探偵ごっこ(二)
「すごい回復力ですね、奇跡的です。あなたは治癒力が高いのかもしれません」
医師は感嘆したようにそう言った。刺された腹はじくじく痛むが、動けないほどではなく、事件の3日後には自力歩行も出来るようになった。あの阪本薫と名乗った神も、他の看護師と混じってにこやかに笑っている。・・・なんとも白々しい。
入院は2週間ほどで済むようだが、特に保険に加入していなかった俺は金銭面の理由から4人部屋に移りたいと申し出た。が、「お金の心配は要らない」と説明された。こういう時は給付金が出るそうだ。それならばと個室に留まり、残りの日々を快適に過ごそうと思う。俺自身、ここ数日あり得ない出来事に見舞われすぎて心身ともにオーバーヒートしている。ゆっくり休息したい。と、言っても、樹や三屋達が日を置かずに現れ、それなりに賑やかな入院生活だ。今日も今日とて、お菓子の差し入れと着替えを持った三屋と樹が見舞いに来てくれた。
「ネットって怖いよな。朝市が人をかばって刺されたってもう知られてる。でもそのおかげで朝市の株が若干上がったぞ!」
無邪気な笑顔を向けてくる樹には申し訳ないが、どんな理由であっても注目は浴びたくない。途端と食欲が失せて、口元まで運んでいた差し入れの林檎のケーキは自然とそろりそろりと胸元まで下りていく。さらに「あ、それ、斎藤さん手作りだって」と追加される情報に、食べた方がいいのか食べない方がいいのか、ケーキを持つ手が上下にさ迷う。(てっきり三屋の手作りだと思っていたのに・・・。)
「目撃者も多数いたから、倉田君がいなきゃ死者が出たろうって言われてるよ」
「そんなの別にどうでもいいよ。注目される分、昔のことも掘り起こされてプラマイゼロどころか、ややマイナスだよ。放っておいてくれた方が嬉しい」
「まあ、注目され過ぎるのは嫌だよね。あ、憩、明後日には退院だって。知ってた?」
まだ言いたいことはあるようだったが、俺の気持ちを汲み、三屋は同意を示してくれた。
話題の切り替えのためか、入院仲間の塩田憩の名が出た。心臓が勢いよく跳ねる。
「へえ、そりゃ良かった。斎藤さん達も病院通い大変だもんな」
平静を装って当たり障りのない返答をすると、三屋は嬉しそうする。塩田に彼氏がいたことを秘密にされてあんなにショックを受けていたのに、今はもう親友の春を我が事のように喜んでいる。こうやって親友の幸せを素直に祝えるのは三屋に良い所だ。
「斎藤さんも毎日病院通ってたっぽい。甲斐甲斐しく世話してるって看護師さんからも聞いたよ。あれでよく友達なんて言えるよねぇ」
「なんで友達って誤魔化すんだろうな。気恥ずかしいのかな?塩田も人の子だったということか」
樹の疑問に、三屋も一緒になって唸り、そして突拍子のない答えを導き出す。ピコーン、と彼女の頭上に電球が光っているのが見えるようだった。
「もしかして・・・生き別れの姉弟とか!?」
「え!禁断愛!?」
「そんなドラマ展開あるわけないだろ」
ただの神と人間の恋愛だ。・・・いや、こっちの方が遥かにフィクションだよな。
2人の真の関係性は分からないが、少なくとも斎藤さんは塩田を愛しているらしい。自分の記憶も思い出も全て失われ、近づくことを禁じられても、別人としてでもいいからそばにいたい。それくらい、塩田を愛しているらしい。
あの塩田のことだから、斎藤さんが神様と承知の上で、さらには以前から自分と関りのある神だと知っていてこの数年過ごしてきたのだろう。神と知っていたからこそ、未成年の女性がいる塩田家へ引き入れる判断をしたんだ。(神が女性を襲うとは考えにくいから。)
謎がひとつ解け、霧の立ち込めている空間が少し明るくなる。爽快感を感じるがまた新たな謎が増えて、霧が視界を奪う。この霧が全て晴れたとき、俺は塩田の“魂胆”とやらを知ることが出来るのだろうか。神々よりも先にそれを突き止めることが出来て、塩田に害が及ぶような事態になるその時は、友人として彼女を守ろう。相手が神であろうが仏であろうが関係ない。俺達にとって大切なのは塩田の方だ。そのため、俺は神の使いで探偵ごっこをするのだ。
「・・・そう言えば、塩田ってあの事故から少し様子変わったよな」
これから友人を騙さねばならない後ろめたさをケーキと一緒に飲み込み、第一答を投げる。三屋がすかさず「倉田君も思ってた?」と喰いついてきた。
「6年前の事故ね。やっぱり事故の影響とかあったのかなぁ?味覚が変わって野菜嫌いになったよね。あと、利き手も完全に左利きになったし」
「あ、それは俺も思った。あと雰囲気も変わった気がする」
三屋の意見に樹も同意し、続けて「雰囲気が柔らかくなったような気がする」と続ける。
「昔はもっとこう、厳しいというか、強いイメージだったけど、今はちょっと天然っぽいじゃん?しっかりしてるし頼りがいはあるんだけど、少し抜けてて、親しみやすくなった感ある」
言われてみると、そうなのかもしれない。昔の塩田は誰に対しても親切だったが、他人にも自分にも厳しめだったように思う。
それから三屋は「一華も言ってた、憩はどうでもいいものを買うようになったって」と、証言してくれた。缶が欲しいからクッキーを買い、デザインが可愛いからと書きにくいペンを使い、機能性ゼロのインテリアを置くようになった、と。確かに6年前までの塩田は随分と禁欲的だった。それは物欲だけでなく、自分に使う時間についてもそうだ。放課後や休日に俺達とどこか出掛けても、帰宅時間は子供達のため早かった。それは子供達が成長して自身の世界を構築するまで続いた。
事情を明かせない以上、下手な探りはやめておいた方がいい。こんな可笑しな事態に樹達を巻き込みたくない。特に、塩田と精神的距離が近い三屋や阿部には絶対に知られてはいけない。こういう時、上手く回る口があればもっと色々聞き出せるのに。そうしたらこんな茶番を早く終わらせられるのに。
樹と三屋が去った後、はやる気持ちを抑えたくて、病院内を散歩することにした。踏みしめる度に傷がじんじん痛むが、いい具合に頭を冷静にしてくれるからその痛みが今はちょうど良い。
廊下の時計は夕方5時半を指している。外来患者は姿を消し、病院内は入院患者の散歩が始まる頃合いだ。すれ違う患者達と会釈を交わしつつ院内を進むと、前方に長期入院組の立ち話が開催されているのが目に入った。気さくな彼らだが、今は誰かと話す気になれない。
重い身体を引きずって自室へ戻ると、俺の病室前に見知らぬ初老の男女が立っていた。男女はどちらも暗い顔をしていて、すぐそこに椅子もあるのに、ただそこに突っ立っている。
直感して、俺の帰りを待っているのだと分かった。知らない男女だった。俯きがちで立っているので顔までは確認できないが、俺にあの年頃の知り合いはいない。
やつれた雰囲気を放つ彼らに大した警戒感など湧かず、気軽に声を掛けてしまった。「あの、どちら様ですか?」、と。すると、男女とも、うつむきがちだった顔を勢いよく上げて、こちらを凝視してくる。男女とも目の下に深いクマを作り、頬も軽くこけている。唇の血色も悪く、肌も荒れているようだ。要するに、随分と疲れ切っている2人組ということ。
そんな男女と目が合い、思わず俺は息を呑んだ。一瞬、時が止まったみたいに周囲の音も消え失せ、身体は硬直し、互いに互いを見つめ合う。そんな不思議な時間が数秒流れ、しかしすぐに均衡は破られ、次の瞬間には、初老の男女は崩れ落ちるように地面に膝を付き、手を付き、首を垂れる。これは所謂、土下座だ。土下座なんてされた経験がなくて、脳が目の前の現状を処理できず戸惑っている。
俺が何を言う前に、彼らは悲痛に叫んだ。
「本当に申し訳ございませんでした!うちの息子が、大変なことを、大変なことを・・・本当に申し訳ございません!」
周囲には誰もいなかったが、男性の大声に看護師が慌てて飛んできた。阪本さんではない、他の看護師だった。看護師が事態を飲み込めず、事情を俺に尋ねてくるが、あいにくこの口は堅く閉ざされ開かない。自分の意思で開かないのか、見えざる力によってそうされているのか分からない。これも神の御業だろうか。
男女は、顔と細い腕全体を床にへばり付かせていて、もはや土下座と呼べない体制なっていた。嗚咽交じりに何度も必死に謝罪する男女を眺めている内に、不思議とこの目から水滴が零れてきた。(あ、俺、泣いてる。身体も震えてる。)
胸の奥からぐつぐつと湧いてくる何かを理性で押さえつけながら、この現実と向き合い、湧き出でる名前のない感情をなんとか消化しようと頑張った。 けれど駄目だった。涙は止まらないし、感情の波は大きくなるばかりだ。
この男女は、新百合ヶ丘で無差別に人を襲ったあの若い男の両親で、被害者の俺へ謝罪をしに来たのだろう。平身低頭を通り越し、彼らは俺を神のように崇め、許しを乞うている。男女の正体を察したらしい看護師が必死に制止するが、夫婦は土下座も謝罪もやめない。
その謝罪は、俺が許すと言えば止まるのかだろうか。息子が刑を終えるまで続くのだろうか。それとも、一生俺に謝り続けてくれるのか。いずれにせよ、親と言うものは偉大だ。我が子のために我を忘れ、なりふり構わず、周囲に迷惑を掛けることも厭わず、みっともなく地面に這いつくばれるのだから。俺も、あなた達のような親が欲しかった。22年前、俺はあなた達の子供になりたかった。随分老けてしまったけれど、一目見て分かった。当時の俺はあなた達が施設に来てくれるのをお菓子を食べることより、テレビを見ることよりも楽しみにしていて、その日を心待ちにしていたから。出掛けた際に撮ってくれた写真をいつも眺めていたから。22年間の歳月が流れて老けてしまわれたけど、恰幅の良かった身体は随分痩せてしまったけれど、一目見て分かった。でも、あなた達は違う。怒りも罵倒もせず、ぽろぽろ涙を零す俺を見て、目を丸くして不思議そうにするだけ。俺のことなんて、ちっとも覚えていない。こうして目と目が合っても、あなた達はあの時の子供を思い出さない。
俺はあの時、心の底からあなた達の子供になりたかったんです。俺を刺したあいつは、じゃあ俺の弟になるはずだったのか。・・・なんて、考えてしまうくらいには。




