輪廻転生(三)
目尻に滲んだ涙を拭いながら乃愛は安堵のため息を吐いて、思い切り伸びをする。
「いやー、お兄ちゃん、本当に危なかったよね!」
「そうだな」
俺達が今いるのは地上だ。あの後、おそらくは副機長の頑張りで機体は平常に戻り、無事に目的地である成田空港に辿り着いた。機内アナウンスではあの急降下について「乱気流に巻き込まれましたが問題ありません。大変失礼いたしました」と、説明がされ、散乱した荷物などは地上に降りてから客室乗務員によって回収・返却がされた。故障などしていたら全額弁償する、体調不良者には病院へ搬送・治療する旨のアナウンスもされたが、俺達は幸い怪我がなかったので、各々のスマートフォンを受け取り、手荷物カウンターに並んでいる。
「本当に墜落しちゃうかと思った!あー、神様、マジでありがとう!」
「そうだな」
恐怖と絶望から解き放たれた妹は異常に元気で、対して俺は放心状態で、機内の中で感じていたものとはまだ別の恐怖に慄いていた。
例の男を見つけようなどという気にすらならなかった。顔を合わせたら最後、俺が一部始終を目撃していたことを瞬時に見抜かれてしまうだろう。今はとてもポーカーフェイスでいられない。結果的にあの男が乗客の命を救ったも同然だが、自身の正体を知られるくらいなら人命を捨てる選択肢も用意していたのだから、何をされるか分からない。
地震は発生していないのに、足元がぐらぐら揺れている。今の俺は突然地面が割れて、クレーターに落ちてしまっても驚かないと思う。神が実在しているのだから、地面が割れたって不思議ではない。起こり得ないと思っていたことが、実は自分の知らないところで平然と起こっていた。この事実は、俺の世界を変えるほどの力を持った。
常識が総崩れしていくのをひしひし感じながら、ぼんやりとした状態で荷物を受け取り、移動し、あと少しで自宅の最寄り駅に着くという電車内で、妹に「お兄ちゃん」と肩を揺すられ、意識は蘇った。
「ねえ、お兄ちゃん」
もう一度呼ばれ、視線を上げると、ワイヤレスイヤホンをしてスマホで何かの動画を見ている妹が目に入った。妹はドラマやYouTubeを視聴するのが好きで、まとまった移動中は必ず動画を視聴する。今回もそうだろうと思ったが、どうも妹の様子が可笑しい。白い顔をさらに白くして、まるでホラー映像でも目撃してしまったかのように戦慄した表情をしている。そこまで来てもピンと来なかったが、「お兄ちゃん、なにこれ」と、声を震わせながら画面をこちらに向けられ、ようやく事態に気付いた。画面には、例の動画が流れている。今更スマホを取り上げたって遅い。
俺はなんて馬鹿な兄貴なんだろう。妹の世界まで、変えてしまった。




