第二十二話 涙を呑む。
フランスから戻った昴と、兄を迎えに来た乃愛が空港を出でバスターミナルへ向う道中、一人の女性に声を掛けられた。その女性は、「珊瑚と申します。一緒に来てください。百合が待っていますので」と、とびきりの笑顔を浮かべる。あ、この人は神だ、と直感した乃愛は、困惑する兄の腕を引っ張り、珊瑚の後を素直に着いていった。
着いた先は空港の駐車場、目の前には黒いリムジン。こうして、生まれて初めて乗ったリムジンの中で、小野兄妹は神々と対峙することとなった。ここが自分の人生のハイライトだな、などと乃愛は考えながら、神の前で偽りは述べられないと、ありのままを供述し始める。
隣に座る兄は終始困惑していた。アニメのような展開で、本来なら笑い飛ばすところだが、再びフランスへ渡った自身の行動に疑問を頂いていた昴は、”そういうことなのか”と半分納得し、”いや神様なんてあり得ない”と半分反発した。けれど自身の不納得など気にするものはこの場におらず、話は続けられていく。
乃愛は例の動画を神々に見せた。水村は運転手を務めているため、百合と珊瑚の二柱が映像を確認。彼らは絶句していた。神々にとっても今回の件はイレギュラーだったようだ。けれどすぐ、『なぜ昴だけ百合の力が及ばなかったのか』についての考察を兄妹に説明した。
「その絵本のどこかに、神が手ずから作ったものが仕込まれていたんだろう。そういったものがあると、神の力がぶつかり合い無効化する場合がある。滅多に起こらないことだが」
使いどころのない豆知識だと昴は思った。自分達以外の人間に口外は絶対禁止ときつく忠告されたので、この知識を披露する日は来ない。また、全てが終了した暁には神々に纏わる一切が記憶から消失するようなので、この会話や貴重過ぎる神知識を入手しても意味がない。
リムジンは今、倉田朝市と塩田憩が入院する病院へ向かっている。乃愛が朝市へ動画を送ってしまったのでそれを削除するのが主たる目的だが、神々にはもう一つ目当てがあった。それは、この人間達を使い、ある人物の情報を得ること。
その昔は、信じられるごく少数の人間には正体を明かし、共生していた時代もあったが、今現在は人間とは一線引いて生活し、いかなる事情があろうと正体を明かすことは許されていない。また、神と感づかれればその人間が誰の恋人・友人・家族だろうと直ちに記憶を消さねばならない。従えないならば神々が本来暮らす場所へ戻る。この国の最高神・アマテラスがそう定めた。
しかし常に監視の目があったり、互いの行為を密告し合ったりするわけではないので、皆少なからず定めを破っている。よって、今回のケースもごく一部の神々の中で留め、アマテラスに知られぬよう水面下で動き、短期間で決着をつけようと百合は考えていた。
後であれこれ質問されても面倒だと考えた百合は、答えられる範囲で乃愛の疑問に答えてやった。
「神様は人間の姿をしているのですか?」
「いや、人間の身体を借りているだけで本来の姿は違う」
「え!じゃあ今、百合月人さんの身体を乗っ取・・・い、いや、憑依している状態ってことですか!?」
「間違ってはいないが正しくもないな」
神の事情を人間に説明した経験がなく、どう伝えていいか百合は悩んだ。ただ、身体を乗っ取る、という表現は間違いではない。確かに神は人間の肉体に憑依するのだから。
「この肉体はね、本来、産まれるはずのなかった命なんだよ」
適切な表現選びに悩む百合に変わって、珊瑚が答えた。
「流産や死産、本来であれば潰えてしまうはずの肉体に宿ってるの。私達が宿ると丈夫になるからね、生命維持装置みたいなものかな。だからこの肉体から私が抜ければ、肉体は死ぬ。乗っ取っていると言われれば確かにそうなんだけど、そうしなけければこの人間はそもそも産まれていない。本来の姿は幽霊みたいな感じで人間には見えないし触れられないんだよ。浮いて移動できるし、食事も睡眠も排泄も必要ないから楽ではあるんだけど」
「それに宿るのは人間だけではなく、動植物、岩、樹木、建物なども可能だ。むしろ最近はそっちの方が主流で、人間やってる神の方が少ない」
「え、なぜですか!?」
珊瑚、百合の説明に食い気味で重ねて質問する妹の逞しさと適応力に、昴は脱帽した。こういう時、やはり女の方が強いのだろうか、と。
「理由はいくつかあるが、例を挙げるなら、人間生活が複雑化していったから、だな」
「複雑化?」
「珊瑚の説明通り、神が宿るものは須らく丈夫になる。寿命も格段に延びる。老けるのもコントロールできる。そうすると周囲とのギャップが生まれる。これまでは頃合いをみて姿を消し、別の土地で暮らすなど出来ていたが、近年はそれも難しい。戸籍制度は昔からあるが、誤魔化しがいくらでもできたからな。今はどこへ行っても自らの証明を求められるし、どこかに属していないと生活が成り立たないだろう」
日本では否が応でも小中学校へ通う。高校と大学まで卒業する場合は通算16年近くも勉学に励むことになる。その間、家庭では普通の子供のように振る舞い、学校では不特定多数の人間達と過ごしていかなければならない。時には、神として不本意な行動も強制されるし、人間同士のトラブルに巻き込まれたりもする。また無事に学校生活を終え、親元から姿を消せても人間達に囲まれながらの労働が待っている。人間が生み出すコンテンツは魅力的だし、食事もたまらなく美味しい。けれどそれらのために苦しい人間生活に耐えるかと問われれば、多くの神は首を横に振る。それならば、今まさに食事をする人間を見つけて、身体を乗っ取ればいい。そして食事が終わったら速やかに離れる。こういった行為はそれなりに多くの神がやっているらしい。長期に身体を乗っ取らないのは、乗っ取った相手の記憶は共有されないので、人間の素性を下調べしてから実行しないと周囲に上手く溶け込めないことが予想されるため。また、乗っ取っている間の記憶は人間側には残らないようだ。
「そこまでの苦労をして人間になる価値を見出せない神は多い。今人間をやっている神は、相当の物好きか、相応の理由がある奴だけだな」
まあ、それは確かにそうだな、と昴は思った。実体のない幽霊状態を自分なら望む。腹も空かないし、労働と睡眠が不要ならその分好きなことを好きなだけ出来る。
しかしそんな昴の考えなどお見通しなのか、百合はこう付け加えた。
「労働が不要なのはあくまでこの地球上での話であって、僕らが本来いる場所では労働に近いことはするぞ」
「あ、ああ、そうなんですね」
声が思わず上擦る。基本的に、人間の思考や気持ちを読む力はどの神も持ち合わせていないが、それを知るはずもない昴は、目の前の神に心を悟られぬよう不要な考えを排除しようと必死だ。
「本来いる場所ってどこですか?天国?天界・・・あ、高天原か!」
「人間が知る必要はない」
「え~!?」
妹の天真爛漫さが眩しい。疲弊していく兄の精神状態など気にも留めず、乃愛はとある質問をする。
「あの、人の肉体に宿る神様を見抜ける人間は存在しますか?」
その問いに、今度は百合が食い気味に「あり得ない。そんな人間は存在しない」と、強い口調で即否定した。
「人間がよく言う超能力や第六感というものの存在を否定はしない。異常に勘の鋭い者は確かにいるし、人間に見えるはずがないものを見てしまう者も一定数いる。しかし、それと神の存在を自覚できるかは全くの別物だ」
「でも、じゃあ、憩ちゃんは――」
友人の名前を出してしまったが早まっただろうか。心は読めずとも、乃愛の顔にはそう書いてある。続きを話すべきか否かを思案して、一度名前を出した以上、相手が神であるのだから隠し立ては意味がないと、結論から話した。
「い、憩ちゃんは、神様の存在を知ってます。なぜ知っているのか私には分かりません。でも、人間に正体がバレることはないんですよね?例えバレてしまってもその記憶を消せるし、消された自覚さえ残らない。消えた記憶は齟齬がないよう頭の中で上手く修正されるって。だから私達にもこうして話して下さっている。でも、彼女は神の存在を知った上で、記憶を消された自覚もあるそうです。6年前に記憶を消されたと思う、とまで。それに・・・」
そこまで一気に話し、軽く息を整えてから「斎藤さんも神様だって、憩ちゃんは言っていました」と、疑念を吐き出した。
車内には沈黙が流れる。それまで滑らかだった百合と珊瑚の口は一文字に結ばれ、眉根を寄せている。
この人間達を利用するためには、塩田憩の身に起きた出来事をある程度伝えなければならない。問題はどの程度まで話すか、だ。神の存在を素直に受け入れて指示に従う意味を見せる乃愛と、非現実な話をされても騒がず冷静に状況を分析しようとする昴は神々から見ても好ましい人間だった。兄妹の身辺を少し調べたが、親類縁者は少なく、友人・仕事関係も限定的だ。程よく世間に揉まれているようだし、突然気が変わって約束を反故にし、SNSにこの件を書き込むような馬鹿な真似はしないだろう。
まあ、この程度は話さねばならないだろう、と判断し、百合は重い口を開いた。
「憩さんの言う通り、斎藤未来は神だ。僕らは佐藤と呼んでいる。出会ったのはストーカー事件がきっかけとお前達には説明しているようだが、佐藤と憩さんは昔からの仲良しだ。出会いの経緯や時期ははっきりしないが」
「な、仲良しって」
佐藤と憩の関係を“仲良し”と表現したのが面白かったのか、珊瑚はケタケタと笑い出す。笑う珊瑚をひと睨みし、言葉を続ける。
「恋人同士かは僕らにも分からん。そうにしか見えないが、本人たちが否定するからな。まあ、あいつらの真の関係性は置いておいて、とにかく、そんな親しい2人が別ったのは、6年前の建設現場の足場崩落事故だ。覚えているか?」
「あ、ああ、はい、塩田が巻き込まれたやつですよね。覚えています」
「その日、佐藤と彼女は一緒にいたらしい。家路に着くために別れた直後、塩田憩が事故に巻き込まれた。佐藤はすぐ駆け付け、応急処置をし、救急車も呼んだが、このままでは命が危ないと判断し、高い治癒能力を持つ神に願い出て治してもらうことにした。運の良いことに彼女が運ばれた病院には看護師をしている神がいて、その者の手引きによって病室に入り、治療がなされた。いきなり傷が治れば人間達に怪しまれるから複数回に分けて」
「百合さんが治さなかったんですか?」
乃愛の問いに百合は首を横へ振る。
「当時、日本にいなかった。それに本来治療は専門外だ」
「え、でも、朝市のことは助けてくれたんですよね?」
「僕にも出来る程度だったからな。出血を止める、傷を塞ぐ程度のことしか出来ない。あれが複雑な裂傷だったら無理だった」
「でもでも、傷を治せる時点でかなり凄いんだよ~。治癒能力がある=高位の神って認識でOK!」
「珊瑚、そんなフォローは要らん」
と、言うことは珊瑚に治癒能力はないのだろう。確か、山の神の娘とか言っていたっけか。ついさっき、手の平に乗せた米粒大の種から花を咲かせてみせてくれた。運転席の男は火を操ると言い、自らの手に炎を宿してみせた。炎に違いないのに、1メートルの距離にあっても熱さが感じられず、不思議なゆらめきがあった。普通の炎ではない、と兄妹にもすぐ分かった。




