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君の手のひらで踊りたい。  作者: 田邑綾馬
第Ⅱ章 承

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涙を呑む。(二)

「話を戻すぞ」

「あ、はい」


 生返事をしながら、昴は当時を思い出そうと必死になっていた。

 6年前、病院に運ばれた憩の容体はかなり悪く、命も危ぶまれる状況だと阿部から知らせを受けた。なのにその後、医者も驚く回復力を見せ、一カ月半ほどで退院した。同時期に倉田朝市の詐欺事件などあり、昴達にとって災難の多い年だった。


 じゃあ、塩田が回復したのは神の力によるもので、普通なら死んでいたということか。俺達や朝市のように・・・。昴は想像して、一気に冷や汗が出た。乗車してすぐされた説明では、「人間は他の動植物同様この地球に産まれた一生物しかない」、よって「神々は人間の生活に干渉しないし、助ける義理も義務もない」と、言われたばかりだが、神がいなければ自分達は死んでいたわけで、生かすも殺すも神の気分次第だったということになる。「我々は人間が定義しているような存在ではない」、そう冷たく突き放されようと、やはり神は神だ、人間の命は彼らの手の平にあるのだと昴は痛感する。


「その治療の過程で、憩さんに治療をしている者と看護師が神であることを知られた。そして、佐藤のことも。だから、口外の恐れありとして記憶を消した」

「斎藤さん・・・いや、佐藤さんが記憶を消したんですか?」

「いや、あいつには知らせずに行われたようだな」

「えっ、そんなっ」


 恋人だったかもしれないのに了承もなく行われたのかと、非難めいた声を上げる乃愛だったが、目の前にいるのは神だと思い出し、慌てて閉口する。が、百合は機嫌を損ねた様子もなく、むしろその非難も理解できるといった風に小さく頷いた。


「分からなくもないが、正体が知られた場合はよほど特殊な事情でもない限り即座に記憶を消すのがルールだ。佐藤の了承を取る必要はない。ちなみに今この状況を“特殊な事情”と言っていいだろう。そして、記憶を消した人間とは以降関わりを持たないというのも基本的なルールだ。だが、それをあいつは破った。微妙な偽名を名乗り、変装して彼女の家で暮らしている」

「変装?」

「ああ、普段の佐藤はもっとマシな恰好してるよ。今はなんか絶妙にダサいでしょ?まあ気休めに過ぎないけど、私達に対する変装だよ。塩田家にいるのは、佐藤未来じゃないって思って欲しかったんだろうね」


 珊瑚の説明を受け、じゃあ普段の恰好はどんな風なのか、斎藤の本来の姿や憩との恋愛事情の方が気になって仕方ない乃愛だが、兄の至って冷静な話しぶりに口を噤んだ。


「事情はだいたい分かりました。いや、たぶん分かっていませんが、とりあえず受け入れます。俺もおそらく海外の神に記憶を消されたんでしょう。とても信じられませんが、これも一旦信じます。でも、俺と同じく記憶を消されたはずの塩田は、その事実を自覚しています。この説明はどうするんですか?今も神の存在を認知していて、斎藤さんが神であることも分かっている。彼が話した、ということはないんですよね?」

「ないな」

「何故断言できるんです?」

「神は嘘偽りを見抜ける。これは人間のみならず、神同士にも適用される。佐藤には「塩田憩に自らが神であること、神のまつわる話をしたか」と問い、あいつは「いいえ」と答えた。その言葉に偽りはなかった」

「それじゃあ、なぜ」

「このような事態は我々にとっても初めてだ、断定はできない。しかし、おおよその検討は付く。彼女がまだ赤子だった頃、とある神が彼女に力を授けたことが原因だと我々は考えている」


 驚くほどシンプルな原因だったため、兄妹は揃ってぽかんと口を開けた。なんだ、そんなことか。悩む必要ないじゃないか。その力のおかげで断片的にでも記憶を保持できたのかもしれない。しかし、“神の力”とやらはもっと込み入った事情があるようで。


「憩さんに力を授けたのは知の神、つまり知恵を司る者だ。名はオモイカネと言う。オモイカネに与えられた力が彼女の中で、『神とそれ以外の区別が付く』あるいは『相手の正体を見抜く』といった力として発現したのかもしれない」

「かもしれない?」


 神とのもあろう者が“かもしれない”などと歯切れの悪い表現をするので、昴は思わず眉を顰めた。痛いところを突かれたのか、百合は苦い表情だ。


「僕らの力を人間に授けた場合どうなるのか、分かっていないんだ。言っただろう、人間は勝手に産まれたんだと。神の手から産まれた存在ではない上、こちらの影響をどう受けるか把握できない、はっきりしない。例えば、珊瑚が人間に力を授けたとして、その者に発現する力は植物を育てるのが上手くなる程度かもしれないし、草花と意思疎通したり、植物を操るといった超人的能力かもしれない。発現する力はおそらく授けられた人間によって異なると我々は推察している。実験したわけじゃないから、全て憶測だがな」


 実験のような真似が出来ないのには理由があるらしい。力を授ければ、その神は2~300年は動けないほど消耗する。力を分けているわけではないから休息を取れば元のように問題なく活動できる、と百合は説明。

 なるほど、一人で数百年も動けないのなら、同時に複数人に力を与えて様子を確認するのは不可能だ。そういった事情なら“おそらく”や“かもしれない”と、可能性を論じるに留まるのも仕方がない。


 続けて、百合が「まあ、その力も記憶と共に消失しているはずなんだがな」と、まるで独り言のように呟くので、昴は「記憶と共に消失・・・」と彼の言葉をオウム返ししていた。つまり、人間から神々の記憶を消すという行為には、記憶以外のものまで消してしまう副作用があるということだろうか。

 昴の考えが当たったことは、百合の次の言葉が証明した。


「人間の記憶を消すという行為は、神々との縁が全て立ち切れることを意味する。記憶も、与えられた力も、神に纏わる全てが失われる。例外はない」

「じゃあ、塩田に与えられたその力も6年前に失われているはず?」

「その通り」

「なのに、憩ちゃんは今も神様の存在が分かる?」

「おそらく」

「ど、どういうことですか?憩ちゃんはどういう状況なんですか?あ、実は記憶を失っていないとか?」

「いや、彼女のその後の行動を監視し、記憶は失われていると確信している。佐藤のその後のやつれ具合が証明とも言える」

「あの、そもそもなんですが、塩田は赤ん坊の頃に力を授かったんですよね?そこから神の存在やらなんやらを自覚していたなら、6年前の治療中に神バレして口外の恐れありになること自体が可笑しいですよ。口外するつもりなら、もっと前に出来た」

「それはこっちが聞きたいくらいだ」


 話の潮目が変わっていくのを肌で感じる。ぞわっと肌が泡立ち、全身に悪寒が走る。恐る恐る、昴は言葉を並べていく。


「その、じゃあ、つまり、塩田は、その時初めて神の存在を知った風に見せかけて、神に、あえて、記憶を消させた、ということですか」

「ああ、そうとしか考えられない」


 憩は神をあざむいた。その事実に、昴と乃愛の方がおののいた。なんて罰当たりな、どうしてそんな恐れ多いことをしたんだ、と。

「塩田は、なんのためにそんなことを」と、なんとか声を絞り出す昴に対して、またも「わからない」と百合は即答する。


「理由は分からないが、あの事故自体、彼女が引き起こしたものだろう。状況が出来過ぎている。怪しまれずに記憶を消させるため、一芝居打ったんだろう」

「憩ちゃんはなんで、なにが目的で」

「分からない。もう、記憶を消してしまったから」


 証拠となる記憶は、神が自らの手で消してしまった。消失した縁は二度と戻らない、不可逆的なものなのだ。そして、そこまでして記憶を消させたからには、彼女には明確な目的があるはず。


 絶句して固まる兄妹と、感情が読み取れない顔をした百合が向かい合ったまま、車内にはしばしの沈黙が訪れる。話に区切りがついたタイミングで、運転席から「もうすぐ病院に付きます」と声がかかる。顔を上げると、確かに病院の建物がすぐそこに見えた。あの病院には通り魔に襲われた朝市と、憩がいる。憩の顔を思い浮かべると、胃の辺りがぎゅっと縮む思いがした。自分のよく知る友人の知らない一面を垣間見てしまって、それも神を欺くような行動を取っていたなんて、これで動揺しない人間がいるなら連れてきてほしい。だが、相手はあの塩田憩なのだ、あいつならあり得る、と思ってしまう自分が怖い。


「以降は他人からの接触に気を付けてくれ。特に外国人。また記憶を消されては面倒だからな」


 やれやれと肩を竦め、懐から小さい巾着を取り出すとそれを昴に手渡す。百合から渡されたのは、翡翠色の勾玉だった。ころん、ころん、ころん、と手の平に乗る3つのそれを姉弟はまじまじ見つめる。


「神の手ずから作った物には気配が宿る。お前が持っていた絵本と同じような理屈だ。憩さんの指摘通り、日本外に住まう神がお前の身辺を洗いに来る可能性は高い。もし、神が近づいてくるようなことがあればまずそれを掲げ、自分は神と関わりがあると言え。ただし詳しい事情は明かすな。あくまでも、自分は神の細々とした雑事を担っている、とだけ説明しろ」

「わ、わかりました。でも、記憶を消す行為って、具体的にどんな風に行われるんですか?呪文を唱えたり、そういうアクションがあるんですか?教えてもらえると助かります」


 勾玉を袋に戻し、昴はとりあえず乃愛にそれを持たせた。

 昴の言う通り、『記憶を消すための具体的な行為』を知っているのとそうでないのでは心構えや対処が大きく変わる。あまり打ち明けたくない事項であるものの、ここまで神の事情を打ち明けたのだから今更だろう。


「呪文を唱えるだけでいいなら楽でいいんだが、実際は少々手間がかかる行為だ」


 面倒そうに言いながら、百合は右人差し指を自身の右瞼にとんとんと当てる。


「涙だ」

「涙?」

「神の流した涙を呑ませる。それが、神との縁を断ち切る方法だ」


 神の涙を呑む。なんて神秘的で、ロマンチックなんだろうと、乃愛は思った。

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