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君の手のひらで踊りたい。  作者: 田邑綾馬
第Ⅲ章 転

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追跡者(二)

 玄関戸の閉まる音が聞こえると、どっと疲れが襲ってきた。疲れたが、昴や百合さんにこの一件を早く伝えた方が良いだろう。樹と三屋、樹父の会話を耳に入れながら、メッセージアプリを開く。


「ごめんなぁ、いきなり事情聴取みたいな真似させてちゃって」

「いや、俺はいいけどさ。2人は本当ごめん」

「いやいや、全然大丈夫。お父さんも気にしないでください。憩のことを想って宮本さん来てくれたわけで――と言うか、憩、大丈夫ですかね?“先に殺したのはあっち”だなんて、どういう状況ならそういう台詞が出てくるんだろう」

「でも言いそうなのが塩田なんだよな」

「言いそうだけど、何の脈略もなくする発言じゃないでしょ。斎藤さんって、何かある人なのかな」

「あのー、親父の立場からこういうこと言うのはどうかと思うんだが、殺したっていう表現はさ、例えばその、子供とか、そういう可能性はないの?」


 樹父の発言に、樹と三屋は数秒フリーズ。この親父、なに言ってんだ、という顔だ。樹父が言いたいのは、『塩田が斎藤さんの子供を妊娠したが、出産を断念したのではないか』ということらしい。

 右手でスマホを操作しながら、そりゃないだろ、と心の中で突っ込む。ほぼ同時、樹と三屋の素っ頓狂な声が響いた。


「そりゃないでしょ!」

「そうですよ!憩なら一人だって育てられます!斎藤さんだって子供を嫌がるような人には見えないですし!」

「それもそうかぁ。いやぁ、じゃあどういう訳かねぇ。“佐藤さん”と”斎藤さん”、まず苗字が微妙に違うしなぁ。椿さんって人の聞き間違いか?でも印象も違うし、イメチェンってやつか?――ああ、双子説を斉唱してなかったなぁ!」


 思わず吹き出しそうになるが、ぐっと奥歯を噛んで堪えた。双子説、他人の空似説、ドッペルゲンガー説、斎藤さんがイケメンからフツメンに逆イメチェンした説。

 わいわいと盛り上がる中、会話に参加しない俺を不審に思ったのか、三屋が心配そうに覗き込んできた。


「倉田君、大丈夫?」

「あ、うん、大丈夫」

「体まだ辛いよな!ごめんなぁ、気が利かなくて。二階の空いてる部屋に布団敷いてあるから、横になっときな」


 樹父の気遣いを有難く受け取り、見知った家の2階へ上がる。以前から収納部屋として使用されているそこを俺のために片付けてくれていたようだ。

 ドアを引き、閉じ、メッセージアプリを再度開くと、昴からタイミングよく返事が来ていた。


『明日の朝10時頃、俺の家来れるか?詳細はその時に』


 簡素な文字列に、『OK』とだけ返した。

 荷解きはせず、使用する下着と服だけ取り出した。数日厄介になったらオフィス兼自宅アパートへ帰ろう。甘え過ぎてはいけない。それにここに長くいたらボロが出そうで怖い。

 三屋の「私、帰るね」と声がかかるまで部屋に引きこもり、夕食時も体調が芳しくないふりして言葉少なに。

 入院後はジャンクなものが食べたいだろうと、井之原親子はピザを注文してくれた。


「それにしても、環さんが失踪して28年か。ちょうどお前達が生まれた頃だな」

「あ、確かにそうだね。そう言えば、佐藤さんって言えばさ、星野さんのお姉さんの恋人は”佐藤未来”って言うらしいよ」

「へえ!斎藤だの佐藤だの、こんがらがるなぁ」


 井之原親子の軽快な会話を聞いていると、胸に小さなざわめきが生まれた。


「塩田の彼氏の斎藤さんが、小郡家に現れた佐藤さんだとすると、これって凄い確率だよね」

「まあなぁ。だが、同一人物だとしても環さん失踪に関わってるということはさすがにないだろう。当時、斎藤さんはまだ4、5歳くらいだろ?幼い頃に遊んでくれたお姉さんが行方不明と知り、その後どうなったのか気になって生家を訪れた、というところじゃないか?」

「小郡さんは斎藤さんが失踪について何か知ってるんじゃないかと思っているみたいだけど、望み薄だよね」

「だな、残念だが。それにしても、突如失踪とは不可解だ。まだ14歳だったんだろう?まるで神隠しだな」

「神隠し、」


 無意識に、樹父の台詞を繰り返していた。さらに胸のざわめきは勢いを増し、頭の中に霧が立ち始める。

 無言でひたすらピザを口に運んでいたのに、“神隠し”というワードに反応した俺に親子は不思議そうな顔を向ける。慌てて、「いや、本当不思議ですよね」と下手な誤魔化しをする。警官ながら人を疑うことを嫌う樹父と、その血をダイレクトに受け継いだ樹はそれ以上追及してこなかった。


 部屋に戻っても、風呂に入っても、電気を消して目を閉じても、胸のざわめきと頭の霧は消えない。今日一日で何度、斎藤未来・佐藤未来が出てきただろうか。頭の中で整理する。

 ①塩田憩の恋人・斎藤未来さん(正しくは、佐藤未来さん。神。)

 ②小郡環さんが幼い頃に遊んであげた子供・佐藤さん。(神の佐藤さんでほぼ確定。)

 ③星野さんの初恋の相手であり、お姉さんの恋人の佐藤未来さん。


 全員が同一人物だとしたら考えるのが楽なのに、と思うのと同時に、全員が同一である可能性は十分にあるのだと考え至る。神様は産まれるはずのなかった人間の身体に宿り、その肉体は頑丈になる。寿命も格段に延びるという。それなら佐藤未来はどの時代にも存在していても不思議ではない。いや、むしろ存在していて然るべきだ。


 ――「あ、ごめんなさい、じっと見たりして。その、知り合いと名前が一文字違いで、お顔も少し似ている気がしたから」


 思い出すのは、お見舞いに来てくれた時の星野さんの台詞。その台詞が、俺の仮説を後押ししてくる。あまりに強い力で押してくるのものだから、思考の崖から落とされそうになる。なんとか崖ギリギリで踏ん張り、一歩、二歩と後退する。危ないところだった。周囲は霧が立ち込めて薄暗く、恐ろしくて谷の底を覗き見る勇気はないが、落ちたら確実に死ぬ高さだろう。


 布団から飛び起きて、荒い呼吸を整える。乾ききっている喉を潤したくて、物音を立てぬよう忍び足で一階に降りる。一階にある樹父の自室からは豪快ないびきが聞こえてきて、少し気が和らいだ。


 食器棚からグラスを取り出し、蛇口レバーを控えめに上げる。コップ半分まで水を注ぎ、それを一気に飲み干した。

 飲み干し、一息ついた後に思い出した。神の涙を呑むと記憶や与えられたものが消失する。空になったコップを見つめ、自身の記憶が保たれているか確認する。神様の存在を、俺は覚えてる。この水道には何も仕込まれていないようだ。ほっとするが、少し残念にも思う。全て忘れ、何も知らない頃に戻りたいという気持ちもあったから。


 ――「もしかしたら天国にいる姉が、私や朝市君を守ってくれたのかもしれない」


 また、星野さんの声がする。再び、抗えない力によって崖の渕に追い詰められていく。霧はもっと濃くなり、湿り気を伴って手足にまとわりつき、肺にまで侵入してくる。苦しい。


 星野さんの姉の恋人は、神様かもしれない。移り気な男だ、と率直な感想。神様のくせに、お姉さんが亡くなっておそらくまだ60年ちょっとしか経っていないのに好きな人間を作ったのか。神様に寿命なんてないのだから、60年なんてあっという間だろうに。一方的なイメージ、理想に近いが、神様は一途であって欲しい。斎藤さんがいかにも真面目で誠実そうだから、そういった願望がより強くなる。記憶を失った塩田を陰から見守り続けたり、仲間の神々を裏切っても塩田の味方をするらしいし、彼は理想の神像を体現していて、そして理想な恋人だと思う。・・・じゃあもう、星野さんのお姉さんのことはどうでもいいのか。忘れてしまったのか。


 考え事にどっぷり浸り、3時間睡眠で迎えた翌日。眩しい朝日に目を細めながら仕事へ向かう親子を見送った後、請け負った食器洗いと洗濯物を干し終え、早めに井之原家を出た。井之原家から小野兄妹が住むアパートまでは徒歩で1時間ほどかかってしまうので、健康時にはバス代をケチり徒歩で向かうところだが、今日は奮発してバスを利用することに。バス停まで2分ほど歩き、バス停で7分待ち、やって来たバスに揺られて約20分、バスから降りて3分ほど住宅街を進み、ようやく小野兄妹のアパートに着いた。3階建ての2階、一番奥の205号室の前に立つ。時刻は9時40分、約束の時間より20分早く着いてしまったが、相手が親しい友人宅ということもあって無遠慮にインターホンを鳴らした。


 ピンポーン。

 間もなく、室内から慌ただしい足音が聞こえきた。足音の大きさや歩幅からして男性のもの、よってドアを開けるのは昴だろうと暢気に構えていると、風を纏って現れたのは見知らぬ男。それも、眉目秀麗な外国人。肩まで伸びた髪は金と銀が混ざったような不思議な色、黒いシャツにジーンズというラフな井出立ち。


 困惑しつつ、ほぼ無意識に「は、ハロー」と挨拶する。すると、彼は人懐こい笑みを浮かべ、「hello!でもちょっとだけニホンゴしゃべれるよ!」と返してくれる。謎の外国人から日本語が出てきて少しに気が緩む。まだ何者であるか分からないのに、その笑顔だけで、なんだか良い人そうだな、という印象を抱く単純な俺。


 この彼は昴の友人で、たまたま遊びに来ていたのだろうと想像しつつ、家主でない彼に導かれ玄関を上がり、廊下を抜け、ドアを開ける。

 小野兄妹の2LDKの間取りだ。ドアの先にはまず6畳ほどのリビングがある。そこには確かに小野兄妹の姿があった。乃愛ちゃんはなぜかフライパンを持っている。他に、これまた見知らぬ外国人が2人いた。一人は若い男性、もう一人は幼い女の子。そして、この場に不釣り合いの人間がもう一人、謎の外国人達と小野兄妹の間に立ち塞がるように仁王立ちしているその人物は――。


「え!飛鳥君!?」


 広くもない空間に、5名もの人間が密集し、さらにそこに俺と、俺を出迎えた彼を加え、計7人の大集合。

 あまりにカオスな状況に、俺はとにかく戸惑った。動揺した。空気は最悪だった。小野兄妹は警戒した様子、飛鳥君は険しい顔。外国人組はニヤニヤしていたり、オロオロしていたりと様々。

 どこへ焦点を合わせていいか迷っていると、昴がズバリ状況説明をしてくれた。


「俺達以外、全員神様」

「は?!」


 昴は空笑いを浮かべる。この状況に相当参っているらしかった。

 昴を追って海外勢の神がやってきたこと、飛鳥君は神であること、それが今日の共有事項だったらしい。「お前が退院してから、このことを話そうと思ってたんだ」と気遣ってくれるが、そんな重要なことはすぐ教えて欲しい。報連相はやはり大事だ、と心から思った。

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