第十七話 帰れない昨日
「この人、空港で見かけたよ。出国審査の時、私達の前の前くらいに並んでた。気づかなかった?」
「気づかなかった」
「目立ってたよ、すごいイケメンだったもん。神様ってやっぱりイケメンなんだ~」
「あんなに怯えていたというのにその変わり様・・・。俺は無理だ、受け入れがたい」
「神様も同じ気持ちかもよ。人間を受け入れがたいって思ってるんじゃない?最近の人間って調子乗ってるもんな~。助けたくないその気持ち分かるな~」
「お前は何目線なんだよ。死んでたかもしれないんだぞ、俺達は」
「でもそれは神様のせいじゃないし、結局助けてくれたじゃない」
「半分は副機長の頑張りだ。よって、感謝も半分でいい」
「神様どこに住んでるんだろ~。何の仕事してるのかな?何かしら人間の仕事してるはずだよね?」
「やめろ!これ以上詮索するな!藪蛇になるかもしれないんだぞ」
「けど、謎は解決したいでしょ」
「謎?」
「お兄ちゃんだけが神様の力の影響を受けなかった理由」
「それは、確かに、気になるかも」
「もしかして、・・・お兄ちゃんって何か特殊能力があるんじゃ!?」
「えっ」
「じゃあ妹の私は?まだ目覚めてない力があるのかも!」
「おいおい、妄想が過ぎるぞ。それより、電話口の蛍って男も神なのか――」
「あ!昴、乃愛ちゃん!もう来てたんだ」
フルーツバスケットを抱えている樹に声を掛けられ、俺達はそれまでの会話をやめ、慌てて作り笑いを浮かべる。わざとらしい笑みだったが、人を疑わない樹は塩田を心配するあまりに顔が引き攣ってしまっているとでも思ってくれるだろう。
塩田が入院する病院のエントランスで俺達は集合した。樹、阿部、朝市、三屋が集まり、総勢6人で病室へと向かう。
爆弾事件に巻き込まれて負傷するなんて一大事だし、入院するほどの怪我を負った親友を案じてもいるが、本人から退院の目途が立っていると聞かされていたため、一同の雰囲気は穏やかだ。それよりも塩田の運の無さを嘆く声が多い。それは俺も同意、お祓いしに神社まで連れて行こうと考えていたくらいだ。しかし一昨日にこの身に起った出来事を考えると、軽々しく神社へ誘う気にはなれない。
事前に部屋番号を聞いていたので、直接その階までエレベーターで上がり、病室をノックする。応答を確認してから入室すると、上半身を上げた状態でベットに寝ている塩田と、ベットを囲むように立つ塩田の妹達と、知らない男がいた。
誰だ、こいつ。初見の男に困惑する俺とは対照的に、他の面々は男の正体に心当たりがあるらしく高揚とした様子で、塩田を労わりつつも目線は長身の眼鏡男へ。面々の抑えきれない興奮に答えるように、「こちらが斎藤未来さん。今回、斎藤さんも巻き込まれちゃってさ」と、塩田は簡単に説明した。
斎藤未来って誰だっけ。ぽかんとしてしまう俺をよそに、乃愛を含めた面々は一様に頭下げ始める。「はじめまして!」「お会いしたいと思ってました!」「災難でしたね」「憩をよろしくお願いします!」と、矢継ぎ早に言葉を投げかけるのを眺めていると、はたと思い出した。斎藤未来は最近できたという塩田の彼氏だ、と。冴えないサラリーマンと聞き及んでいたが、想像していたよりも現実の方がいい男だった。派手さはないものの、落ち着いた印象で不思議と目を引く。顔立ちも綺麗だ。女性陣の反応を伺うが、俺と同じく好印象だったようで、とにかく笑顔だ。
そこからは改めて塩田と斎藤さんの無事を喜び、続けて「トラブルに巻き込まれすぎる」「お祓いに行くべきだ」と半ば冗談で言い合った。(お祓い~のくだりは俺ではなく、樹が言った。)
そんな穏やかな昼下がりを終わらせたのは、警察の登場だった。関係者に詳しく話を聞きたいと現れたるはラフな恰好をした警官と、スーツを着た警官の2人組。スーツの警官の方は、女性か男性か認識に迷うほど中性的な顔をした美しい男だった。イケメンで通っている朝市もたじろぐほどの美貌の持ち主で、冷気のようなものを漂わせている。
皆は近寄りがたさから自然とスーツの警官から距離を取るが、俺と乃愛は違う理由でのけ反った。
――こいつだ、飛行機にいた男だ。こいつは神だ!
無意識に唾を飲み込む。鼓動が早く打ち鳴り、動揺から目玉が動き回る。このままここにいては不味い。退出して欲しいと言う男の申し出に喜んで従い、放心状態の妹の腕を引っ張って一同を先導するように病室から飛び出た。エレベーター前で塩田の妹達と別れ、一階に降りるまでの間、頭の中は大混乱だった。
あいつは本当に警察官なのか?神が警官をしている?なぜ?そういうものなのか?なぜ爆発事件に関わってきた?管轄なのか?分からない、分かるはずもない。
塩田の無事は確認できたし、塩田の彼氏との対面も叶ったし、美形の警察官も拝めたし、話題が豊富に提供された樹達の口はよく回った。俺一人喋らなくても気にならないほど会話に花が咲いている。
「そういや昴、例の蚤の市には行ったの?この後オフィス来るよね?商品チェックのついでに皆でパーティーでもしようよ」
樹の続けざまの提案に答える前に、阿部が「それってパーティーなの?」と茶化すように笑う。会話をする気分では正直なかったから、阿部の横やりが有難かった。
「塩田のとりあえず無事の祝いと、小野兄妹の帰還祝い。あともうすぐ俺の誕生日だし!」
「それはちゃんと祝うよ。つーかそういうの自分で言わないからな」
指折り数えて、パーティーの名目を数える樹に、朝市が笑いながら突っ込む。皆も笑うので、俺もつられて口角が上がった。少し、緊張がほぐれてきた。妹も同じようで、すっかりいつもの調子に戻っている。
自分で自分の誕生祝をしようと提案する樹は、いつも自己肯定感が抜群に安定している。そしてそんな樹の周囲はいつも笑顔で満たされ、温かでいて爽やかな空気に包まれている。
樹は自分の誕生日をあえて盛大に祝ってもらいたがる。お袋さんの件で、俺達に気を遣わせないためだろう。
樹が社会人なりたて一年目の5月14日、樹の母親は電車に轢かれて死んだ。立ち往生していた老人を救うため自ら踏切に入り、電車と衝突した。樹の23歳の誕生日の出来事だった。老人は無事だったが、一年後に病気で亡くなった。それを聞いた時は、誰にもぶつけようのない憤りが湧いた。樹のお袋さんは元より、電車の運転手に一切非はないし、線路に足を取られて転んでしまった老人だって責められない。だから、ぶつける相手のいないこの憤りは、俺達の中でいまでも燻ぶり続けている。
「俺の誕生日もすぐだけど、星野さんの誕生日も5月なんだよ。しかも前日の13日!」
「じゃあ朝市、お前プレゼント届けに行けよ」
にやっと笑って言うと、朝市は何とも言えない複雑な表情を作る。迷い、葛藤、戸惑い、あとは気恥ずかしさが混じったような顔だ。被害者(未遂)と加害者が事件以後も関りを持つとのは非常に珍しいと思うが、これは星野さんが望んでいること。朝市の置かれた状況を知り、力になりたいと星野さんは言ってくれたのだ。朝市自身は申し訳なさから拒否していたが、俺達は彼女の言葉に甘え、お得意様として助けてもらっている。
合わせる顔がないのか朝市と星野さんの再会は叶っていないが、これはいい機会だ。ちょうどフランスから仕入れてきた絵皿の中には、星野さんの好きなクローバーが描かれている中皿がある。これを日頃のお礼を含む誕生日プレゼントとして、朝市が渡せばいい。提案すると即却下するが、樹や阿部達は乗り気だ。あとは皆が朝市を丸め込んでくれる。朝市は何だかんだ俺達に弱いのだ。
そんな話をしながらオフィスに着いて、とりあえず一杯お茶を飲み干し、さあそろそろ昨日の内に運び入れて放置していたフランス直輸入の商品を広げるかと重い腰を上げる頃になると、飛行機内での出来事も、塩田の病室で会った男のこともすっかり忘れていた。あんなにも強烈な事象を、例え一時でも忘れられるのだから俺の頭はやっぱり馬鹿なのだろう。(それか、相当疲れている。)
「あれ、これ、絵本?」
湾曲してしまった古い絵本を、本屋を営む三屋が憐れみの表情で撫でている。ごめん、俺がそうしてしまったんだ。口に出して言えないが飛行機内でとんでもないことが起こって――。
その絵本は蚤の市で、あのテラという女に貰ったもの。三屋の「絵本?」というたった3文字の問いかけに、稲妻が走った。青天の霹靂、とはこういう感覚なのかもしれない。
椅子から腰を上げると、勢いが付いていたのか、各々好き勝手会話していた声がやみ、視線がこちらに集中する。視線を集めたのをこれ幸いに、俺は宣言した。
「ごめん、俺、行ってくるわ」
「え?どこ?コンビニ?」
「フランス」
ちょっとそこのコンビニに行ってくる、みたいなテンションで言ってしまった俺が全面的に悪いが、行先はここから14時間かかる海外。てっきり「うん、コンビニ」とでも返されると思っていた朝市はぽかんとしている。他も似たり寄ったりの反応だった。
「樹の誕生日までには戻ってくるから。乃愛のことよろしく」
「待って、お兄ちゃん」と、叫ぶ妹の制止も振り切り、財布とスマートフォン、それから三屋から絵本を受け取り、オフィスを飛び出た。なるべく早くフランスへ着きたい。当日は無理でも、最悪明日には出発したい。飛行機には若干のトラウマがあるが、殺人自殺など早々起こるものではないと祈っておくしかない。(あと、シンプルな事故なども起こりませんように。)
あの時、俺だけが、神の力が及ばなかった理由。それはこの絵本にあるかもしれない。断定はできない。でも、否定もできない。この絵本がもしそういった力を持つなら、絵本をくれたあの女もまた神の可能性がある。神が日本にしかいないなんて考えられないし、あの女はきっとフランスの神なのだ。
人に聞かせたら笑い飛ばされてしまうような妄想を、俺は真面目に考察している。
もう、俺の世界は変わってしまったのだ。元の世界へは戻れない。




