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君の手のひらで踊りたい。  作者: 田邑綾馬
第Ⅱ章 承

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第十八話 だって、彼は。

 昔から思い切りのいい兄だったけれど、まさかここまでとは。

 兄のすばるが消えていった玄関を見つめながら深いため息を吐き、天を仰いだ。騒めくこの場を治めるのは妹の仕事だろう。そう思い、皆を安心させる意味も込めてとびきりの笑顔とスパイスの効いた嘘を吐いてやった。


「お兄ちゃん、蚤の市で出会った女の人のこと好きになっちゃったみたいでぇ、急に会いたくなって行っちゃったのかも!」


 当然、皆は驚愕していた。いつき君なんて椅子から転げ落ちていた。

 こんな嘘は兄が帰ってきたら即バレするし怒られるだろうが、突発的な行動ばかり取る兄へのささやかな意趣返しも含まれた妹の可愛い嘘だ。許されて然るべきである。


 兄は高校を卒業後に地元の工場に就職したが、先輩のパワハラによって5年目で退職した。当時私は19歳で、短大2年生。歯科衛生士の資格を取得し、就職先も決まっていたので、そのタイミングを狙って兄は先輩を殴ったのではないかと推察している。


 うちは母子家庭で、唯一の保護者である母はパチンコ通いが辞められない放任主義者。その上、彼氏をころころ変えては長く家に帰らないことも多く、私の面倒は兄が見てくれていた。まあ、さすが週に2度は必ず帰ってきたし、暴力や暴言もなかった。また、彼氏を家に連れ込むがなかった点は感謝している。良い母とは言い難いが、お茶目で明るく、憎めない人なのだ。それに、うちより酷い家庭がこの世には履いて捨てるほどあることも分かっている。


 私の就職を見届け、入れ違うように、一念発起した兄は、映像制作やプログラミングなど学べる一年制の専門学校へ入学した。そして、がむしゃらに勉強し、がむしゃらにバイトをし、睡眠時間を削って投資や社会保障の勉強もした。よほど工場勤務が堪えたのか、どこかに属さなくても、誰かに教えを乞わなくても、自分の力だけで生きていけるようになるという強い意志を感じていた。

 適度に会社という組織に属しながらも個の力が問われる、そういった仕事の方が兄には合っていたようで、以前より収入は上がったようだ。自由も増えた。


 あとは単純に、個人事業主の方が時間の自由が利く分、樹君達の力になれると考えたのだろう。あまり群れたがらず、一線引いていると思われがちだが、兄だって彼らを大切に思っている。何だかんだ、樹君達には弱いし、甘い。


 兄はあの絵本を見て何かに気付き、絵本を持って出て行った。あの絵本をくれたのは、蚤の市で出会った女性だと兄は言っていた。(私も二度ほど面識のある。確かテラという名前だ。)

 自身で定めたタイムリミットは、樹君の誕生日である5日後。それまでにフランスへたどり着き、いつも必ずあの蚤の市にいるとは限らないテラを見つけ出し、事情を聞き出すことが出来るのか。あの女性も神様かもしれないのだ、何かも正直に打ち明けてくれるとは考えにくい。最悪の場合、正体を知った兄を――。


「あれ、もしかしたらマズイのかも」

「え!不味い!?ごめんね」


 隣で、今宵こよいちゃんがショックを受けたように謝ってきたところで、彼女自作のマフィンを食べている最中であることを思い出した。いこいちゃんへのお見舞いの品として作ったらしいが、あのイケメン神警官の登場で渡しそびれてしまい、私達がご相伴に預かることに。お世辞抜きでとても美味しいのに、心配事と状況が絶妙にリンクして失言となってしまった。慌てて否定し、素直に考え事をしていただけだと説明するが、気にし過ぎる今宵ちゃんのことだから落ち込んじゃうだろうな。本当に、お店で出せるくらい美味しいのに。

 とにかく話題を変えたくて、星野さんの誕生日プレゼントについて言及する。


「樹君の誕生日の前日だから、5月13日だよね。あと4日じゃん。お皿はこれね、包装もお洒落なのにしようよ。今宵ちゃんラッピングも上手だもんね。お願いします!」

「いやぁ、それほどでもないよ。文庫本のカバー付けなら誰にも負けない自信あるけど」


 実際、手先が器用で丁寧に作業する今宵ちゃんのラッピングスキルは高い。本のみならず、大抵のものは綺麗に包装してくれる。

 荷物から慎重にお皿を取り出して見せると、樹君は顔をほころばせて喜んでくれた。今宵ちゃんが作って来てくれたマフィンやクッキーなど並べたら栄える器で、縁にクローバーが描かれている。日本の絵付けと異なって、力強いタッチと鮮明な色合いが特徴的。


「四つ葉のクローバーがお姉さんとの思い出らしいから、いいプレゼントになるよ。ありがとうね、乃愛のあちゃん」


 和む笑顔だ。樹君は刺激物を一切含まない男性だから、一緒いても心が逆立たない。温かく優しいものを与えてくれる側の人だ。(今宵ちゃんもそっち側の人。)

 樹君と交際している一華いちかちゃんも、きっとそういう温かな部分に惹かれているのだろうけど、皿を無条件に褒める彼氏を前に、クローバーの怖い花言葉について語り出した。

 男女関係は同じ属性で付き合うよりも、あべこべ、でこぼこに見える2人の方がうまくものなのかもしれない。


「クローバーってさ、『復讐』って花言葉があるらしいよ。知ってた?」


 今宵ちゃんを除いて、私も知らなかったのでびっくりした。幸福の象徴として君臨しているくせに、復讐の花言葉も持っているなんて欲張り過ぎやしないか。

 さすが本屋の娘、今宵ちゃんは一華ちゃんの言葉を補足する。


「一般的には『幸運』とか『約束』でいいんだけど、その『幸運』や『約束』が叶わなかった時、『復讐』に変わるって意味だったと思うな。だから普通はプラスの意味合いで問題ないよ」


 なら、幸運を奪った奴、約束を破った奴に贈る時は『復讐』という意味になるのだろうか。


 今宵ちゃんの説明に頷きながら、皆同じく、有りもしない“もしも”を空想していたと思う。

 星野ほしの光子みつこさんの父親と姉が無理心中したことや、姉の恋人・佐藤未来の素性が全て嘘であったこと、あの一家を取り巻く異常な経歴が、クローバーの花言葉を『幸運』ではなく『復讐』の方に変えてしまう。

 あまりにも不謹慎で失礼、朝市君の恩人なのだから口には出さないが、ifを考えてしまうのを止められない。

 そんな空想を打ち消したかったのか、朝市君がプレゼントを渡しに行くと言い出したのだ。


 今宵ちゃんが梱包し、朝市君が手渡す。素敵な誕生日になるだろう。当日は見守りに行こうと朝市君を除くメンバーで話をし、長い一日は終了した。

 皆と過ごしていると、薄情ながら兄の心配をしなくても済み、神様の存在も忘れられた。


 3日経っても兄から連絡はない。これは樹君の誕生日には間に合わないかもしれないな。友人の誕生祝いに駆け付けられない心配はしても、兄自身の安否はそれほど気にならなかった。兄ならきっと大丈夫。これと言った根拠はないが、確信している。(ただ単純に私が薄情なだけなのかもしれない。)


 そしてとうとう星野光子さんのお誕生日がやってきた。私、樹君、一華ちゃんの3人は、緊張を背負う朝市君の丸めた背中をにやにやしながら追い、彼女の暮らす駅までやってきた。時折深いため息を落とす朝市君に、樹君と一華ちゃんは「リラックス!楽しんで!笑顔で!」「いつもの朝市でいけば大丈夫だから」と、まるで息子の部活動の試合を見守る夫婦さながらにエールを送る。私はそれを眺めて笑う。


 小田急電車に揺られ着いた新百合ヶ丘駅、光子さんの自宅は駅からかなり離れているが、今日はお祝いのため駅近でお茶することになっていた。ご自宅に伺うか、ちゃんとしたレストランを予約しようと提案したが、どうやらご自宅の隣に大型のマンションが建設中らしく、平日昼間は騒音がピークとなるため脱出したいらしい。(電話の向こうからも工事音が聞こえたと樹君が言っていた。)また、気取らずゆっくりお喋りしたいという申し出から、大衆向けのカフェが会場に選ばれた。


 子供時代の頃よりずっと綺麗に改装されていた駅構内を仰ぎ見て、思わず感嘆の声を上げる。私達の地元駅からは新宿へも乗り換えなしで行けるが、こちらの方が用事が駅近くで完結するし、雰囲気も落ち着いているので、子供が遊ぶには丁度いい。最近は訪れる機会はめっきり減ったが、兄や友人達と通った思い出の場所である。


 緊張から無口が加速し、何のための長い脚なのか、ちょこちょこ歩きの朝市君の背中を押しながら、駅を出てすぐの商業施設内のカフェへたどり着いた。量が多いことで有名な、私達もよく知る人気の店だ。


「ここ人気だし、まだ時間あるけど先に入って待っていよう」


 リーダー・樹君の指示に従い、私達はのちに来る星野さん含め5名と店員さんへ伝えて入店した。席に通され、メニューを眺めるふりして、皆は朝市君の様子を伺う。

 緊張を超え、呼吸が浅くなっている。目線はメニュー表に向かっているが、絶対その目に映っていない。いや、緊張し過ぎじゃない?と私なんかは思うが、朝市君の立場ならそうなってしまうのだろうな。


「星野さん来たら、逆に俺達いない方がいいかもな」

「なんで!?」


 終始無言だった朝市君の、渾身の「なんで」が出た。


「だって、その方が話し易いと思うよ」

「そんなことないって。俺、何を喋っていいか分かんないし、お前がいた方がいいって。いつもは樹が商品案内してんだし」

「でも、俺達いると喋りにくいことあるだろう。星野さんもお前と2人で話したいと思うよ」

「そ、そんな・・・」


 この世の終わりかのように頭を抱えるので、樹君が慌てて折衷案を提案する。朝市君は相変わらず見た目はイケてるのに、ちょいちょい情けない部分が出る。一方、情けないモードの彼をたしなめるのに飽きたらしい一華ちゃんはメニューを読み込んでいる。


「じゃあ、最初は皆で話して、場が温まったら2人になればいいよ。きっちり30分くらいしたら店外から声かけるし」

「それ本当だな?本当なんだよな?」

「本当だよ。いや、こう言ったらなんだけど、詐欺が出来てたんだからこのくらい大丈夫だろ」

「それは言わない約束だろ!」

「あ、そうだった、ごめん。ついうっかり」

「いやいい、俺が全て悪いんだ、不甲斐ない。そうだな、うん、むしろ俺が星野さんを迎えに行く!」

「えっ」


「迎えに行く!」と突如宣言し、朝市君はこちらが制止するのも無視して店を出て行った。優柔不断なのか、思い切りがいいのか分からない人である。


 朝市君が星野さんを連れてくるまでの間、とりあえずドリンクを注文し、暢気に会話を始めた。樹君の誕生日は夜にオフィスでパーティーしようとか、2か月前に勤め先の歯科院長からのセクハラで離職した私の再就職についてだとか。話していると、あっという間に時は過ぎ、スマホで時間を確認すると、約束の時刻を既に15分過ぎていた。星野さんが遅れているのか、それとも話が盛り上がっているのだろうか。


ふと、フロアのざわめきを感じた。ざわめきは一階から伝播してきているようで、他の客も従業員も何事かと通路へ出てくる。次の瞬間、叫び声が響いた。


「駅で人が刺された!通り魔だ!人が倒れてる!」


 耳に飛び込んできた台詞に、ぞわっと肌が一気に泡だった。その刺された人達の中に、友人がいるかもしれないと想像してしまったからだ。けれどすぐ想像を打ち消す。実際に怪我を負っている人がいる手前申し訳ないが、きっとこの騒動に朝市君と星野さんは関係ない。刺されたのは彼らじゃない。騒動のせいで野次馬が酷くてこちらに来れないだけ。私達が会計を手早く済ませて駅へ向かおうとしているのも、彼らの無事を念のため確認しに行くだけ。こちらから迎えに行こうとしているだけ。


 自分自身に言い聞かせて、エスカレーターを駆け下り、出入口へ降りると、一階フロアは人で溢れ返っていた。皆一様に顔面蒼白で、怯えたように立ち尽くしている。この中に朝市君も星野さんもいない。立ち尽くす人達を押しのけて、すぐ右手にある駅構内へ走ると、そこもまた人だかり。また人を強引にかき分けて進むと、そこは血の海だった。走る足が止まり、動けない。恐怖心からではない、犯人らしき男は既に警官に取り押さえられている。動けないのは、血まみれで倒れている男性が、さっきまで一緒にいた友人であるかもしれないからだ。すぐ5メートル先の人物をはっきり認識できないくらい、私の瞳は濡れていた。


「朝市!!」


 血の海に倒れ込む親友を見つけて、樹君は大声で名前を叫んだ。絶叫に近かった。ああ、やっぱりあれは朝市君なんだ。じゃあ隣で泣いている小奇麗な婦人が星野さんか。

 血まみれの親友の身体に触れるのを一瞬ためらい、恐る恐る手を伸ばす。ここからでも見て取れるほど震えている手で、樹君は朝市君の背中を優しく揺すり、声を絞り出す。「朝市、朝市、どうして」と。泣きながら星野さんが何かを樹君へ訴えている。よく見たら星野さんも手を切っているようだった。

 気付くと隣にいた一華ちゃんもその場へ走り寄り、ハンカチで止血を手伝い始めた。私だけが、他の人々と同じように怯えて、震えて、立ち尽くすだけ。


 どんどん音が遠ざかっていくにつれて、自分の心音と呼吸音が鮮明に聞こえてくる。どくん、どくん、はあはあ。ようやく、そこへ近づこうと足をずりずりと引きずりながら歩みを進めるが、なかなか近づけない。

 早く行かなければいけないのに、素人目から見ても、朝市君は危険な状態と分かる。だから早く、早くそこへ行かなくちゃ。でもそこへ私がたどり着けても、彼はどうにもならない。

 絶望から足が再び停まる。どうしよう、このままでは朝市君は死ぬ。救急車なんて間に合わない。あんなに血が出てる、顔も真っ白、ぴくりとも動かない。このままじゃ死んじゃう。どうしたら、なんでこんなことになったの。助けて、神様。


「――そうだ、かみさま」


 声は、喧騒にかき消された。慌てて身を翻し、ある人物に電話をかけながら人ごみを抜けて、通路の端に身を寄せる。

 お願い、早く出て。願いが通じたのか、6コール目で通話が開始された。しかし相手は聞き馴染みのない男性の声だった。いや、聞き馴染みこそないが、聞いたことはある。この声は憩ちゃんの彼氏、斎藤さんだ。


「すみません!憩ちゃんは!?」

『今、検査で病室にいないんです。緊急ですか?』

「あの、この間病室に来ていた警察官の人の電話番号とか知りませんか?名刺とかもらうでしょ?スーツを着た綺麗な男性、彼に緊急で連絡を取りたいんです!」

『確か、百合さん?』

「名前はわかりません!でも本当に急いでて、早くしないと・・・!」

『外が騒がしいようですね、今どこですか?』

「新百合ヶ丘の駅です!あの、本当に急いでて、このままじゃ、このままじゃ朝市君が死んじゃう」


 しゃくり上げて、ひっくり返った涙声はさぞ聞き取りにくかっただろうと思う。尋常ならざる現実に、のぼせ上ったみたいに頭がぼんやりしてきたか、問われるままに私は答えた。


『なぜ、彼を?』

「だって、かれは、かみさまだから」


 お兄ちゃんは誰にも言うなって言ったけれど、こんなこと、この人だってどうせ信じないよ。リアリストの憩ちゃんの彼氏だもん。きっとめちゃくちゃ科学的な物の見方をするタイプだ。

 けれど彼は、「わかりました。僕から彼に連絡します」と言って、私の神様発言を聞き返すことも訝しむこともなく、静かに電話を切った。

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