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君の手のひらで踊りたい。  作者: 田邑綾馬
第Ⅲ章 転

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第二十六話 嵐と海

「初めまして。日本に住まう神だよね?」


 モシュネは、飛鳥君と樹にそう投げかける。が、樹はすげなく答えた。


「彼らを解放してください」


 樹らしくない、突き放すようなきっぱりとした口調だ。


「いきなりだね。シオタイコイの義理の弟と友達なのは彼らの記憶から知ってるよ」

「教える義理はありません。彼らは我々の問題に巻き込まれただけだ、こうして尋問のような真似をされる謂れはない。今すぐ解放し、今後の関りは控えてください」


 俺達兄妹のすぐ後ろに立ち、毅然きぜんとして言い放つ樹は頼もしかった。放たれる言葉には重みと安定がバランスよく乗っていて淀みがない。佇まいにも気迫があった。

 樹がここまで流ちょうに英語が喋れたことを、俺は今日まで知らなかった。隠していたのだろうか、自身が神であるという事実と一緒に。


 樹からの忠告を受けても、カオスとモシュネは変わらずの様子だったが、2柱以外のマイア・バッカス・リオネルは今すぐここを立ち去りたいと言わんばかりに頷いている。この3柱はカオスとモシュネのお目付け役で、彼らが無鉄砲すぎるが故に起こすトラブル回避のために同行しているのだろうと察する。


「帰りましょう、カオス。彼の言う通り、他国に住まう神の事情に首を突っ込むのはルール違反です」

「厳密にはそんなルールは存在しないぞ」

「暗黙の了解でやつでしょう。さあ、普通に観光させてもらって帰りますよ」

「いやだ!面白そうだから最後まで見届けたい!」

「面白そうとか言っちゃダメです!彼らにとっては大事なんですよ」


 観覧車の中と反対に、今度はリオネルが我儘を言うカオスをたしなめている。続けて、マイアとバッカスも、モシュネの肩をがっしり掴んで、「帰りましょう!」と実力行使する。いとも簡単に身体を持ち上げられ、引きずられるモシュネの武力は乏しいようだ。

 それでもなお、カオスとモシュネのコンビは会話を続けている。


「イコイはさ~、そのサトウとかいう神と一緒にいたくないから記憶を消させたんじゃないの?相手を神と認識した上で振るって結構勇気いるじゃん?かぁわいそぃ~。でも未練がましく再登場して同棲までしてるんだから同情できないか~」

「辛いな、失恋というやつか!リオネル、診てやったらどうだ?」

「もうあなた達は黙っててくださいよ!すみません、お邪魔しました!」


 モシュネはひらひらと俺達へ手を振っているが振り返す気にはならない。

 遠ざかっていく影をいつまでも見送り、恋しかった静寂が戻る。正しくは静寂ではない。遊園地内には人々のはしゃぎ声、アトラクションの機械音など複数の音が重なり合って騒音並の音量だが、それでも先ほどの空間にいるよりずっと気が安らぎ、心地いい。妹もカオス達が消え、安堵のため息を吐く。


 周囲の騒音が聞こえ始めてようやく『空間を区切った』という意味をきちんと理解した。音もそうだが、今現在は俺達の姿がありのまま認識されているらしく、楽しい遊園地で、疲れ切ってうな垂れる俺達を来場客は怪しんでチラ見してくる。


「とりあえず、帰ろうか」


樹は優しい声で言う。


「樹、お前、」

「それについても、車の中で話そう」


 地獄と化した遊園地を後にし、駐車場に着くと、そこには見覚えのない車があった。しかし見覚えがないのは俺だけのようで、乃愛は心当たりがあるのか「あっ」と小さく声を上げた。


「これ、憩ちゃんの車だよね?最近買い替えたやつ」

「そう、スサノオにキーを持ってきてもらったの」


 車のキーをゆらゆら揺らし、キーロックを解錠しながら樹が得意げに言う。後部座席に乗り込みながら「スサノオ?」と、俺が聞き返すと、樹は助手席の飛鳥君へ意味ありげな目線を送る。すると、言わんとすることが理解できたらしい乃愛は飛び上がって驚いた。


「えっ、飛鳥君、スサノオなの!?」

「まあ、そうっすね」

「めっちゃメジャー神じゃん!樹君も神様ってことだよね!?」


 相変わらず適応が早すぎる妹は猛スピードで聞きにくいことを突っ込んで聞いていく。

 エンジンをかけ、走り出した車内で、樹は軽快に笑い出した。次いで、語られる真相に、俺達は大いに肩透かしを喰らった。


「違うよ」

「えっ」

「井之原樹は正真正銘の人間、神のことは何も知らない。私は樹の身体を借りているの」

「え、身体に宿っているだけってことですか?」

「そうだよ。宿っている間の記憶はこの身体に残らないから、2人で上手いこと樹に説明してあげてね」

「な、なんだぁ。樹君は人間だったのか」

「神の方が良かった?」

「いえ、これ以上神の数が増えたら完全にキャパオーバーになります。他に、俺達の知り合いで神がいるなら先に教えといてもらっていいですか」


 心底、樹が神でなくて良かったと安堵する。もし神であったなら今までのような付き合いは俺には出来ない。裏切られた、騙されたと、大袈裟かもしれないが、それに近い感情は抱いたと思うから。大切な友人を失うことにならずに済んでよかった。


 言われてみると、にせいつきの口調はどこか女性らしい。英語が堪能なのも中にいる神のおかげなのだろう。

 上手に運転する偽樹は、終始にこやかでお喋りで、助手席の飛鳥君はいつにも増して無口だった。


「他にはもういないんじゃないかな?どうですか、スサノオ、心当たりはありますか」

「いえ、俺は知りません。と言うか、その辺は俺が一番知らないと思います」

「そうですか。私も似たようなものですから気になさらないで。――よかったね、昴君、乃愛ちゃん」

「はあ」


 曖昧に頷いておいた。


「それにしても、海外勢の神に知られちゃったね~」

「ヤバいんですか?」


 樹相手に敬語を使うのはこそばゆい気持ちになるが、仕方ない。

 それに海外の神に知られてしまったのは主に俺に原因がある。身を乗り出して、低頭する。


「ヤバいっていうか、あまり広められたくはないって感じよね。彼ら興味津々だったしまた来そう。ああ、昴君のせいじゃないからそこは気にしないで。私たち、別に対立しているとか、何か巡って争ってるわけじゃないから」

「モシュネって神が言っていました。神は暇なんだって。神はこの星ではやることがないって」


 いじけた子供みたいに、乃愛は口を尖らせて不満そうにする。


「暇なら、この星をよくするために協力してくれてもいいのに。神様なんだから――あ、いや、ごめんなさい、図々しいですね」

「いや、ごもっともだと思います。でも、サバンナで生きている野生動物や自然環境に人間が手を出してはいけないと感じるように、神もまた人間や人間社会に対して似たような感情を持つんです」


 モシュネに同様の台詞を言われたらきっと腹が立ったと思うが、不思議と苛立たないのは飛鳥君の人柄だろうか。(いや、人じゃないけど。)


「あの、それで、憩ちゃんは飛鳥君が神様だって知ってるの?そもそも、家族でいるのはどうして・・・。確か、絹代さんのご友人のお孫さんなんだよね?偶然、憩ちゃんと出会ったの?」


 偶然なんてあり得ない。妹も思っていたろうが、確認のために口にしたようだ。

 助手席に座る飛鳥君の表情は見えないが、口調からしていつにも増して眉間にシワが寄っているのだろうな、と推測する。


「・・・偶然なわけがない。憩さんは俺の存在を分かっていて、絹代さんと俺達の実の祖母を、偶然を装い、引き合わせた。絹代さんが踊りを教えていたカルチャーセンターで祭りがあって、祖母と風香ふうかと行きました。当時住んでいたアパートからセンターまでは随分距離があったのにチラシがポストに入ってて。子供には無料でお菓子が配られる、焼きそば無料の引換券までホチキスで止められて」

「そこで憩ちゃんと飛鳥君達は出会った?」

「はい。その時にはもう憩さんの元には千叶ちかがいたし、塩田家と交流が増えていっても、妙齢の女性と女子高生と幼稚園児の組み合わせに警戒心なんて抱かなかった。実の祖母がもう長くないとなった時、身寄りのない俺達を面倒見ると言い出したのは絹代さんだったし。・・・面識のない他人を引き合わせ、仲良くさせる。信用を得て、引き込む。憩さんにとっては朝飯前だったでしょう」


 いくらなんでもそこまで言わなくてもいいじゃないかと思うが、彼も彼で裏切られた気持ちでいるのだろう。(俺には彼が、大人に秘密事をされ、疎外感を感じて拗ねる子供のように見えた。)


「千叶を引き取ったのも、俺を信用させるためかもしれません。既に遠縁の子を引き取っているとなれば、祖母も他人に孫を託すハードルが下がりますから」

「あ、いや、それは、」


 聞き手に回っていた偽樹が、飛鳥君の発言を否定するように口を出したが、すぐに「いや、なんでもないです、これはあとで」と、俺達に聞かれたくないのか明言を避けた。そして努めて明るい声を出し、暗くなった空気を入れ替える。


「まあでも、憩ちゃんは善意ある子ですから。あなたを陥れようとか、利用しようとか、そういった悪意はない。スサノオもそれは分かっていたでしょう?私たち神は、人間や動物が放つ感情の波を読み取れる」


「とはいえ、読み取りが下手な神もいるけれど」と補足し、続けてこう言った。


「スサノオはそういうのにさとい神なんですから、あなたが分からなかったということは、そういうことです」


 そういうこととは、「塩田憩は善人である」と言いたいのだろう。

 どうやら飛鳥君もといスサノオは、人間を含む動物の感情の機微きびに敏いらしい。正直、とてもそうは見えない。飛鳥君はどちらかと言えば人付き合いが苦手で、あまり群れたがらないし、他人に興味が無いように映っていたから。人の感情がすぐ分かってしまうから距離を置いていたのだろうか。


「飛鳥君は、塩田がそういう人間だといつ知ったの?」

「半年前くらいです。佐藤さんが登場してから知りました」

「えっ、めっちゃ最近!」


 乃愛の意見に完全同意だ。だって、確か、神の涙を呑むと神に関するすべてのものが消える。記憶、与えられた力、その全てが洗い流され、もう二度と戻らない。塩田が涙を呑んだのは6年前だ、なら、その時に飛鳥君の存在そのものを忘却していなければ辻褄が合わない。やっぱり、塩田は覚えているんじゃないのか。忘れたフリして神々をからかい、今もまたお芝居を続けている――。


「俺のことも忘れていたけど、空気を読んだらしいです」


 拙い俺の推理は、呆気なく外れた。


「病院に迎えに来た風香と千叶にくっついて来た俺を、初めは2人の友達だと思ったって。でも、話しぶりから違うらしいと気付いて、とりあえず様子を見た。家の中の痕跡や写真などから俺も共に生活をしている、可笑しいのは自分だ、と判断したようです」

「それからずっと?斎藤さん・・・じゃなくて、佐藤さんが現れるまで気付かなかったの?他の神様から事情を聞かなかったの?」

「俺、神々との関わりが希薄なんです。人間とも、ですけど」


 飛鳥君は事も無げに、「奈良時代から神々と関わりを断ち、人間になることもせず山奥の岩に宿り続けていた」ことを教えてくれた。さらに、人間になったのはここ80年ほどのことで、ひとつの肉体で長く生きることはせず、人並みの寿命で過ごし、今現在の肉体で3体目だという。

 俺達には雲を掴むような話で、何と答えていいか分からず、曖昧な相槌を打つ。


「この80年、どの神とも会っていなかったから、佐藤さんが千年以上ぶりで。一緒に行った旅行中、佐藤さんに「あなたは神ですか」と聞かれて、マジでビビりました」

「へえ!そりゃお互いビックリだったでしょうね。佐藤さんと面識はあったんですか?佐藤さんは出雲いずもに住んでいたでしょう?」

「ありません。存在というか、噂には聞いてましたけど」

「あの、佐藤さんって何の神様なんですか?」


 盛り上がりかけていた会話に割り入って、乃愛が尋ねた。それは俺も知りたい。塩田の彼氏(仮)なのだ、さぞや力の強い高貴な神なのだろうと想像。けれど、偽樹の口から飛び出たのは、想像とはまるで異なる神だった。


「タニグクという名の、蛙の神様だよ」


 名前はもちろん、存在自体知るはずもないが、それより“蛙”というワードに驚いた。妹のひっくり返った声が車内に響く。


「かえるうっ!?」

「人間に宿っちゃえば関係ないよ」

「そういうもの!?」


 偽樹はにこやかに笑っているが、初耳の俺達は動揺と困惑に溺れそうになる。


「そもそも神は、必ずしも人型をしているとは限らないの。人型にもなるし、動植物にもなれる神もいて、そのどちらにもなれる神もいる」

「多種多様なんですね、神ってやつは」

「そう、人間と同じだよ」


 嫌味と皮肉を込めたつもりなのに、偽樹は弾んだ声音でそんなことを言う。不思議な感覚だった。まるで本物の樹と喋っているみたいだった。気持ちがささくれ立って、苛立ちを隠せずマイナスな発言をしても、樹はいつも器用にプラスの意見を返してくる。言葉選びが上手なのだ。相手を傷付けない、場を冷えさせない、柔らかく真綿のような――。


「お兄ちゃん、お兄ちゃん」

「えっ」

「着いたよ、憩ちゃんの家。憩ちゃんは佐藤さんと出掛けてるって。今のうちに早く」


 妹が顔を覗き込んでいる。一瞬、意識が飛んでいたようだ。

 慌てて車を降り、既に車外へ出ている飛鳥君と偽樹と、塩田家の庭にて向き合う。それから、偽樹は俺達兄妹を優しい眼差しで見つめ、朗らかに笑い、「じゃあまたね。2人とも、お仕事無理し過ぎないで、身体には気を付けてね」と、まるで母が子を気遣うような台詞を残す。


 次の瞬間には、樹の表情がさあっと変わり、ぱちくり瞬きを繰り返す。目の前には俺と乃愛と飛鳥君がいて、自分がなぜ塩田の家にいるのか理解できない樹はかなり動揺していた。こちらが笑ってしまうくらいに。


「あれっ、昴?乃愛ちゃんに飛鳥君も、なんでいるの?あれっ、ここ塩田ん家?どうして俺ここに?あれっ!?」

「樹、疲れてるんだよ。最近色々あったからな」

「ええっ?いや、白昼夢ってやつかな?どうしよう、え、俺、なんか皆に迷惑掛けてない?何かしちゃってない?」


 普段の樹に戻った。わたわたと手を忙しなく動かして、俺達に迷惑を掛けていないかと心配している。

 その様子を見ていると、なんだか気が抜けてしまった。笑い混じりに「大丈夫だよ、お前はぼんやりしていただけ」と、肩を叩いてやった。飛鳥君もこくこく頷いて、樹を落ち着かせる手伝いをしてくれた。


 和やかな空気が流れる中、額に冷たいものが触れた。雨だった。雲が所々あるものの、空は晴れている。その雨は通り雨とも言えない、ぽつぽつと数滴落ちる程度の雨だった。けれど不思議なことに、口元まで伝って来た雨粒はなぜかしょっぱい。


「雨?いや、もう止んだね」


 樹は手のひらを天に向けている。隣にいる飛鳥君の視線は天にではなく、樹の右隣に向けられている。

 ああ、そこに神がいるのだな、と思った。この数滴の雨を降らせたのも、きっと――。


「じゃあ、昴さん、また連絡しますね」

「うん」

「なにか用事?」

「昴さんに動画編集を教えてもらいたくて」

「ああ、なるほど!」


 不思議そうにする樹に、飛鳥君は真顔で嘘を吐いた。樹はいとも簡単に彼の嘘を信じた。

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