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君の手のひらで踊りたい。  作者: 田邑綾馬
第Ⅲ章 転

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第三十一話 どちらを選んでも、地獄

「バレました。海外に住まうの神にも、朝市さん達にも。・・・すみません」

「いや、しょうがないよ。どの道知られたと思うから、気にしないで」

「すみません」


 重ねて謝罪する飛鳥を、佐藤は責めないどころか慰めた。佐藤の表情はいつも通り落ち着いていたが、やはりどこか憂いを漂わせている。


「ケトさんは、会ったことありますか。モシュネとカオス」

「ああ、あるよ、有名所だからね。仲が良いわけじゃないけど」


 塩田家の女性陣が外出している時は、佐藤・飛鳥・ケトの小さい神会議が開催される。今も、リビングにて紅茶を飲みながら、神のみぞ知る話をする。

 飛鳥からの問いに答えるため、大あくびをしながら、もふもふの黒い身体を畳にこすり付けるようにして伸びをし、ケトは起き上がった。子猫・黒鉄はすぐそばでへそ天爆睡中だ。


「彼らとは住んでいた地域が近かったからね。カオスもモシュネも自由な神だが、それなりに話の通じる部類だよ。それと、カオスは原初神だ、敵に回さない方がいい」

「やっぱり、そうなんですね。はあ」


 はあ、と大きいため息を吐く飛鳥は、これから訪れるであろうトラブルを想像して憂鬱になっているようだ。

 お茶請けのチーズクッキーの粗熱が冷めた頃合いだったので、佐藤は離席してキッチンへ向かう。飛鳥とテトの会話を背に聞きながら、クローバーの絵付けがされた器にクッキーを丁寧に並べていく。


「モシュネはその能力故か、なんにでも首も口も突っ込みたがる質でね、しつこいよ、彼は。全容が分かるまで引かないだろう。小野兄妹も面倒な奴らを連れてきてしまったものだ」

「昴さんが最初に出会ったのはリオネルという神らしいですが」

「リオネル?なんの神?」

「愛だそうですよ」

「あい?ラブ?じゃあエロースかな。へえ、今は男の身体を使ってるのか。僕が最後に見かけた時は修道女だったんだ」

「今は牧師だそうで。カオスやモシュネの破天荒ぶりに気が気じゃない様子でしたね。苦労しているんでしょう」

「昔っから面倒見のいい常識神だったからね、彼女は。――で、小野兄妹らはどうしてる?彼らにこれ以上の調査は不可能なんじゃない?憩さんについてはもう何の情報も取れないでしょ」

「もしかしたら、星野さんや小郡さんに話を聞きに行くかもしれません。彼らは彼らで、親友のこれまでの人生を知りたいと思っているでしょうから」

「知り尽くすのは不可能だろう。追えてせいぜい星野家まで。僕ら神だって全ての把握は無理。だって、500年近く生きているんだから」


「僕はよく知らないけど」と、付け加える。ケトが日本にやって来たのは400年ほど前だ、憩の存在と憩の身に起こったあれこれを把握しているはずもない。テトもまた知らない組なのだ。


 宝石のように美しい緑色の瞳を、皿を持ってこちらに戻る佐藤に向ける。佐藤の表情は変わらない。無表情に近い微笑。その微笑を崩したくなって、ケトは意地悪い質問を重ねる。


「佐藤くん、確認なんだけどいい?」

「はい、どうぞ」

「君は500年前、・・・ああ、なんと言ったらいいんだろうね、まあいいや、最初の憩さんと偶然に出会った。接するうちに彼女の言動や挙動に疑問を持ち、もしかしたら彼女が神に何かしらの力を与えられているのではないかと考え、昵懇じっこんにしていたオモイカネに相談した。こういう人間がいるのですが、心当たりはないですか、と。すると、憩さんはとある理由からオモイカネから力を与えられ、アマテラスから留魂の縛を受けている人間だと知った」

「百合さんから聞いたんですね」

「うん。僕は人間じゃないから分からないけど、人間とって500年も生き続けるって結構しんどいんじゃないかと思う。同じ肉体で生き続けるのならまた別だろうけど、彼女の場合は時が来れば死ぬわけだ。死ぬのは苦しいだろうし、恐ろしいだろう。加えて、産まれた先の親ガチャ、環境ガチャ、身体ガチャもあったろう」

「そうですね」

「なぜ自分が生まれ変わり続けるのか分からないまま生き続けてきた彼女の傍らで、君は神であることを隠し、「自分も生まれ変わりを繰り返している人間だ」と嘯いて生きてきた。そう聞いてるよ?」

「その通りです」

「涙を呑ませ、神々との縁を流し去ることも出来たのに君はそうしなかった。恨まれて当然じゃない?君は彼女に恨まれている自覚あった?」

「ちょっと、ケトさん」


 厳しい物言いに、飛鳥が止めに入る。それでもテトは言葉を止めない。


「彼女の目的は『人生を破壊し、踏み潰し、尊厳を奪い続けてきた神々への復讐』それ以外なにがあるの?彼女の復讐には正当性がある。よくある「神よ!なぜ我々をお救いくださらないのか!」ってやつとは訳が違う」


 反論の余地もない正論だった。さすがの飛鳥も押し黙る。自分は憩の存在すら知らなかったし、他の大勢の神もそうである。しかし自分らは人間ではなく、神なのだ。知らなかったという言い訳は免罪符になり得ない。この場合、“無知は罪”が適応されるだろう。つまり、憩の一件は日本に住まう神全てが負うべき罪なのだ。


 飛鳥の顔は悲しみに歪む。そばにいながら、何も気づけなかった自分を恨めしくも思う。飛鳥はこの12年余りをただ楽しく生きてきた。塩田家に来てからは衣食住に困ることなく学業を修め、娯楽も十分に提供してくれた。実の祖母の供養も怠らず、姉の風香も可愛がって育ててくれた。憩には、恩しかない。育ての親としての愛情もある。たとえ彼女が自分を利用しようと企てているのだとしても、きっと許してしまう。あまつさえ協力してしまうかもしれない。ケトは、その抑止力として塩田家へ遣わされたのだろう。

 苦悩と葛藤の渦中にいる飛鳥とは対照に、全てを受け入れているらしい佐藤は悟りを開いたかのようにさっぱりした顔をしている。その表情には煩悩がない。もう道を決めてしまっているな、とケトは思った。


「まあ、佐藤くんへの復讐はもう完遂されたようなものだけどね」

「え?」


 顔を上げた飛鳥は首を傾げた。佐藤への復讐が完遂しているとは、一体どういうことか。今だピンと来ていない飛鳥を見つめ、ケトは大笑いを始めた。


「君は本当に素直で鈍いんだね。ツクヨミやオオクニヌシが言っていた通りだ!」

「はいっ?」

「いやいや、だって普通分かるでしょうに。神の涙を呑み、憩さんは3つのものを失った。2つじゃないよ、3つだよ。言ってみて」

「一つは、記憶」

「そう。二つ目は?」

「オモイカネから与えられた力」

「そう。最後の三つ目は?」


 そこで、飛鳥はようやく気付き、はっと息を飲む。こんな当たり前の事に、今の今まで気付かなかった。

 憩が失った三つ目は、アマテラスの『留魂の縛』。留魂の縛は同じ生物にはかけられない。一度きりにしか通用しない。一度しか通用しないというのは神あるあるで、神の力にも制限や限界があることの証明でもある。永遠の命を持ち、不変なのは神のみが持つ特権、人間はそうなれない。

 よって、憩が生まれ変わることはもうない。彼女の長い長い人生最後が、塩田憩なのだ。


「憩さんがこの世に生まれてくることは、もう永遠にない。佐藤くんにとって、これ以上の罰はないね?」


 意地の悪い問いを重ねられても、佐藤は終始穏やか、心乱れた様子もない。変わらず表情も秋の日差しのよう。けれど、今にも真冬の木枯らしが吹きそうな気配がある。

 そのタイミングで、佐藤のスマートフォンが震え出した。憩からメッセージが届いたようだ。


「憩さんからです。新宿まで迎えに来てほしい、と。行ってきますね」


 そう言い残し、佐藤は家を出て行った。

 車にエンジンが掛かり、車庫を出て行くまで、飛鳥もケトも黙ったまま。エンジン音が完全に消えてから、ケトはくくっと喉を鳴らした。


「さすが500年一緒にいただけあるね。佐藤くんのピンチを助けたよ?」

「偶然でしょ」

「まあ、そりゃそうだ。あの憩さんでもさすがに千里眼があるとは思えない」

「俺は、復讐だと思いたくないです」

「ん?」

「憩さんが涙を呑んだのは、佐藤さんのためだと思いたいです」

「復讐ではなく、愛情だと?」

「そう願いたいです」

「願うのは自由さ。でも、神が願掛けするって、なんだか滑稽だと思わない?」


 神は、願いを叶える側。自身の立場をよく理解しているケトの言葉は冷たかった。それでも、飛鳥は食い下がる。


「神様だって、願い事くらいしてもいいじゃないですか」

「まあそうだね。ボクとしては愛でもなんでもいいんだけどさ、あの様子じゃ佐藤くんは死んじゃいそうだ。きみもそれを心配してるんでしょ」

「それは、」

「彼女のいない世界で生き続けるのか、それとも消滅を選ぶのか。どっちに賭ける?」


 最悪の賭け、なんて冷酷な神だろう、と飛鳥は思った。けれど仕方がない、神とはそういうもの。人間が想像すらできない神代の昔から存在する者たちなのだ、今ある一瞬一瞬を大切にするという感覚に乏しく、昨日と今日と明日の境目も曖昧で、朝だろうか夜だろうが彼らには関係ない。時の流れですら神を縛れない。縛られた経験がないから、いつだって自分本位で我儘。我儘がまかり通るから、自己を変える努力もしない。そうやって、神はいつまで経っても神のまま。

 目の前で人が苦しみもがこうが、これも自然の摂理と目を瞑る。見捨てることのできる冷酷さと鈍感さがある神だけが、この人間社会を楽しめる。一人の人間の死に引きずられて消滅を選んでしまうような軟弱な神は、この地球ではやっていけないのだ。

 過去、消滅を選んだ神は複数おり、中には力の強い高名な神もいた。その中に佐藤が数えられてしまうのか。今確かに、一柱の生死が、ひとりの人間の手のひらの上にある。


 季節はもうすぐ、夏。

 暑い夏がやってくる。

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