第三話 叔母の恋人
私・阿部一華と未央さんが親しくなるきっかけを作ったのは、ひとつのキーホルダーだった。海外でしか手に入らないそれをぶら下げてカフェの注文待ちで並ぶ私を見つけ、未央さんから声をかけてくれたのが始まり。
そこから、キーホルダーの入手経路や、中高の同級生と輸入雑貨などを取り扱う会社をしていることを話すと、「素敵!素敵!」と興奮ぎみに賞賛された。また、「応援するからね!」の台詞通り、折に触れて私達の会社を通じて商品を買ってくれている。
縁とは不思議なもので、未央さんは金銭の授受が発生するお客様であるが、妙に気が合い、年齢も二十以上の差があるが、こうしてたまにお茶する友人関係となった。新聞記者からライターに転向した彼女は交友関係も広く話題も豊富で、話していてとても楽しい。
今日も今日とて、春だと言うのに20℃を超える天候の話から時事ネタまでを息つく暇なく喋り続け、一杯目の紅茶を飲み切ったところでようやく会話が途切れた。だが、すぐ未央さんが「一華ちゃんは変わらず彼氏とは順調?」と恋バナを振ってきた。まあ、順調と言えば順調だ。高校3年生から付き合い始め、今年で付き合いは十周年を迎える。「結婚はしないの?」と聞かれるのは当然の流れだ。私も自問自答はしている、いつ結婚するのか、それともしないまま事実婚でいくのか、と。
「会社も立ち上げてまだ3年だし、まだまだ踏ん張り時かなって。忙しすぎてすれ違いってことは無いんですけどね、同じ職場だし、変わらず仲も良いですし」
まるで言い訳みたいだが、本心だ。機能不全ぎみの家庭で育ったからなのか、出産願望があまりない。したがって結婚願望もない。だって、子供がいないなら結婚する意味ってあるの?などと、思っていたりもする。
そんな思いを知ってか知らずか、「今の時代は結婚・出産は必須事項じゃないしね」と未央さんはすかさずフォローしてくれる。まあ、~をしない、~を持たないって選択を肯定するのは大抵持っている側の人だよな、配偶者しかり学歴しかり。(未央さんには優しい旦那さんと娘さんが一人いる。)
「今はとりあえず仕事ですね」
「大切だよね、仕事は。私も仕事してないと自己を保てない」
「未央さんはなんで記者さんになったんですか?きっかけがあるんですか?」
「新聞社に勤めていた叔母に憧れたの。時代的に周りは男ばかりで大変だったろうけど、女性目線の記事を載せたり、校閲したり、取材したり、色々頑張っていたみたい」
「へえ、それはすごい!格好良いですね!」
「そうなの、ずっと私の憧れ。流行りの服をピシッと着こなして、短い髪型もメイクも叔母によく似合っていた。いつもいい匂いがしていたなぁ。忙しいだろうによく遊んでくれてね、デパートにも連れてってくれた」
ティーポットから最後の一杯をカップに注ぎ入れ、名残惜しそうに最後の一滴まで待つ彼女のその表情を見れば、自慢の叔母さんが故人なのだと容易に推察できる。懐かしい、戻りたい、会いたい、けれど叶わない、そういう顔だ。語り口からして、叔母さんは若い頃に亡くなったんだろう。
「叔母は二十四歳で亡くなったの、私が10才の時」
ビルの非常階段から転落死、自殺か他殺か不明な状況だったと言う。未央さんは自殺に疑問を持っているようだが、世間的には自殺と結論付けられて終わったらしい。
新聞社に勤めていた彼女は世間が知らない情報を知る立場にあった。それこそ、政治家や特権階級者達による人身売買に近い少女買春、一部の警察官と暴力団の癒着、海外への国家機密情報の売り渡し、そういった重大事件の記事執筆に携わることもあったようだと、自身の母親から聞いた未央さんは、叔母さんは自殺ではなく他殺だと考えているようだった。
未央さんはおもむろに鞄から車の鍵を取り出して、鍵に付けられているキーホルダーを見せてくれた。『MIO』と、ぷっくりしたローマ字が立体的に並んでいるゴム製のキーホルダーは劣化して薄汚れている。文字の終わりに配置されたリボンらしき物体はかろうじて面影を残している。このキーボードは、叔母さんに連れて行ってもらったデパートで、未央さんのお姉さんとお揃いで買ってもらったものだと言う。(未央さんには四つ年上のお姉さんがいる。)
「もうボロボロになっちゃった。そりゃそうだ、もう四十年一緒にいるんだもん。旦那より一緒にいるわ」
「あはは、一生添い遂げる覚悟ですね」
「もし私が死んで、旦那や子供がこのキーホルダーを御棺に入れ忘れてたら言ってやってね!」
「んー、未央さんには死んでほしくないですけど、承りました。あ、代わりに私も御棺に入れたい物を探しておこう」
「やだ!一華ちゃんはまだまだまだ先じゃない。まあ、でも、人っていつ死んじゃうか分かんないもんね。周りの人に感謝や思いを伝えておかないと、互いにきっと後悔する――あ、」
突如、小さく声を漏らす未央さん。声とは裏腹に口はあんぐり大きく開いて、ついでに目もぱっちり開いて、次いで口を手で覆う。唐突に何かを思い出したような仕草だ。
「おっ思い出した!」
「なにをですか?」
「昔、母に聞かれたことがあったの、叔母の恋人について何か知らないかって。まさか子供の私達に叔母が恋人の話をしていると本気で考えたわけじゃないだろうけど、手がかりがなかったから一応聞いてみたんだと思う。もちろん知らないから知らないって正直に答えたんだけど、」
「だけど?」
「今、思い出した。叔母の恋人は、MIRAIって名前の人だと思う」
紙ナフキンに手早く『MIRAI』と聞いて、未央さんは事情と考察を話してくれた。
叔母さんは誰かと同棲をしていた。おそらく男性、恋人だろう。けれど未央さんのお母さんは相手を知らない。「友達だよ、泊まりに来ていただけ」などはぐらかされ、紹介してくれない。相手の顔も名前も知らないので、妹の葬式で遭遇していたとしても特定は不可能。片付けのため妹のアパートを訪れるも恋人へ繋がる遺品や痕跡は見つけられずに終わる。(妹の恋人にせめて一度くらい会いたかったらしい。)
しかし40年近く経った今、眠っていた未央さんの記憶が呼び起こされた。
キーホルダーを購入した際、叔母さんは店員さんに「青い色のMIRAIはないんですか?」と尋ねたと言う。当時はジェンダーフリーの概念などない昭和の時代、青は男子の色で、赤は女子の色なのだ。叔母さんは『MIRAI』の男子用を求めたが、赤色しかなかった。
「結局、叔母さんはこのキーホルダーのMIRAIを買ったのよ。もし贈る相手が男子で、当時の私くらいの子供や中高生なら絶対買わないと思わない?だって、からかわれちゃうもん。そういう時代だもの。だから相手は、からかわれても、恋人からの贈り物だと惚気られる大人の男性」
「な、なるほど」
「でも、名前が分かったくらいじゃ意味ないな。それだけじゃ探せないし、探したところで・・・」
探したところで、もうどうしようもない。続く言葉はこうだろう。会いたがっていた未央さんのお母様は既に鬼籍なのだ。
「まあ、私も会ってみたい気持ちはあるけどね。叔母は学生時代からかなりモテたって母も言っていたし、お相手もきっといい男だったんだろうなぁ」
「MIRAIか。偶然ですね、例の親友も最近どうやら彼氏が出来たようで、名前が未来なんですよ」
「え、あの、中高時代からモテまくりで数々のイケメンとフラグを立てながらも全スルーを続けてきた美人弁護士の塩田憩さん?」
「あはは、そうですそうです。本人は恋人じゃない、友達だとか言ってるんですけどね。実際、一緒に暮らしているみたいで」
中高生の同級生である塩田憩は、無表情でいると冷たい印象を持たれがちな美人だが、よく笑い、よく喋る人。(はっきりズバズバ物を言うタイプ。)大して勉強している様子もないのに成績は常にトップクラス、面倒見もよくて親切な方なので皆に好かれていたし、教員からも一目置かれる存在だった。困っている人を目ざとく見つけては人知れずその人の悩みを解消し、手柄顔せずにひっそり離れていく、そんな人。きっと素敵な大人になるだろうと誰もが期待する中、その期待を遥かに超え、大学在学中に司法試験に合格して弁護士になり、父親と息子の冤罪を同時に晴らした「親子冤罪事件」を担当したことで一躍有名人となった。その時は地元がわあわあと沸き立ったものである。そんなこんなで憩は多忙な日々を送っているが、縁は途絶えることなく私達は今も仲の良い親友同士である。
そんな憩に、春が来た。どれほどのイケメンで、どれほどのお金持ちで、どれほど性格が良いのだろうと胸躍らせていたが、憩の妹ちゃん達やご近所さん情報だと、「冴えない普通のサラリーマン」とのこと。噓でしょう?どういうこと?納得いかない!会わせてほしい!と伝ええうが、「彼氏じゃないよ、友達だよ。孤独なおじさんだから一緒にいてあげているだけ。そのうち顔を合わせるよ」と、つれない返事。実に憩らしい失礼な言い方だ。
「じゃあ、一華ちゃん、その未来さんの続報あったら教えてね。本当に冴えないリーマンか気になるから」
「はい!次会った時はどういう関係かはっきりさせてやります!」
日曜日の昼下がり、お洒落なカフェで、気の置けない友人と楽しい時間を共有できる幸せを嚙みしめる。かつて、万引きやリストカットを繰り返していた中学時代の自分に教えてやりたい。こんな素敵な未来が待っているよ、だから今を頑張って、と。




