第二十八話 追跡者
「お世話になりました。ありがとうございました」
医師と看護師達に頭を下げる。約半月の入院生活をようやく終えたのだ。腹の傷は二か所ともさほど痛まず、傷もすっかり塞がった。
他の看護師に紛れ、阪本さんが軽く頭を下げて微笑んでいるのが見えた。彼女とは今後も顔を合わせる機会はあるだろう。
「とりあえず本調子になるまで俺ん家に泊まりなよ。父さんもぜひって言ってたから」
「えっ、悪いよ、いいよ。もう身体もどこも痛くないし」
「痛くないわけないでしょ!樹君とお父さんに甘えなよ」
三屋と樹は事前に示し合わせていたのか、有無を言わせず井之原家へ誘導してきた。身体は諸事情によってどこも痛くないが、何も知らない友人達からすれば俺は未だ怪我人なのだ。樹の母親・奈々さんの仏前にお線香をあげたいと思っていたので、彼らの好意に甘えておくことにする。
俺の人生に『母親』という存在はいないが、母親らしいことをしてくれたのは奈々さんだ。線香あげついでに色々報告したい。この世には神様が実在していることも教えてあげよう。
「ただいまー、朝市と三屋が来たよ」
靴を脱ぎながら、樹は父親へそう声を掛けるが、玄関床に見慣れない男物のローファーが行儀よく2足並んでいることに気付き、「あれ、お客さん?」と首を傾げる。知らされていなかった来訪者なのだろう。
樹が恐る恐る、探り探りといった風にリビングへ忍び足で進むので、俺と三屋も真似る。
キッチン横のリビングには男性が2人、樹の父親さんと向かい合って座っている。こちらからは男2人の顔は見えない。それなりに真剣な話をしているようで、俺達の前ではふざけていることの多い親父さんが今日は眉根を寄せ、真剣な表情。けれど俺達の存在に気付くと、険しい表情がふっと緩み、「おお、おかえり!」といつもの調子に戻った。
離席し、こちらへ振り返る男性2人に見覚えはない。樹も初対面のようで、手短に挨拶だけ交わす。来訪者2人を父親の仕事関係者だと判断した樹は、慣れた様子で上階の自室へ俺達を連れていこうとする。が、父親さんからのストップが入った。
「ああ、待て待て。ちょうど良かった。この子が倉田朝市君だよ」
え、俺?
突然舞台に上げられて戸惑うが、お構いなしの樹父に右腕を引っ張られ、バシッと肩を強めに叩かれる。樹と三屋が「優しくして!」と声を揃えるので、来訪者2人には俺が相当繊細な奴だと思われたろう。しかし、来訪者2人は俺が例の通り魔の被害者と知っているようで、手を叩いて功績を褒めてくれた。「お怪我大丈夫ですか」「立派ですね」「素晴らしい」と。やはり2人共、警察関係者のようだ。
俺は前科があるんだ、あまりこっち見ないでくれ。日陰でひっそり生きて、葉の隙間から太陽を仰ぎ見るような生活が理想なのだ。太陽の下に引っ張り出されるのは眩しくて嫌だ。
警察官の一人は俺達より年下だと思う。「宮下です」と名乗った。短く切り添えられた髪と日焼けした健康的な肌、意思が強そうな眼差しはいかにも警察官だな、という印象。返事も所作もハキハキしていて、樹父と気が合いそうだ。
もう一方は、現場より内勤の方が似合う温和そうな警察官だった。センター分の短髪にオーバル型の眼鏡を掛けたその人は年齢不詳気味の風貌だが、落ち着いた立ち居振る舞いから40歳前後だろうと予想。終始にこやかだ。察するに、この人は若い警官の付き添い、そんな風に俺は受け取った。けれど、それは大きな勘違いだった。彼が名乗ったところで、来訪の目的が樹父以外にあったことを悟る。
「小郡循と申します」
「おごおり?」
珍しい苗字だ、もしかして。
言わんとすることを察してくれた小郡さんは頷き、小郡椿さんとの関係を教えてくれた。
「はい、椿さんがお世話になっております。彼女とはごく近い親戚関係なんです」
「そうなんですか!」
大きいリアクションをしたのは樹だが、俺と三屋も十分驚いた。
立ち話もなんだから、と樹父に促され、リビングの椅子に腰かける。リビングチェアは4脚しかなかったので、樹父は隣の居間にあるソファへ移り、樹は立ったまま給仕を始めた。既に客人にコーヒーと茶菓子が出されていたが、俺達のためにお茶を淹れてくれるようだ。
向かい合うように2人の警官が着席する。なんだか取り調べみたいだ。悪事はしていないが、警察官を前にすると背中がそわそわする。前科のある俺だけでなく、善良な一般市民代表の三屋ですらこの状況に困惑しているようだ。おそらく、背後で水をやかんに注ぐ樹も同様だろうと思う。
俺達3人の気持ちは同じ。この時間はなんだろう、何の話をされるんだろう、だ。
小郡循さんはスーツの内ポケットから2枚の紙を取り出した。写真だった。まず一枚をテーブルの上、俺達に見える位置に乗せた。
「今日は要件が2つあって、井之原先輩のお宅にまで押し掛けてしまいました。まず、こちらの男性ですが、ご存じですよね」
尋問口調でもなく、雑談でもするような軽やかな話ぶりで、変わらず笑顔だが、小郡さんは謎の迫力を背負っている。この人、実はすごい警察官なのかもしれない。
テーブルに乗った写真には、斎藤さんが写っていた。今、塩田の家にいる冴えないサラリーマンの方の斎藤さんだ。どうして今、斎藤さんの写真が出てくる?さらになぜそれを俺達に見せるのか。考えが読めず、額にじんわり汗が浮かぶ。
小郡さんは「ご友人の塩田憩さんと同居されている方ですよね?」と再確認。特段訝しむことなく、樹と三屋は「そうです」と返した。俺は曖昧に頷いておいた。
小郡さんがアイコンタクトすると、会話の主導権は宮下さんへ移った。
「実は自分、あの浜松町の爆発事件に臨場していたんです。犯人は捕まり、解決済みとみなされている事件ではありますが、詳細を関係者以外に話すのは本来NGです。NGなのですが――」
そう前置きしてから、宮下さんはやや声のボリュームを抑えて話をした。心中が声には反映されやすい人なのだろう。
あの爆発事件で、不可解な場面に遭遇したのだと言う。
「あの日、斎藤さんと塩田の避難誘導を担当のは自分です。途中、爆発に巻き込まれ、自分と塩田さんは気を失い、斎藤さんが残された爆弾物の解除に当たってくださいました。――ああ、白と黒、2本のコードが伸びていて、どちらかを切れば停止する仕組みだったようです。はは、映画みたいですよね。結果、斎藤さんは正解を選び、無事に爆弾は解除された。――不可解なのは、爆弾が解除されるより少し前、自分が気を失っている間に起きました。気を失ってはいましたが、微かに聴覚は生きていたようで、塩田さんが誰かに話しかけているのが聞こえたんです。彼女は誰かに電話をしていた、相手は斎藤さんだと思います。斎藤さんに向かって「白を切ってください」と、助言されていました」
「えっ、憩はなんで白を切ればいいって知っていたんですか?」
「斎藤さんと警察が来る前に、犯人から聞き出した、と。犯人に警察へ通報しないと言ったら、白と黒の爆弾のことを教えてくれた、だから白を切れ、と。そういったことを塩田さんは言っていたと思います」
話はまだ続きそうだったが、三屋がたまらずと言った風に尋ねた。宮下さんからの回答は納得できるような、出来ないような、なんともすっきりしないものだった。わざわざ爆発物を用意している時点で犯行の意思は強いように思うが、あっさり諦めて自白しているのが腑に落ちない。塩田の説得が相当効いたのか。いざ本番を迎えると怖気づいたのか。それにしてもそんな状況で犯人に説得を試みる塩田の胆力に脱帽だ。
話はまだ続いた。
「爆発物の解析の結果、誤った方を切れば爆発する仕組みだったことが明らかになりました。なので自分は、斎藤さんは白を切ったんだ、犯人は本当の事を打ち明けていたんだと思いました。けど、斎藤さんが実際に切ったのは、黒だったんです」
「えっ」
今度はたまらず、俺の口から声が漏れた。
どういうことだ。塩田は嘘を教えたのか?斎藤さんを爆発に巻き込みたかった?なぜ?それとも塩田は当てずっぽうで「白を切れ」と言い、斎藤さんは自分の判断で黒を切った?分からない。
俺だけでなく、樹と三屋も考えていることは同じようで、どちらとも青い顔だ。
「このことを上には伝えたのですが、聞き間違いだろうと一蹴されてしまいました。あんな状況でしたし、記憶違いでないと言い切る自信がなかった。だから、入院している塩田さんに直接聞きに行きました。自分が付いていながら怪我をさせえてしまった謝罪も兼ねて。しかし彼女からは「夢でも見ていたのでは?」と言われてしまいました」
と、納得のいっていない口ぶり。宮下さんの聞き間違いであってほしいと願っていた俺達は胸を撫で下ろすわけだが、「でも、」という接続語が続いてしまい、ドキリとヒヤリに再び襲われる。
「塩田さんは「別に爆発してもよかった。だって、先に殺したのはあっちの方なので」と、言いました。その言葉の意味は、自分には測りかねますが」
――「別に爆発してもよかった。だって、先に殺したのはあっちの方なので」
怪しい微笑みを浮かべた塩田がそう囁くイメージが、脳内で再生される。
なぜか宮下さんの方が申し訳なさそうにしていた。いやいや、悪いのはそんな爆弾放り込んできた塩田の方だろう。なんでわざわざ人の興味や疑念を刺激するような真似をするのだろうか。
「塩田さん、あるいは斎藤さんが何かしらのトラブルや事件に巻き込まれている可能性もありますし、事情をお聞きしたかったのですがそれ以上は何も教えてくれなくて。この件含め、改めて上司に相談しましたが、爆弾事件と同様にこれ以上の捜査や関係者への聴取は不要と言われました。でもどうにもすっきりしなくて、小郡さんに相談させていただいたんです。小郡さんは署内でも情報通で、見識高い人なので」
「いえ、それほどでも。でも、相談してくれて良かった。宮下君が相談してくれなければ、爆弾事件の犯人の顔は見ても、巻き込まれた一般人までは確認しなかったでしょうから。宮下君の相談内容とはズレてしまいますが、私はこの斎藤さんという方を探していたんです」
言いながら、小郡さんは流れるような動作で、もう一枚の写真を置いた。それは正面からではなく、斜め右上から撮られた人物写真。人物の顔は不鮮明だった。証拠に、樹も三屋も、2枚の写真を並べて見せられてもピンと来ていない。けれど、俺は違う。見た瞬間分かった。これは斎藤さんだ、いや、佐藤さんだ。
「似ていませんか?」
ふと写真から視線を上げると、小郡さんは俺をじっとり見ていた。彼の目の奥は、暗い。
「この写真の男性は、同一人物ではありませんかね?どう思われますか?」
「え、この人が斎藤さん?でも、今と雰囲気が・・・」
不鮮明な写真を拾い上げ、まじまじ見つめる三屋。彼女の言う通り、2枚の写真では被写体の雰囲気がまるで違う。斎藤さんはいつもの冴えないスタイルで、佐藤さんの方はスーツを着用したイケメンだ。
「私、人の顔は一度見たら忘れないんです。目と鼻の位置、耳は整形しても変えられませんし、変装も限界があるでしょう。ああ、斎藤さんは整形はされていないようですが」
笑顔こそ作ってはいるが、もはやそこに人の良さは感じられず、なんとかして情報を得てやろうという強かさが透けている。
どくっ、と心臓が高鳴る。無意識に、新鮮を小郡さんからテーブルへ下げる。しかし、「倉田さんは、椿さんから聞いていると思いますが」と前置きをされ、再び視線を上げる。恐る恐る、と。
「小郡環の失踪について、覚えていますか?」
「え、――あ、ああ、もちろんです、覚えています」
想定外の人物の名前が出てきたため狼狽えたが、反射的に答えた。反射で答えたとはいえ、環さん失踪についてはきちんと覚えている。今から28年前に突如失踪した、当時14歳の女の子。小郡椿さんの姪御さん(姉の子)だ。やはり親戚、循さんも事情は把握しているようだ。循さんの正確な年齢は知らないが、環さんと交流もあるのかもしれない。幼い頃、一緒に遊んだり――、
そこで、ふっと椿さんの言葉が蘇った。
――「6年ほど前に、ある男性が環のことを知りたいと訪ねてみえたことがありました。佐藤さん、と名乗る方で、歳は二十代後半くらいかしら」
まさか。椿さんが言っていた佐藤さんが、あの斎藤さんなのか。
思いもよらぬところで点と点が繋がってしまい、口から驚きと戸惑いが零れ落ちそうになる。咄嗟に手で口を押えた。
「倉田さんはご存知でしょうが、お二人に改めてご説明させていただきますね。小郡環は、14歳の時に突如失踪したんです。日課の散歩中のことでした。当時、警察や環の両親は家出という見方をしましたが、私と椿さんは事件、あるいは事故に巻き込まれたのだと思いました。それは今も変わりません。環の自宅は目黒区碑文谷にあります。あんな都会で事故に巻き込まれて未だ見つからないのは可笑しいですから、十中八九、事件でしょう。けれど、なんの手がかりも得られぬまま時は過ぎていきました。――が、6年前、小郡家に一人の男性が尋ねてきました。幼い頃、環に遊んでもらった、環が行方不明と最近知って来た、と。環が失踪してからそういった来訪者は初めてで、椿さんも動転していたのか、彼のフルネームや連絡先を聞くこともせず帰してしまって・・・。うっかりしてるんです、ああ見えて椿さんは」
肩を竦めて苦笑を浮かべる小郡さんの印象は、この時点で、人の良さそうな人から裏がある胡散臭い人に変わっていた。対して、正真正銘”人の良い”樹と三屋は、彼の辛い心中を推し量り、憐憫の情を向けている。
「玄関外の防犯カメラで撮られたこの不鮮明な写真と、佐藤というありふれた苗字だけで一人の人間を探し当てるのは至難の業です。この6年、仕事の合間に街中の防犯カメラを確認していましたが見つけられず、このままでは一生掛かってしまうと思っていたところ、あの爆発事件が起こった」
――「この6年、仕事の合間に街中の防犯カメラを確認していましたが見つけられず、」
軽く言ってくれるが、とんでもない執念と執着だ。環さんが失踪したのは一週間前でも半年前でもなく、28年前。それなのに彼は、新鮮な気持ちのまま今も捜索を続け、おそらくこれからも探し続ける。身内を想う気持ちに感動もするが、若干寒気もする。
「本来、私情で市民を調べたり、捜査は出来ませんので、大っぴらに何かをしてはいませんが、宮下君とは同じ相手に疑念を抱いた者同士、塩田さんを知る井之原先輩のお宅へこうしてお尋ねしてきたというわけです。斎藤さん、塩田さんのお人柄や事情をお伺いしたい」
樹父より、俺達の方がずっと塩田について詳しい。樹父は斎藤さん(佐藤さん)と面識すらないだろう。
小郡さんは生の声が聞きたいのだ。じっとりとした視線は俺達3人へ均等に向けられていない。小郡さんの目は俺のみに集中している。こいつは何かしらの事情を知っている、と彼は睨んだのだろう。けれど残念、知っているのは、斎藤さんは佐藤さんで、佐藤さんの正体が神様であるということだけ。環さんの失踪については何も知らない。
塩田と斎藤さんの人物像を語るのは樹と三屋に任せるとして、混乱する頭の整理に集中する。賢く鋭く執念深い小郡循さんを俺一人では丸め込めない。取り繕って嘘を並べ立ててこの人は分かってしまうし、容赦なく矛盾点をついてくるだろう。
よって、ここで俺が取れる最善策は、“他者のプライバシーに踏み込むな”、“周囲を巻き込むな”と、強気に跳ね退けること。
「塩田の人柄は、樹と三屋が話した通りです。人をからかったりすることも多い奴ですから、宮下さんに言った話は冗談として流していいと思いますよ。昔から、こっちが驚くようなことを平気でする奴なんです。それに斎藤さんがどういう人かについて、俺達はよく知りません。出会って間もないんです。あの2人のことは、あの2人にしか分からないことですから。そもそも、俺達や樹の親父さんに聞くより、直接斎藤さんに聞いたらいいじゃないですか。斎藤さんが塩田の家に住んでいること知ってるんでしょう?」
弱い方を先に崩す。言い方は悪いが、宮下さんに狙いを定め、一気に言い立てる。彼もまた人が良いようで、だんだんと瞬きが増え、下唇を噛む仕草がみられた。
宮下さんは苦笑しながら「そこまでは・・・これは事件ではありませんから」と言葉を濁した。
少なくとも宮下さんは塩田家へ訪問する気はないようだ。というより、これ以上踏み込むのは警察官という立場を利用した利越権行為に当たること、また相手が弁護士であることが、“動けるのはここまで”と、彼らのブレーキになっているようだった。(小郡循さんは止まらないだろう。)
「きつい言い方をしてしまってすみません。宮下さんは塩田を心配して下さったのに。小郡さんも、お力になれなくて申し訳ないです」
「いえ、とんでもないです。貴重なお時間をありがとうございました。倉田さん、お大事に」
これ以上は情報を引っ張れない。そう判断してくれたのか、彼らは素早く席を立ち、すぐ横のリビングで一部始終聞いていた樹父にお礼と別れを告げ、井之原家から出て行った。




