第二十話 緊急会議
新百合ヶ丘駅の駅構内にて、時の流れが止まった静寂の中、人間から神と呼ばれる者達は人助けをしていた。
血まみれで横たわる青年の傍らには、老齢の婦人と、青年の友人らしき男性が悲痛な顔をして固まっている。そんな彼らを取り囲むように、百合月人、水村蛍、それから若い女性が立っている。
病院で治療可能な程度に青年の容体が回復したのを確認すると、手に付いた血を拭ったハンカチを水村に押し付けるように渡して、百合はため息を吐いた。随分と不服そうだ。対照的に、女性はにやりと笑い、血まみれの青年と百合を交互に見ながら言う。
「こういう人助けは珍しいじゃないですか。この子、ツキヨミが助けてくれなきゃ死んでましたね。助けたのは、やはり憩ちゃんの友人だからですか?」
「違う、佐藤の顔を立ててやったんだ。全くあいつ、突然連絡をよこしたかと思えば、「新百合ヶ丘駅の時間を止めて怪我人を治療してください」だぞ。軽々しく言ってくれる」
「でもたまたま俺らが近くにいてよかったですよ。時を止める範囲も時間も短いに越したことないんですから。その点、この子は運もよかった」
水村はそう言いながら、血の付いたハンカチを握りしめると、途端に青い炎が右拳を包む。着火音もなく静かに燃え上がった右拳は、ハンカチだけをみるみるうちにチリ一つ残さず燃やし尽くした。水村の右手は何事もなかったように無事である。
「乃愛ちゃんって子はどうします?探しますか?」
「いやいい、この人混みから見つけ出すのは時間が惜しい。それよりもう行くぞ」
百合は今しがた自分が助けた青年ではなく、傍らの婦人を一瞥して、水村と女性を連れて足早にその場を離れていく。10メートルほど距離を取り、人混みに紛れたところで、時は再び動き出す。
こんな裏場面があったことを人間達は知るはずもなく、百合達の背後では悲鳴、動揺、恐怖が渦を巻いている。
駅の少し外れに路上駐車していた覆面パトカーに、運転席に水村、後部座席の右に百合、左に女性が座った。車が走り出してから、派手なネイルが施された長い爪をいじりながら女性が口火を切った。
「佐藤、やっぱり憩ちゃんと接触持っちゃったんですねぇ。しょうがないかぁ」
「珊瑚、お前が佐藤に彼女のストーカーになればいいとけしかけたと聞いたが?」
「ええ?誰がそんなこと言ってんですか~?まあ確かに、憩ちゃんを陰から見守ればいいと佐藤に言いました」
「言ってるじゃないか」
「だって、憩ちゃんを失った佐藤が一気にマイナス10歳くらい老け込んで、肌艶も悪くなって、白髪も出てきて、身体もどんどんやせ細る一方だったから、つい。ほら私、今、ネイリストやってるじゃないですか?だから見た目を整えることに敏感になっちゃってて。でね、直接的な関りを持つのはNGでも、陰ながら見守るのはOKじゃない?って言いました。だって皆そうしているわけだし。でも結局、そのおかげで本物のストーカーから憩ちゃんを守ることが出来たわけですし。結果オーライじゃないですか」
美しい顔の真横でOKサインを指で作り、女性改め珊瑚は無邪気に笑う。運転席からも珊瑚へ援護射撃が入る。
「そうですよ。あの頃の未来君、ろくにご飯も食べてなかったんですよ。冷蔵庫から人参だの大根だのきゅうりだの取り出してそのままかじってましたから。あれじゃ野菜スティックとも呼べないです。せめてあのカロリー高そうなソースを付けてくれてたらまだ良かったんですけど、ありのまま食べちゃってたから・・・」
「そういう問題じゃないだろ。それに人間の肉体でもしばらくは飲まず食わずでも生きていけるぞ。半年くらいなら平気だ」
「実体験ですか!?誰がそんな修行僧みたいなことしたいんですか。珊瑚さんの言う通り、未来君のおかげで憩ちゃんは助かったんです。そこからまた縁が生まれたのだとしてもそれはもうしょうがないです、不可抗力です」
「そうだそうだ!それで、佐藤はそのストーカーを再起不能のボコボコにしてやったんだろうね?あいつってああ見えて結構パワー系じゃん?腕引きちぎるくらいなら私が許す」
「引きちぎってはないですけど、骨折ってましたね。まあ、刃物を持っていた相手に手加減できなかったという体で正当防衛を成立させました」
「当然だね。そこから、互いに惹かれ合ったのか~」
「彼女は恋人関係を否定して、友人だと強調していたぞ」
珊瑚と水村の盛り上がっていた会話は、抑揚のない百合の横やりによって静まる。静まったのをこれ幸いと、百合は会話の主導権を握り返す。
「それより今、問題なのは、小野乃愛という人間だ。やはり憩さんが告げ口したのか?」
「それはいくらなんでも無いんじゃ・・・」
遠慮がちに水村は否定するが、彼も断言する材料を持ち合わせていないのか言葉の端が弱々しい。「じゃあ、なぜダイレクトに僕を名指しして助けを求めてきた?」と、強く主張されると、ますます運転席で縮こまる。彼らの上下関係ははっきりしているようだ。警察組織の中でもそうだが、神の順列というのも百合が上司で、水村が部下らしい。
「憩さんがもし、我々との縁が立ち切れた今もなお、人間と神の判別が付いているのだとしたら、いよいよ処遇を考えなくてはならない」
しん、と静まる車内。水村と珊瑚はその“処遇”を望んでいないようで、渋い顔をしている。百合自身も、出来ればそんなことはしたくないと思っている。彼女には、ここから先の人生は穏やかに生きて欲しいし、そのためなら多少の労力は厭わない。だから今回もわざわざ人間同士の諍いに介入し、失われるはずだった命を救った。爆弾事件の時だって、警察組織内で立ち回り、彼女が不利益を被らないよう偶然巻き込まれた被害者と結論付けた。本当に偶然巻き込まれたかは現在も不明だが。
人間に対して、等しく接することを心がけている彼らにとって、塩田憩は唯一特別な人間だ。親が子を思うように、彼女の安寧と幸福を願い、危機があれば守ってやりたいと思う。危害を加えるなど、とんでもない話だ。
けれど、それでも、彼女が神がかり的な力を発現してしまい、人間の肉体を始めとする対象物に神が宿るという超真実を知ってしまったのだとしたら、例え彼女でも見逃すことは出来ない。いや、憩だからこそ放っておけないのだ。死ぬまで誰にもその真実を口外せず、秘密を守り抜くというなら別だが、彼女はおそらくそうしない。周囲に吹聴したり、全世界に動画配信するといった暴露を危惧しているわけでない。彼女の性格上、その類は行わない。しかし、いつどのタイミングで、どのような形かは分からないが、憩はこの真実をもって必ず神々に一泡吹かせてやろうと行動するはずだ。彼女はそういう人間だ。それが分かっているから、憩をそのままにしておけないし、何かしらの対処を検討せねばならない。
新宿の外れの駐車場に停車すると、百合は再び時を止めた。止まった時間の中で、彼らは素早く車を降り、近くの喫茶店へ足早に向かう。喫茶店『アンチクトン』のガラス戸にはCLOSEDのプレートがぶら下がっているが、百合は構わず戸を引く。鍵は開いていた。そのまま無遠慮に店内に侵入し、客席を抜け、壁際にある本棚に立ち止まる。天井の高さほどある本棚にはびっちり歴史書、小説、洋書やらが収納されている。
その本棚の前に立ち、百合は大きくも小さくもない声量で言う。
「僕だ、佐藤。開けてくれ」
4秒ほどの間を置いて、ギギギ、と木の軋む音を立てながら本棚がゆっくりと左側へスライドしていく。シンプルな仕掛けだが、本棚で仕切られた向こうには部屋があった。そして、この店の店主・佐藤未来によって戸は開かれた。
古臭い眼鏡を掛け、くたびれたチェックのシャツを着る佐藤の姿を見た瞬間、珊瑚は思わず噴き出した。
「ぶはっ、なにその恰好!ダサッ!ダサさが絶妙!蛍に聞いた通りだわ」
珊瑚に指を指されながら爆笑されても、佐藤は少しも苛立たないし、気にならない。なぜなら、あえてこういうダサい格好を選択しているのであって、本来の自分はたぶんダサくないからだ。神仲間や人間達から服装を「ダサい」と指摘された経験はない。なにより、自分の命より大切な人はこのスタイルを「可愛い」と気に入ってくれているから他者からの感想などどうでもいいのだ。
開かれた室内は存外広い。12畳はあるだろうか。その空間の中央には楕円のテーブルと椅子が配置されている。窓はないので、明かりはテーブル上に置かれたロウソク3本のみ。
本当にただの空洞でしかないそこに、既に6柱が着席しており、クッションを重ねて座高を高くした椅子には白い兎、長毛の黒い猫の2匹が悠然とくつろいでいる。兎も猫もれっきとした神であるので、佐藤を含めこの空間はは既に7柱がいる。そこへ百合達が加わると、途端と過密空間になった。




