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君の手のひらで踊りたい。  作者: 田邑綾馬
第Ⅲ章 転

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第二十七話 別れの足音が聞こえる

 憩は退院すると翌日から仕事を始めた。出社は7月に入ってからでいい、無理をしなくていい、と所長から言われていたが自宅で出来る仕事はいくらでもある。子供達が学校へ行くと、静まり返ったリビングの長机でパソコンとにらめっこ、器用に左手でキーボードを叩く。


 憩のすぐ背後では、佐藤がざるいっぱいに積まれた梅のなり口の処理をしていた。黙々作業が苦でないのか、ひとつひとつ丁寧に、一定のスピードで進めていく。梅干しは憩が食べたがらないので、梅シロップを作ることにしたようだ。保存瓶を3つ並べる。多く作れそうなので、ひとつは高梨家にもお裾分けする予定だ。


 佐藤は、氷砂糖が結晶の原石のようだと思い、光に当ててみる。当然、美しくはきらめかない。氷砂糖はただの砂糖なのだ、宝石じゃない。この宝石もどきは、梅のエキスに時間をかけて溶かされ姿は消えるが、梅と共に交じり合って一体化して、美しい琥珀色の液体に生まれ変える。氷砂糖は宝石にはなれなかったが、美味しいシロップになるのだ。

 瓶に砂糖を引き詰め、梅入れ、砂糖を引き詰め、その繰り返し。最後に氷砂糖で終え、蓋を閉じる。


 ふいに憩が、「氷砂糖、余ってない?」と言うので、蓋をする前の瓶から2つくすねて、ひとつを手渡した。受け取ってすぐ、ぱくっと口へ放り込む彼女は幼い子供のようで可愛らしかった。佐藤も倣って氷砂糖を口へ。想像通り、すごく甘かった。砂糖の塊なのだから当たり前だが。

 目と口をぎゅうっと固く閉じ、肩を竦ませ、足をばたつかせる。甘過ぎたのだろう。それでも吐き出すことなんてしないで、口の中で転がし続ける。「甘いね」と憩が言うので、佐藤も「甘いね」とオウム返しをし、続けて「コーヒーでも淹れようか?」と提案するが、あいにく憩はコーヒーが嫌いだ。すげなく「いらない」と返される。氷砂糖の後の甘い口ならイケるかと思ったが、それでも嫌らしい。


「苦いし、匂いがなんか嫌」

「日本人はいつからかコーヒー大好きになったね」

「そうそう!どこ行ってもコーヒーが出てきちゃうから困っちゃうよ。でも断れないし、無理に飲むでしょ?それで余計に苦手になる」

「砂糖とミルクを入れれば?」

「添えてくれないところも多いよ。大人だし。なんか私って、コーヒーブラックしか飲まない顔らしい」

「はは、どういうこと?」

「クールな顔って言うか、甘いのより苦い方が好きそうに見えるらしい。苦いより甘い方が良いに決まってるじゃんね。あ、この間買った青林檎の匂いのする緑茶にしようよ」

「うん、分かった」


 青林檎の香りを楽しみながら緑茶を飲み終えると、彼らは外出のため身支度を始めた。今日は憩の退院祝いをするため昼に外食をする予定なのだ。ちょっと高めの寿司屋に行くので、子供達がいない平日の昼を選んだ。

 先ほどまで掛けていなかった眼鏡をして、佐藤は車の鍵を取った。


 向かった先は代々木上原にある寿司屋だ。敷地面積はこじんまりとしているが、店主との距離も近く、気取らず入れる良い店だ。店内は和に寄り過ぎていない、寿司屋にしては少しポップな内装と器が使われ、少し洋を感じられる。若年層も一見も入りやすい雰囲気だ。

 この寿司屋は、女店主一人で営んでいる。憩の大学1年生の時、4年生だった彼女は教養科目の講義で知り合い、出身地が同郷であったことから仲良くなり、こうして卒業後も交流が続いている。凛々しい和装の調理白衣を纏った彼女は大学卒業後から寿司職人を目指し、2年前に自分の店を持った。何を隠そう、ストーカー事件のお礼にと、憩が佐藤(斎藤)を誘い、初めて食事をした場所がここである。


「いらっしゃい、憩、斎藤さん」

「莉々子さん、お久ぶりです」

「いや~、大変だったね。怪我、大丈夫?」


 貸し切りにしてくれたようで、客は憩と佐藤だけだった。

 カウンターの座席に着席し、あれこれ会話をしながら、出されていく美味しい寿司を楽しんだ。


「あれ、憩って左利きだっけ?箸の使い方上手いね。入院生活でそこまで上達する?」

「元々両利きぎみだったんですけど、今ではすっかり左利きになりました」

「へえ、利き手って変わるもんなんだ。味覚はおこちゃまになったのにね」

「はい、私の好きな物ばかりで嬉しいです」

「斎藤さん、憩の食生活管理、お願いしますね?好きにさせてたらお菓子だのジャンクだの食べすぎるだろうから」

「はい、任せてください」

「やだ~」


 2年前に訪れた時もこうやってカウンターで肩を並べて座り、互いの食の好み、職業や家族のことなど、莉々子を交えて語り合った。

 端から見れば、当時の2人はストーカーに襲われそうになっていた女性を助けた男性と、救われた女性。初対面に近い関係性だった。しかし実はずっと前から知り合いの、それも親しい間柄だった。一方は神で、もう一方は人間。人間の方は記憶を失い、神は記憶を失ってしまった愛する彼女を陰から見守っていたのだ。神の涙を呑んだ人間とは以降関りを断つというルールを守るため、それまでとは異なる風貌で、なるべく目立たないように。


 神会議が行われた数日後、アンチクトンの神のに再び集合した際、山田やまだ無量むりょうがこんなことを言ってきた。


「オモイカネの力によって、憩さんは相手の正体が分かるようになった。つまり神を見抜ける。スサノオの一件がそれを証明している。現在、神の涙を呑んだ彼女は記憶こそ失われたが、オモイカネの力は残存している。だから今も彼女は神の存在を認識出来ている。佐藤のことも神だと見抜き、親しくしている。じゃなきゃ、以前の恰好ならいざ知らず、どうしてこんな冴えない男に美人冤罪弁護士が惹かれる?」

「ひどい・・・」


 あまりの言われように、佐藤は眉根を下げ、しょんぼり肩を落とす。確かに、この時の佐藤の恰好も良いとは言えなかった。眼鏡+長く重めの前髪が暗い印象を生み出し、憩が神の涙を呑んでしまったショックから激ヤセした身体は薄くて頼りなげ。張りのないくすんだクリーム色のシャツは、シワ加工なのか本当のシワなのか判別ができない。職業も小さい会社の経理担当の事務で薄給、と設定したと言うから、美人で敏腕の弁護士と同居に持ち込めたのは単なる好意ではなく裏があると思われても仕方ない。と、山田は言いたいらしい。

 同席していた水村みずむらほたると、もふもふのくせっ毛の男・新宿しんじゅくは反論した。この新宿という男、新宿駅から少し歩いた所でブーランジェリーを経営しているのだが、名前が“新宿”なのだ。新宿に住む神だから新宿と名乗る、と言い出し、呼び名として定着したのである。


「いやあ、憩ちゃんみたいなバリキャリは未来君みたいな家事スキルの高い優しい男性が好みなんだよ」

「そうだそうだ!」


 目を輝かせて力説する水村と同調する新宿、辟易したように山田がぼやいた。


「”みたいな”を重ねるな。気持ち悪い」

「出た!小説家気取り!言葉狩り!」


 水村と新宿が声を合わせて反論する。この2柱は仲が良いらしい。彼らの喚く声が煩いのか、山田は耳を塞いで「意味が違うだろう。それに俺はれっきとした小説家だ」と呆れた様子。


 佐藤の見た目について、憩の記憶についての話だったが、彼らの中である程度の結論は出ている。山田の言う通り、憩の中でオモイカネの力が微かながら残存している、だからまだ神というものの認識が出来ているのだろう、と。

 けれどそれらは佐藤にとってはどうでもいいことだった。彼女が自分を神として認識し、神だから親しくしているのだとしても、そばにいられるのならそれでいい。幸せだった。代り映えしない毎日だが、それでいい。いや、それがいい。このまま出来る限り長く、一日でも一秒でも長く彼女と共に生きていきたい。


「斎藤さんと憩、今一緒に住んでるんでしょ?」


 数日前の仲間とのやり取りを思い出しながら、美味しそうに寿司を頬張る憩の横顔を見つめていると、店主の莉々子が関係性に言及してきた。第三者から見て、2人はどう見ても恋人同士で、佐藤の眼差しは愛する人を見る目をしていたのだろう。


「一緒に住んでますよ。斎藤さんは一人ぼっちで可哀そうなおじさんだから」

「ひどいなあ、憩は。相変わらず口が悪いね。斎藤さん大丈夫?」

「はい、大丈夫です。慣れてますから」

「ふふ、そっか。でも、もう斎藤さんは一人ぼっちでも可哀そうでもないね」


「だって、憩がいるもんね」と、莉々子が微笑む。すっと、心に言葉が差し込まれたように佐藤は感じた。

 女性で寿司職人になるのは並大抵なことではない、相当な苦労をしただろう。この美味しい寿司だけでなく、彼女の人柄がこの店を成り立たせている。彼女が握る寿司同様、じんわり温かみのある言葉だった。


 莉々子の言葉通り、佐藤は一人ぼっちじゃないし、可哀そうでもない。憩がいる。千叶ちか風香ふうかもいる。もっと言えば、飛鳥あすかを始めとする神仲間もいる。それに、なんだかんだ言って憩は佐藤を大事に扱ったし、必要としている。佐藤はもう「自分なんて」と、卑下する必要はない。

 このままずっと憩と共に生きていきたい。それなのに、それは叶わない。彼女は人間で、自分は神だから。あと数十年もすれば憩は死ぬ。そんなことは初めから分かっていたはずだが、佐藤は今更ながら現実を受け入れられずにいた。佐藤にとって、記憶や残存する力の話など、この現実に比べれば些末さまつなことだった。

 動植物の寿命を延ばせる神はいる。頼んでみようかと迷う瞬間は幾度となくあるが、憩はきっとそれを拒否する。望まれない行為だ。彼女の意思に反することはもうしたくない。


 今度は家族と共に来ると約束し、莉々子の店を出た。


「斎藤さん、帰りにスーパー寄ってこうか」

「いつもの大きいスーパー?」

「ううん。家の近所のスーパーでいいよ。もう、遠くに行く必要ないでしょ?」


 もう他の神に気付かれたのだから、遠出する必要はない。そういう意味だと佐藤は受け取った。少し寂しい気持ちになりつつも素直に応じ、塩田家から一番近いスーパーへ車を走らせる。


「ここのスーパーはね、見切り品が結構豊富でさ、ほら見て!カップ麺も割り引かれてる!」

「体に悪いからあまり食べちゃだめ」

「たまになんだからいいじゃん」

「とか言って、週2は食べてるでしょ。ストック減ってるの知ってるよ」

「それ飛鳥じゃない?」

「飛鳥君の好みじゃない辛いやつでしたから。犯人はアナタ」

「いいじゃん~、毎日じゃないんだからぁ~」

「週1まで」

「少なすぎるって」

「あ、いつの間にスナック菓子もかごに。3袋は多すぎ」

「これ人気だからあったら即買いなの。子供達も好きだからいいの!」

「分かりました。その代わり、野菜もたくさん買うよ。入口のチラシ見たらブロッコリーが安かった」

「ブロッコリーは野菜嫌いには難易度高すぎるから」

「粉チーズ焼きにするよ」

「う~ん」

「スープにもするよ」

「スープならいいよ」


 セルフレジでは、憩が商品のバーコードを読み取り、佐藤がエコバックへ無駄なく詰める。3分ほど車を走らせ、塩田家へ着くと、時刻はもうすぐ夕方4時。買ってきた食品を冷蔵庫、棚、パントリーへ眠らせ、エコバックを畳む。夕食の献立を考えながら、憩は庭に出て洗濯物の乾き具合を確認する。


 梅雨が来る前に夏が来たかと辟易へきえきするほど暑い5月下旬、洗濯物は十分に乾いていた。左手だけで器用に洗濯バサミを外し、片足立ちをして膝の上に洗濯を乗せる。タオルや洋服をそのまま縁側にぽいっと投げて、あっという間に取り込み作業は終わった。

 縁側で洗濯物を佐藤と共に畳み、バスタオルとタオルのタワーを作っていく。今日は女性陣の下着類がないので、佐藤も躊躇なく畳み作業に加わるが、女性陣の衣類や下着がある場合は遠慮して近づきもしない。こういうところはかなりしっかり線引きしているようだ。


 洗濯物を畳みながら、憩は今後の話を始めた。


「旅行でも行く?」

「え?」

「出社自体は一か月後でいいし、それまで仕事を調整すれば休みは取りやすいよ。子供達と予定合わせて、弾丸で海外旅行とかしちゃう?」


 憩の所属する事務所は土日休みだが、顧客の事情で出社することもあり、旅行などの予定はなかなか入れにくい。冤罪弁護士として有名になってからは一層忙しく、佐藤と子供達と一度旅行もしたが、それはごく近隣の宿泊施設で、観光というより佐藤との交流がメインだった。

 憩からの旅行の提案に飛びつくかと思いきや、佐藤は首を横へ振る。その反応を予期していたのか、憩は意外そうにしなかった。


「近場ならいいですけど、今はゆっくりしましょう。あなたは旅行、そんなに好きじゃないでしょ」

「そんなことないよ。今まで色々行ったよ」

「子供達のためでしょう」

「それでも楽しかった」

「うん。だけど、家でのんびりする方が好きでしょう?」

「まあ、そうだね」

「たまに、ドライブしよう。ほら、町田の方にパーク出来たから行ってみよう」

「開店したの結構前だよ」

「行った?」

「行ってない。子供達は友達と行ってたけど」

「じゃあ、行こう」


 遠くでなくていい、近場でいい、物珍しいものでなくていい。佐藤はそう言いたげだ。

 こっくりこっくり、憩は納得したように深く頷いた。


「そうだね、そうしよう。散歩したり、ピクニックしたり。ああ、パンとか作りたいな。時間のかかる料理もしよう。ああそうだ、ウスターソースを手作りしてみたかったんだ」

「うん、作ろう」

「ポップコーンも作ってさ、映画もドラマも見たいな。韓国ドラマ見たい」

「うん、見よう」

「ああ、そろそろ冷蔵庫と炊飯器買い替えたいと思ってたんだ。家電屋さんも行かなきゃ」

「うん、行こう」

「庭いじりもして、あとは――寝る」


「寝る」と言いながら、おもむろに佐藤の太ももに頭を預け、ごろんと横になる。佐藤は突然の膝枕要求に驚きもせず簡単に受け入れ、彼女の額に優しく手を添える。


「ん~、おじさんの太ももは固いなぁ」

「当然でしょう、柔らかいわけない」

「千叶と風香の太ももは柔らかくていいぞ~、羨ましいだろぉ」

「別に。してもらいたいより、してあげたい派だし、僕の膝枕はあなた専用なので」

「なんかちょっとキモい」

「ひどい・・・」

「ははっ」


 大好きな人に、例えじゃれ合いの範疇でもキモいと言われ、割ときちんとショックを受けたらしい。くしゅっと顔のパーツが中央に寄っている。その様子を見て、憩は無邪気に笑っている。憩は気になる子や好きな子をいじめるタイプなのかもしれない。


 瞳を閉じて、微睡みに落ちていった最愛の人の頭を撫でながら至福の時を過ごしていると、ふと視線を感じて顔を上げる。庭先に、黒い長毛猫がいる。長尾をゆらゆら揺らして、その猫は行儀よく前足を揃えて呪いの庭に座っている。その黒猫の隣には、目ヤニだらけのやせ細った子猫もいる。子猫も黒毛だ。まるで親子のよう。

 にゃあにぃあ。か細くも力強い子猫の鳴き声に、憩は微睡みから覚醒し、庭への戸に手を掛けた。そして、「どうしたの?迷子?お腹空いたの?」と、子供をあやすみたいに優しく話しかける。


 軽くなった太ももに、向けられた背に、佐藤は強烈な寂しさを感じていた。憩には気づかれぬよう、肺から空気をゆっくり吐き出す。これはため息じゃない、自分を落ち着かせるための対処療法だ。


 もうすぐ自分は斎藤未来ではいられなくなる。佐藤未来に戻らなくていけない。

 自分はいつまでも同じ場所で同じことを繰り返して生きていたくても、周囲はそれを赦してくれない。世界は自分を中心に動いていないのだ。

 憩と過ごす時間はあとどれくらい残されているだろう。()()()が来るのは、あとどれくらいだろう。別れの足音が、聞こえる。

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