と笑いの混じった声に「ただいま」とだけ返して、手洗いうがいを済ませる。

 帰ったらまず「ただいま」を言うのよ、そしたら手洗いうがいをしてね。母にはしつこいほど言われて育った。特別しつけに厳しいというわけではなかったが、当たり前の礼儀作法はきちんと教えてくれたし、友達や周囲の人達を大切にしなさいと日頃から説くような人だった。そんな母も、5年前に事故で亡くなった。俺は一人っ子なので、必然的に今は父との2人暮らしだ。


 リビング横のキッチンテーブルの上には豚肉ときのこの炒め物、コンロの鍋にはおたまが突っ込まれたままの味噌汁がある。どちらも父親がこしらえたものだ。味付けは市販のタレだし、野菜は少ないし、彩りなんて無視だし、味噌汁の味は毎回違うが、作ってもらえるだけで有り難いので文句など言わない。何だかんだ美味いし。

 コンロに火を付け、レンジで肉を温めて、炊飯器から米をよそう。ちょうど俺一人分の米が残っていた。

 空になった炊飯釜に水を注いでいると、父から声がかかった。


「どうだ、仕事は順調か」


 取って付けたような台詞に、俺は素直に答える。


「まあまあかな。応援してくれるお客さんもいるけど、応援だけじゃなくて、うちの会社のファンになってもらいたいからもっと頑張らないと」

「おうおう。頑張れよ」


 適当すぎる。聞くだけ聞いて、こちらがなんと返事しようがどうでもいいのだろう。子供の頃はこの適当すぎる会話のキャッチボールが嫌いだったが、大人になった今は妙に心地いい。


 テレビから流れてくるニュースに、それまで寝転んでいた父は身体を起こした。地方都市で起こった殺人事件の犯人が逮捕されたという内容だったからだろう。ここからでは後ろ姿しか見えないが、先ほどまでとは違い、居住まいを正したその背は凛としている。

 殺人事件と聞いて、星野さんの顔がふいに思い浮かんだ。彼女の場合は殺人ではなく、無理心中だったが、愛する家族が消えてしまう悲しみや悔しさは似たようなものだろう。それに星野さんは無理心中に納得していない様子だった。もし本当に無理心中でないとするなら、それは――。

 ニュースが別の話題に切り替わるのを見計らって、父に話しかけた。


「ねえ、かなり前に起った殺人事件が解決するケースってある?」

「ほぼないな。どれくらい前だ」

「60年前くらい」

「それはまあ、無理だろうな」


 くるりと振り返った父は、眉を寄せて気まずそうに苦笑している。警察官として、事件解決が無理などと本来なら言いたくないのだろうが、相手が息子だから、正直に話してくれているのだ。

 続けて、「どんな事件だ」と聞かれたので、正直に星野さんの話をした。するとどうしたことか、無理心中事件に心当たりがあったのか、父の顔色が変わった。困惑と動揺が伝わってくる。目も泳いでいる。


「事件を知っているの!?」


 一般人の俺に事件概要など話せるわけはないのに、瞬間的に口から言葉が飛び出た。数秒悩んだのち、父は「こういうことを家族に話すのはタブーだけどな」と前置きをして、概要を教えてくれた。


「真相を知っているというわけじゃないが、おそらく無理心中じゃない。殺人だ。おおよその犯行動機や犯人像も見当が付いている。ただ、これは警察側の憶測が大いに含まれているし、被害者遺族に伝えられる内容じゃない」

「ど、どういうこと?」

「父親と姉が亡くなった後、お前が今日会った光子さんは親戚に引き取られて苗字が星野に変わったが、旧姓は橋本だ。彼女の父親である橋本森二はしもともりじは、旧華族の出自。戦前から建設業などで財を成して、政財界にも影響力持つ権力者だったんだよ。・・・それで、まあ、なんだ、その、」

「なんだよ、はっきり言ってよ。誰にも言わないし、言えないから」


 あまりにも歯切れが悪いので、死人が出た事件なのに不謹慎極まりないが、その様に笑いそうになる。

 話の流れから察するに、星野さんの父親が何かしらの事件や企てを起こした、あるいは知ってしまったがために娘ともども殺された、ということだろうか。


「星野は裏で人を雇って情報の売り買いをしていたという噂があったらしい」

「情報の売り買い?」

「誰と誰が手を組んでいるか、何を始めようとしているか。国の機密事項とか、そういう類の情報を、雇った工作員に調べさせていたっていう説があったり・・・無かったり」

「無い説もあるんかい!」

「そりゃそうだろう!もはや都市伝説みたいなものなんだ、俺も先輩から話を聞いただけ。ただ、根も葉もないデタラメ話ではないだろう。橋本は敵も多かったろうし、報復か仲間割れか、追い詰められて娘を連れての心中か。犯人候補として挙がっていたのは、事件後に姿を消した住み込みの書生。だが、今はもう全てが闇の中だ」


「そうか、妹さんは存命なのか。お前の客になるなんて、縁だな」と、ぶつぶつ呟いて、コップ半分ほど残っていた晩酌の焼酎を一気にあおった。

 父が星野さん家族のことを知っていて驚いたが、事件内容にはもっと驚かされた。そんな事情が隠されていたとは想像もしていなかったから。確かに、何も知らない身内に、それもまだ幼かった星野さんに伝えられる内容じゃないな。


(あれ、でも、じゃあ――)


 星野さんのお姉さんは、知っていたのか。父親がしていたことを、その実態を。だから、父親と一緒に殺された、あるいは心中に至った。なら、お姉さんの恋人の佐藤未来さんはどうだったのか。お姉さんの死後、四十九日も待たずに消えて、身分の一切を偽っていた彼は真実を知っていたのだろうか。


『彼は恋人ではなくお友達だよって、私達にいつも言っていた――』

『過去現在もそんな名前の学生は在籍していませんって、言われたわ――』

『誰と誰が手を組んで何をしようとしているか、何を始めようとしているか、国の重要機密とか、そういう情報を、雇った工作員に調べさせて――』


 星野さんと父の台詞が、頭の中で共鳴する。

 佐藤未来は、お姉さんの恋人ではなく父親が雇っていた工作員で、お姉さんに会いに来ているように装って、入手した情報を橋本森二に伝達していた。そして、雇い主のいなくなった橋本家へ訪れる理由もなくなったため、あっさり姿を消した。


 これは全て、俺の憶測だ。妄想だ。この幼い推理を父に投げかける勇気はとてもじゃないがないので、大人しく頭の中だけに留めることにした。

 酒は好きだが弱く、口が軽くなってしまう父は、警察官と言う職業柄もあって外で飲酒をしない。代わりに家ではこうして酒に酔い、口を滑らせてしまう。だから、警察官の家族は当人以上に口が堅くなければいけないと子供の頃から自覚している。(自覚はしているが、親友の朝市には喋ってしまいそうだ。)


「・・・でも、まあ、個人的には、橋本のしていたことを完全に否定は出来ないなぁ。売り買いしていた情報は、あくまでも自国を守るため、国家を裏切る人間や私腹を肥やす奴らの企みを潰すためだったと聞いている。もちろん、この説も信じるに値するか分からん。分かっているのは、もう、何もかもが証明不可能ってことだけだ。その星野知子さんは気の毒だが」


 酔った父から語られたこの話には信ぴょう性や真実性がまるでない。噂が、60年という年月と好奇心を餌に、立派な尾ひれをつけて人間の海を渡り、たまたま俺のところまでたどり着いた。ただ、それだけのこと。

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