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君の手のひらで踊りたい。  作者: 田邑綾馬
第Ⅱ章 承

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第二十四話 ひとつの世界を壊すとき

 コンコン。


「・・・はい」


 倉田朝市の病室を訪ねてきたのは、明日、退院予定の塩田憩だった。彼女は病院着で、変わらず三角巾をしているが顔色はいい。

 直ぐ身体を起こして来客を迎えようとする朝市を制し、「横になったままでいいよ」と気遣う。実のところ傷はもうそれほど痛まない。神の力というのは効能が長いのか、日を追うごとに傷は癒え、痛みも軽減していく。このままいけば傷跡もそれほど目立たないくらいに回復するだろう。


 しかし今、痛むのは腹の傷ではなく心の方だった。昨日のことが、朝市の心を確実に蝕んでいた。

 新百合ヶ丘で発生した事件の犯人の両親が、被害者・倉田朝市の元へやってきて土下座で謝罪、という一幕は、病院内でちょっとした騒ぎになったようで、他のフロアの憩の耳にも届いたらしい。

 憩は、ド直球に昨日の出来事に触れてきた。


「昨日、大丈夫だった?騒ぎになっていたみたいね。どこからか倉田君がここに入院してるって聞いて尋ねてきたんだろうね」

「来てほしくなかったよ」

「昨日の夫婦?それとも、私?」

「・・・どっちも」


 狭い押し入れの中で布団を頭まですっぽり被って泣いていたのに、断りもなく勝手に戸を勢いよく開けられ、眩しさで目が眩む。憩から昨日のことを口にされ、そんな錯覚に陥る。眩しくて、気だるい。本当はずっと暗く狭い押し入れで布団に包まって現実逃避していたいのに、彼女はそれを許さない。真っ直ぐに朝市を見るその瞳に、抵抗する気力は失せ、現実と向き合う覚悟を決めざるを得ない。


「倉田君、顔色悪いよ」

「半分は塩田のせいでもあるからな」

「え~、なんでよ」


 言いながら、おもむろに三角巾の隙間から林檎を2つ取り出し、テーブルの上に置くので朝市は驚いた。


「はい、差し入れ。あ、汚くないからね?昨日もお風呂入ったし、三角巾も卸したてだから」

「そこは別に気にならないけど。てか、この林檎、俺らがお見舞いで持ってきたやつだろ」

「うん、そう。食べ切る前に退院できそうだから差し入れ。全く、倉田君も入院してきちゃうなんてなぁ。私達、呪われてるのかね」

「呪いか。そんなもん本当にあるの?」

「あるんじゃない?神様だっているんだから」

「ああ、そうらしいな」

「へえ、信じたんだ。倉田君はそういうの信じなさそうなのに」

「信じないというより、受け入れがたい。存在しないと思っていたから我慢できていたけど、本当に存在するなら文句のひとつも言いたくなる」

「うん、そうだね、気持ち分かるよ」

「百合月人って神様が塩田のことを探ってほしいって俺達に言ってきた。大丈夫なの?めちゃくちゃヤバい状況に思えるけど」

「大丈夫だよ、私は神に罰せられるようなことしてないもん。それより、巻き込んじゃってごめんね」

「いや、俺達は別に・・・」

「倉田君、昨日の人達と知り合いだったの?」


 突然、切り込まれた。朝市が答えずとも、視線をきょろりと泳がせて押し黙る挙動が憩の言葉を肯定している。

 自分の抱えている事情をさらけ出すのは、例え相手が友人でも難しい。むしろ親友だからこそ言えないことがある。朝市には、幼い日のあの出来事が自分の汚点のように感じられ、恥ずかしくて痛々しく、誰にも打ち明けられずに今日まで来た。いや、正しくは、赤の他人に一度だけ打ち明けたことはある。6年前、新宿のファミレスにて、知らない男に幼き日の話をした。一度だけ自分を引き取ろうとしてくれた夫婦がいたこと、自分はその夫婦の子供になりたいと願っていたこと、けれど夫婦に実の子が出来て叶わなかったこと。

 そして、運命の悪戯なのか、その夫婦の実の子が、22年後、朝市を刺し殺そうとした。


 封印したい過去の出来事と、今回の騒動、憩と神の関係など、彼の心はひどく混乱していた。複雑な心中を察したのか、憩は事情を深く追求することをしない。わざわざ病室まで来て、昨日の話題を出しはしたが、朝市をこれ以上苦しめることは憩の本意ではない。その代わり、憩はある問いを投げかけた。「私に何かできることはある?」と。

 と、そのタイミングで、テーブルの上にあるスマホがブルッと大きく振動し、メッセージが来たことを知らせる。憩が「どうぞ」と、メッセージを確認する時間を与えてくれたので、アプリを開いた。送信者は星野光子だった。内容は、朝市の具合を心配するもので、今度見舞いに行くから何か食べたい物はあるか、欲しい物はあるか、リクエストがあれば教えて欲しいという差し障りのないもの。それから、土のみが詰められた植木鉢の写真が添付されていた。写真の下には、次のような文章が。


『今年もクローバーの種を蒔くことが出来ました。今年もたくさんのクローバーを姉に見せてあげられます。あなたのおかげですね、本当にありがとう』


 朝市の視界はじんわり歪む、鼻の奥がつーんと痛む。この場に憩がいなければ涙を零していただろう。昨日のこともあって、朝市の落涙へのハードルはかなり下がってしまっている。瞳は潤み、鼻っ柱は赤く、誰が見ても朝市は泣く一歩手前なのだが、憩は指摘しなかった。

 息をゆっくり吸って吐き出し、朝市は顔を上げた。伺うように憩を見つめ、憩もそれに応えるように見つめ返し、両者の真剣な見つめ合いの末、朝市は遠慮がちに頼み事を始めた。


「2つある」

「いいよ」

「1つは、抽象的な話を聞いてほしい」

「抽象的?」

「うん。具体的なことは、まだ言える気がしないから」


 口に出すのはまだ無理だ。あの頃の自分がまだ今もどこかにいて、押し入れの中で布団を被って泣いているから。

 初めてする話だからか、たどたどしくて、探り探りながら、自分自身の真の部分を言語化しようと朝市は必死になった。今、この作業をしなくては、自分は前へ進めない。


「一度、頭に思い浮かべると、それが実現していないのに、まるで実在するかのように、頭の中に残っちゃうんだよ。パラレルワールドに近いのかな、有りもしないのに、有るように思える。俺のいるこの世界にはないものが、他の世界では存在してる。俺の願いが叶った世界が、すぐ隣にあって、今も隣にいて、同じように地球は回ってる。実現しなかったけど、俺の頭の中では、叶った未来が今も消えずに隣で生きてるんだ」


 誰にも伝わらない、朝市のもう一つの物語。あの夫婦に貰われ、愛されて育ち、大人になった自分は今いる倉田朝市よりずっと立派で格好良くて、もちろん犯罪行為などに手を染めないし、いい大学を卒業して、いい会社に就職して、初給料で両親と弟に贈り物をするような孝行息子だ。家族仲・兄弟仲も良くて、大人になっても事ある毎に食事をし、旅行にも行く。絵に描いたような、どこにでもいる家族だが、これが朝市が望む『倉田朝市の物語』だった。叶わなかったが、この年になるまで彼の頭の中ではもう一人の朝市が成長し続け、彼のそばにずっといた。手放すチャンスは幾度かあったのだろうが、離れがたくて、自分にもこんな未来があったのだと未練が立ち切れず、消し去ることが出来なかった。それでも、その理想の『倉田朝市の物語』に欠点があるとするなら、それは樹や憩達がいないことだろう。


「だから俺は、こっちの世界でよかったんだと思う」

「そっか」

「分かんないこと言ってごめん」

「ううん、なんとなく分かるよ」

「分かられたらそれはそれで恥ずかしいけど・・・。2つめ言っていい?」

「どうぞ」

「俺を刺した奴の弁護をしてほしい」


 こちらは意外だったらしく、憩は目をやや大きく張る。


「減刑してほしいんじゃない。見極めて、適切な処置が必要ならそう取り計らってもらえるよう導いて欲しい」

「裁判官じゃなくて、私が見極めるの?」

「神様が、塩田は相手の正体が分かる能力を持ってるんじゃないかと言っていた。俺も、それには納得した。だから四月一日さんのことも無実だって分かったんじゃないかって。だから、あいつのことも塩田が見極めてほしい。ちゃんと反省してやり直せるかどうかを」


 ただの一介の弁護士に対する要望としてはいささか大きいが、憩ならばこなしてしまえる気がするから不思議だ。朝市も難題を突き付けていることは分かっているが、信頼する彼女にどうしても引き受けて欲しかったのだ。


「それから、もうあの夫婦に俺へ会いに来ないよう伝えてもらえると・・・あ、いや、これじゃ3つ目のお願いになっちゃうか」

「いいよ、任せて。倉田君には恩もあるし、引き受けるよ」

「恩?」

「すぐに分かるよ」


 朝市の積年の思いが雪どけを迎える一方で、小野兄妹はある外国人の親子を前に葛藤していた。

 塩田家の近所に住む高梨家へ話を聞きに行った帰りのこと、駅前で道に迷ったという外国人の親子に遭遇した。訳を聞くと、沿線沿いにある有名な遊園地に行くつもりが子供がトイレに行きたいと言ったためこの駅で途中下車をした。腹も減っていたので駅を出て昼食を取り、物珍しさからふらふらとしている内に駅方向が分からなくなったので教えてほしい、ついでに遊園地までの行き方も教えてほしいと、青い瞳をした若い父親は流ちょうな英語で説明した。駅の方向はここを真っすぐ行って右手にあるからいいとして、彼らが行きたい遊園地は駅から距離があり、子供連れで徒歩は難しい。バスを利用しなくてはならないため、説明に少々時間を要しながらもスマホでバスの時刻表まであれこれ調べてやった。

 調べている間、娘の方は乃愛が「どこから来たの?」「何歳?」など相手してやっていた。見たところまだ未就学児、5才くらいだろうか。くるくるのブロンドヘアとローリーなワンピースが良く似合う可愛らしい女の子で、乃愛の顔も思わずほころぶ。今しがた高梨家で聞いた話の内容の重さも相まって、幼い彼女にとても癒されたようだ。


 しかしそこで、昴はふと違和感が頭を掠めた。このご時世、スマートフォンを持たない人間がいるのか。相手は若い男性で、いくら治安のいい日本であっても電子機器や検索ツールを持たずに旅をするだろうか。しかもこの人は子供も連れている。

 考えると同時、昴は妹を見る。乃愛は子供から小さい包みを受け取っている途中だった。子供曰く「キャンディー、お礼だよ」とのこと。幼子特有のたどたどしく愛らしい口調。

 子供も一つキャンディーを自身の口へ放り込み、つられて乃愛もピンクの包みをひねったその時、昴は慌てて叫んだ。


「食べるな!」


 ビクッと身を振るわせる乃愛とは対照に、子供は微動だにしない。無邪気な笑みを張り付けたままだ。さらに、昴の方へ顔だけ向けると、先ほどとは打って変わり、抑揚の抑えられた口調で、小さい彼女は言う。


「随分詳しく我々について知っているようだね。君は記憶もないはずなのに」


 小さい身体、愛らしい顔で不穏な台詞を吐かれ、さすがの乃愛も察したようだ。あ、この人は神だ、と。咄嗟にのけ反り、一歩、二歩と彼女から遠ざかる。

 どうやら昴の記憶を抹消したのは彼らのようだ。肝心の昴はそのこと自体の記憶すらないが間違いないだろう。

 愉快そうにする少女とは異なり、昴の前に立つ青年はなんとも気まずそうだ。浮かない顔をし、自分達の非礼を詫びる。


「突然すみません、驚かせてしまって。端的に言うと、あなたをフランスから付けていました」

「えっ」

「空港に迎えに来ていた彼らは我々と同業でしょうか」


 同業、と表現するのが彼らの常識なのか知らないが、こんな道の往来で『神』という単語は憚られたのだろう。青年の問いに、昴は言い淀んだが、乃愛がすかさず割って入る。


「そうです。私達は細々とした雑用を仰せつかっているだけです」

「へえ、日本はまだ正体を明かした上で人間と関わりを持っているのか。やり方が古いな」


 少女の姿をした神に「古い」と言われ、少々むっとする小野兄妹だったが、相手は神だ、能力も未知数、今は大人しく口を噤む。それでも、彼女が「このまま遊園地に一緒に行こう!」と元気に提案してくるものだから、思わず驚きの声が飛び出てしまう。


「ええ!?」

「その遊園地で仲間と合流する予定なんだ。君らも行こう!色々事情が知りたいしな。あ、移動は面倒だから、TAXIで。金なら出すよ」


 下げている赤いポシェットから小さい手で黒いクレジットカードを取り出し、得意げに笑う彼女に抗えるはずもなく。状況の急変に困惑しつつも、昴はタクシー配車アプリを立ち上げた。

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