第二十九話 対岸の火事
リビングから物音がする。買い出しに行った乃愛が帰ったのかと思い、昴はヘッドフォンをしたまま自室を出る。と、そこには顔見知りの神々の姿があった。いたずらっ子の笑みを浮かべるカオスとモシュネ、それから申し訳なさそうに首を垂れるリオネルがそこにはいた。
どうやって施錠された扉を突破したのか、考えるまでもない。彼らは神なのだ。解錠するなど造作もないことなのだろう。いや、もしかしたら瞬間移動でもしたのかもしれない。
「・・・不法侵入ですよ」
驚きはしたが取り乱さずに、呆れたように昴がそう告げると、神々の方が目を丸くした。
「怒らないの?」
カオスが可愛らしい顔を傾げながら問うと、昴は「怒ってます」と間髪入れず答える。
「怒ってますけど、あなた達は神様なので、人間の常識外のことをしてしまうのだろうと考えています。今回だけは許容します。でも以降はやめてください。人間にもプライバシーはあるので」
「ふーん」
昴の回答に、カオスは満足気だ。
それから、リオネルは何度も頭を下げ、謝罪の言葉を口にする。日本語で「ゴメンナサイ」と。
こういう場合はまずお茶を出すべきだろうか。昴は逡巡したが、「適当に座ってください」と声掛けしながらやかんに湯を注ぐ。
そのタイミングで、買い出しに行っていた乃愛が戻って来た。神々の姿を見つけ、悲鳴に近い仰天の声を上げる。
「うえ!?なんでここに!?やだ!どうしてここが!?まだ日本にいたんですかぁ!?なんで家に!?ストーカーじゃないですか!てか靴脱いでください!!ここジャパン!」
室内には、乃愛の裏返った叫び声が響く。畳み掛けるようにして続く言葉たちが終わるのを、神々は制することなく大人しく待っている。不法侵入を少しは後ろめたく思っているようだ。
各々靴を脱ぎ、全員分の靴をリオネルが玄関へ抱えていく。彼は下位の神なのだろうか。カオス達に逆らえないというか、使いパシリというか、見ているこちらが居た堪れなくなる。心を痛めた昴は、リオネルの靴運びを手伝ってやった。リオネルはずっと申し訳なさそうな表情をして、「アリガトウ」と呟く。
その間も、恐怖や不安をかき消すように乃愛はキャンキャンと神に対して文句を言っていて、リビングに戻るとキッチンに出しっぱなしになっていたフライパンを片手に臨戦態勢を取っていた。
「お兄ちゃん、飛鳥君か百合さんに連絡して!」
「え、ああ、うん。いいですか?呼んでも」
「聞く必要ないでしょ!ここジャパン!日本の神を通してください!」
神々は乃愛を見て、毛を逆立てて威嚇している猫を連想した。精一杯強くあろうと自身を奮い立たせるが、彼女の瞳からは不安や恐れが零れている。それから、闘志や不屈と言った勇ましさも。そこに毒心は一切感じられない。とても素直な性格だ。兄の方も、冷静に状況を判断し立ち回れる胆力、正義や公正も持ち合わせていて、総じて好ましい兄妹だとカオスは思った。
「なんでここが分かったんですか!?記憶を見て知ったんですか?」
「そうだよぉ~。僕に秘密なんて出来ないの、何でも分かっちゃうからね~」
身体を左右へゆらゆら揺らしながら、モシュネは怒り心頭の乃愛をからかう。乃愛は恐怖よりも怒りが勝ってきたようで、臆することなく神との会話の応酬を繰り広げている。昴は妹の指示通り、スマホで飛鳥にメッセージを送信し、連絡が済むと給仕の続きを始めた。リオネルはそれを手伝う。
「何しに来たんですか!」
「観光して疲れたから寄ったんだよ~。言ったでしょ、協力してあげるって。僕らもイコイの正体は気になるしね~」
「ああ、そうだな。あとついでに日本観光のプランを練ってもらいたい。近場のメジャー所はだいたい行ったんだが人が多すぎて疲れてね。君たちのおすすめは?」
カオスは突飛な要求を突き付けてきた。小さな頭をぐるんと回し、小さいリビングを興味深げに観察しながら。しかし小さく簡素なリビングだ、興味をそそられる物は少ない。すぐに使用感が強いL字ソファに腰かけ、乃愛から提案される素敵な旅行プランをキラキラの瞳で待っている。だが、日本人が日本に詳しいと思ったら大違いである。観光地など滅多に行かない小野兄妹には荷が重い要求だった。それまで勢いよく喋っていた口が思わず止まるほど、乃愛には提供できる日本観光の知識がない。目を泳がせ、「きょ、京都とか?」と自信なさげに呟くと、すぐさまカオスが「京都のどこだ?」と尋ね返すので、「金閣寺!」とド定番を打ち返す。
「メジャーすぎ。キョウトなんて外国人観光客でごった返しているだろう」
カオスは一刀両断し、続けて「あまり人がいないところがいいな。観光客よりも日本人が多くて、適度に静かで。でも活気があって、インパクトがあるところがいい」と、無茶を言う。
「“適度に静か”と“活気”は両立しないと思います」
昴がさっぱりとした口調で切り返すと、なぜかリオネルが謝る。やはりこの神は苦労人、いや、苦労神なのだろう。
その後は、プライパンを抱えたまま律儀に観光地を提案する乃愛と、却下を出し続けるカオスのラリーが続いた。
「スカイツリーは?浅草とか」
「行った。激混みだったな」
「築地市場とか?」
「人多そうで嫌だ」
「と、東京ドームシティ」
「ん~」
「江ノ島!鎌倉!」
「悪くないが、歩くのが多いのは面倒だな」
「じゃあ観劇とか。歌舞伎座とかはどうです?」
「君がチケット取ってくれるのか?」
「きゅ、急には無理ですよ」
勢いの良かった声は尻つぼみになる。乃愛自身、歌舞伎を観覧した経験など無いのだ、チケットの取り方すらよく分からない。
「じゃあ、俺がチケット取りますよ。いつまで日本にいるんですか?」
フライパンを抱えてもじもじしている妹に、兄が助け舟を出す。
しかしカオスから返ってきた返答は意外なもので。
「別に決めていない。我々は密入国状態だ、わたしの力を使って日本に来たからな。チケットは君たちと劇場の予定を優先してくれていいぞ」
そんなことも出来るのか。小野兄妹は思わず顔を見合わせた。能力の詳細を知りたいような、知りたくないような。これ以上踏み込むと痛い目を見ると動物的本能が訴えてくる。
そんな人間達の困惑などお構いなしに、今度はモシュネが、隣に座るカオスを自慢するように言った。
「カオスは空間を操れるからね。作り出した空間に誰か閉じ込めたり、移動したり、とても便利なんだよ。だから地球上の移動なんて楽々さ」
「誰かを閉じ込める・・・」
あまりに恐ろしいワードが飛び出してきたので、小野兄妹は揃って言葉を繰り返す。顔を青くする人間達を見てカオスは愉快そうに笑った。
「大丈夫、わたしは人間を閉じ込めたことはないから」
「それ、フォローになってないですからね」
緑茶の注がれたカップ3つを運びながら、リオネルは呆れを含む声音で呟いた。
観光の話はそれからも、歌舞伎観劇の日程や美味い日本食店の話、買い物スポットなど一般的な話題が続いた。このまま塩田憩のトピックが出ずに彼らが退出してくれることを祈るが、そうは問屋が卸さない。
「それで、イコイについての進展はあった?」
鶴の一声。モシュネの発言に、温まりつつあった場は一気に氷点下。小野兄妹は気まずそうに目線を逸らし、なぜかリオネルまで同じように下を向く。
昴が代表し、「特に進展はありません」と答えると、モシュネは腕を組みながら悩む素振りをみせる。
「うーん。この間会った神の記憶を見れたら良かったんだけどなぁ」
興味本位、暇つぶし、面白半分であることは確かだが、真実を捻じ曲げたり引っ搔き回したりする気はないらしい。前回会った時の発言「協力してあげる」は、意外や意外本気だったようだ。
てっきり、モシュネの力は人間にしか通じないと思っていたが、神に対しても有効のようで、人間よりも時間は掛かるものの、瞳からその者の記憶を共有できると言う。しかし例外もあるようだ。
「人間の身体に一時的に宿ってる場合はムリ。その人間の記憶が見えるだけ。だからこの間来た彼は見ても意味なかった」
「あれ、飛鳥君は・・・」
今まさに呼びつけている飛鳥もあの場にはいた。その論法で行くと、一時的でなく、“飛鳥”と言う人間が誕生する前からその身体に宿っていた彼の記憶は覗けるはず。
モシュネは「確定はできないけど、」と前置きして見解を教えてくれた。
「神の中には、神の力に干渉されない力を持つ神もいるんだ。うちの界隈にはもういないけど、彼はそうなのかも。そうすると、彼は相当高位の神だね」
まあ、スサノオだしな、と、小野兄妹は思う。彼が日本神話で三貴子と呼ばれ、数多いる神の中でも特に尊い三柱のうちの一柱ということは調べた。古事記や日本神話がそのまま神の実情を反映しているはずはないだろうが、当たらずも遠からずといったところだろう。
「他の神に会えば事情も分かるだろうが、あまり他国に住まう神の揉め事に突っ込んで動くのは好ましくないな、亀裂を生みかねない」
「そうですよ、カオスの言う通りです。この問題に我々は全く関係ありません。普通に観光して帰りましょう」
「じゃあスバルとノア、君たち二重スパイしなよ。集めた情報を先にこっちに渡してさ、それで僕らからアドバイスをあげるよ。イコイの立場が悪くなる状況かどうかも僕らが判断してあげる」
「モシュネ!俺の話聞いてますか!?」
「だって、イコイがどんな人間でどんな企みを考えていようと基本僕らには無関係でしょ。対岸の火事ってやつ。だから僕らが先に事情を把握して、公平な目で日本に住まう神々とイコイをジャッジするのさ」
「他国に住まう神に対してめちゃめちゃ干渉してるでしょそれ。アウトですよアウト!」
リオネルだけでは他二柱を抑えるのは無理そうだ。ちなみに、この間同行していたマイアとバッカスは、カオスの力にとって帰国済みだと言う。帰らないで欲しかった、再び呼び寄せて欲しい、と願ったのは小野兄妹だけでなく、リオネルも同じ。
場が再び混とんとし始めた頃、部屋にインターホンの音が響いた。誰か来た!飛鳥か、朝市か。フライパンを抱えた乃愛が素早く玄関モニターに飛び付く。映っていたのは、飛鳥だった。




