第十五話 月と炎
『・・・あーあ、残念』
残念?それはこっちの台詞だ。明日の休みは寝坊するあなたの代わりに朝食を作って子供達に食べさせて、昼から遠くの大型スーパーへ皆で買い出しに行って、そこで買った食材で豪華な夕食を作ろうと約束していたのに、この様子じゃ無理そうだ。あなたとの日々は、一日一日が貴重で、大切で、何にも代えがたいのに、なぜこんな雑事に巻き込まれなければならないのか。例えこれが正当性のある復讐であったのだとしても彼女を巻き込まないで欲しかった。
斎藤が本音を心の中でひとしきりぶちまけたところで、鳴り続けるスマートフォンを乱暴に掴み、苛立つを隠すことなく通話を始めた。
「はい?なんですか?」
『あっよかった!爆弾の解除できたんですか!?すごい!それともブラフでした?いずれにしても良かった!もうすぐ爆発物処理班が上がってきますから、そこに待機していてください。負傷者にも救護隊が向かっています。これが最後の爆発物とも限りませんし、管内くまなく捜索します』
「爆弾はこれが最後だと思いますよ。まあ、念のため探してみてください」
斎藤の予想通り、爆弾は見つからなかった。念のため以降3日間ビルを封鎖し、ひっくり返す勢いで捜索されたが、それらしき物は発見されず。
犯人の夫婦は犯行動機を語らなかったが、仕事上の付き合いがあったことは確かであるため、警察も世論も仕事上のトラブルだろうと判断。また、巻き込まれたのが著名な弁護士であったことから世間の事件への関心は高かった。加えて、彼女の怪我の程度も軽いものではないと報道され、憩は再び世間から注目されることとなってしまった。
被害に遭いつつも、斎藤に電話を掛けて平然とした様子で会話をしていた憩だったが、通話を終えるとすぐ気絶。爆発の際に頭を打っていたようで、肩の骨は折れていた。斎藤が思っていたより重傷だったのだ。
事態を知らされ、病院に駆け付けた千叶達は顔面蒼白で、眠る憩の傍らで彼女が目覚めるのを待ち続けた。3人の中で一番泣き虫なのは千叶だが、家族が大変な状況に陥っている時には泣かない。泣いたら悲しみが増すし、ピンチだと認めることになるから泣きたくないのだと言う。だから、祖母の絹代が亡くなった時も、憩が崩落事故で意識不明の重体になった時も泣かなかった。こういった時に堪らず涙するのは、普段感情コントロールが上手な風香だ。絹代が亡くなった時の彼女の落ち込み様は酷く、一時は学校にも通えないほどだった。 そして今回も、ずるずる鼻を鳴らしながら、憩の手を握って風香は泣いている。「どうして、どうして憩ちゃんが巻き込まれなきゃいけないの、ひどいよ」と、悲しみの中に怒りを混ぜた声で嘆く。ほぼ反射的に、斎藤が謝罪した。自分は無事であること、そばに付いていながら憩を怪我させたことを謝った。風香も反射的に「斎藤さんは悪くない、悪いのは犯人だよ」と、斎藤を励ます。風香の意見に同意するように、千叶と飛鳥も深く頷いている。
「あー、よく寝たぁ、お腹空いたぁ」
丸一日眠り続け目覚めた彼女は周囲の心配をよそに、暢気にそう言った。大あくび付きで。でも、それが彼女らしかった。
精密検査の結果、異常はなく、肩の骨折も自然治癒を待つのみとなった入院3日目、見舞いに今宵と朝市、一華と樹、フランス帰りの昴と妹・乃愛もやってきた。皆一様に「よかった」の合唱と、「トラブルに巻き込まれすぎる」「お祓いに行くべきだ」と半ば冗談で言い合う。そして、彼ら念願の斎藤との面会が図らずも叶う一幕がありつつ、元気そうな憩を囲んで穏やかなひと時を過ごした。
そんな穏やかな昼下がりを終わらせたのは、警察の登場だった。関係者に詳しく話を聞きたいと現れたるは先日のラフ警官と、スーツを着た警官。しかしこの間の短慮なスーツ警官ではなく、全く別人の、美しい男だった。女性か男性か、一瞬迷ってしまうほど中性的な顔立ちをしていて、肌も白く透き通り幽霊のよう。
思わずのけ反るほどの美貌を持つその警官は、「塩田さん、少しお話いいですか」と、見た目とギャップのある低い声で一同の退出を求めた。抵抗できない雰囲気を放つ彼に従い、面々は病室を出ていくが、斎藤だけは渋る素振りを見せた。斎藤もまた関係者であるから同席していても問題ないように思えるが、彼は目線だけで斎藤に退出するよう促す。
名残惜しそうに斎藤が退出し、一拍置いてから美しい警官は切り出した。
「お加減いかがですか」
「はい、おかげさまで」
「あの日、あなたはUSBメモリーを取りに会社へ戻ったということですが、それは事実ですか?」
「刑事さん、お名前は?」
「はい?」
「私達、初対面ですよね?」
まず名を名乗れ、と言うことだろう。にこにこ笑顔を作っていながら、憩の瞳にも彼と同様の威圧感がある。憩の言わんとすることが最もだと思ったのか、軽い会釈と共に「失礼しました」と前置きし、名乗った。釣られて、ラフ警官も頭を下げる。
「百合月人と申します」
「水村蛍です」
「初めまして、塩田憩です。お二人とも、芸名みたいな名前ですね」
「あなたも負けていませんよ」
百合は、憩の台詞にやや食い気味に言葉をかぶせる。これが彼の癖かは分からないが、かなりせっかちな性格をしていそうだし、理屈っぽそう、と憩は心の中で毒づく。
「それで、どうでしょうか」
「ああ、USBの件ですね、本当ですよ。次の日が休みで、家で作業をしたかったので斎藤さんに送迎を頼んで、職場に戻りました」
「ちょうどあなたの事務所の階に不審者がいて、あなたが拘束して、うまく詳細を聞き出して5階に仕掛けられた爆弾の解除コードも教えてくれた、と」
「はい」
「そこまで親切で気の弱い犯人なら、非常階段やエレベーターに仕掛けた爆弾のことも教えてくれても良かったのに。中途半端ですね」
「私が斎藤さんに警察を呼ぶよう言ってしまったから機嫌を損ねたのかも。でも、彼女の様子から5階の爆弾以外にも仕掛けられていると察していましたから、爆弾が複数の可能性がある以上、私のような一般市民ではどうにも出来ません。警察を呼ぶしかなかった」
「一般市民、ですか」
ふ、と鼻で笑う。小馬鹿にしているとも取れる態度だが、憩は気にしていないようだ。
「犯人の夫妻と面識があったかどうか聞きにいらっしゃったんですか?もしかしたら私も事件に絡んでいるんじゃないかって、疑ってらっしゃいます?関係者は全員疑う、警察官の鉄則ですもんね。旦那さんの方は守衛さんでしたから面識はありましたよ。会話も何度か」
「さすが弁護士先生。こちらが聞きにくいことを先に教えて下さって助かります」
「とんでもないです。ああ、まだ夫妻は黙秘していると聞きましたが?」
「ええ、どちらとも。状況から見て、仕事上のトラブルだとは思うんですが。・・・実は、夫婦が工場を手放したのは倒産ではなく自主廃業だったようで、世間で囁かれているような一方的に契約を打ち切られて倒産、という事実はないんです」
「へえ、そうなんですか」
「そして、夫妻の息子・中森奏斗と、爆弾が仕掛けられた株式会社トワイトワの常務取締役を務める桐谷大聖は中学時代の同級生だったようです。また、トワイトワは部品メーカーの子会社ですが、大聖は親会社の会長の孫であり、現取締現社長の息子のようで、まあ、子供に子会社で修業をさせているというところでしょうか」
「なるほど」
「さらに、夫妻の息子・奏斗は高校2年生の時に死んでいます。橋の上から川に落下、死因は溺死。事故と自殺、どちらか断定できませんが、若さの勢いで真冬に川遊びもないでしょうから、おそらく自殺でしょう」
「事実だとしたら悲しいことですね」
「ええ、悲しく痛ましい。そこで邪推してしまうわけですよ。親同士の力関係は子供同士にも反映される。今回の事件と息子の自殺、何か関係があるんじゃないか、と。例えば、奏斗は大聖からいじめを受けていた、とか。しかし息子が亡くなってもう10年ですからね、復讐を実行するにはいささか遅いと思いましたが、実は大聖が結婚するらしく、しかもデキ婚で。あ、失礼、今の時代は授かり婚と言うのでしたね。まあ、とにかく、中森夫妻の耳に入れば復讐心が再熱しても不思議ではないかと」
「まあ、確かに」
「あなた、彼らの企みを事前に知っていたのでは?だからあの日、偶然を装って職場に戻った。あるいは、あなたも共犯、とか」
百合は後者を支持しているようだ。つまり、憩が事件に関与していると言いたいらしい。しかし、夫妻から供述は取れないし、自宅や旧工場に爆弾を製造した痕跡と計画書のようなものはあったが、動機および憩の関与を疑わせる物証はなかった。
トワイトワがあのビルに引っ越す形で入居してきたのが約1年前、一方、中森夫があのビルで警備員を始めて既に3年が経過している。つまり、トワイトワの方が後に入居してきたわけで、自分の息子を死に追いやった男の職場に紛れ込み、復讐の機会を狙っていたという筋書きは合わない。傷を抱えながらも日常を懸命に過ごす中、宿敵が向こうからやってきたということになる。
若くして取締役となり、何不自由ない暮らしをしている宿敵が毎日頭上にいて、彼を守らなくてはならない立場になり、中森はどう感じたろうか。そこに大聖の結婚と子の誕生のニュースが届き、とうとう堪忍袋が爆発したのかもしれない。
憩は彼らの企みに、どのタイミングかは不明だが事前に気付き、中森夫妻を殺人犯にしないためにあの日職場へ戻り、事態の深刻化を防いだ。この後に考えられる展開としては、憩が中森夫妻の弁護をすると申し出ること。著名な弁護士で、かつ被害者の憩が加害者の弁護をし、なぜこのような犯行に及んだか詳らかにすれば、世間の同情を引ける。情状酌量を狙える。
百合の「あなたも共犯」は、そういう意味らしかった。
「あなたの恋人と警察が来る前に、何かしらの交渉を持ちかけたのでは?例えば自分が弁護する、法廷で全て明らかにする、といったような」
「恋人ではありません」
「はい?」
「斎藤さんは私の恋人ではなく、友人です」
「・・・なるほど。それは失礼しました」
会話の最中、それも警察との会話中に、斎藤が自作したパウンドケーキを頬張り、咀嚼して、飲み込みながら、憩は自身の関与をきっぱり否定した。
「交渉なんてしていませんよ。事情もよく分かりませんし、弁護をするつもりもありません」
「ほう」
「あの冤罪事件があったからか、私のことを人権派だの正義の味方だの言う人いますけど、あれはたまたま親子ともに無実で、私はその真実を詳らかにしただけ。無いものを作り出したわけでもないのに世間は騒ぎ過ぎです。私は、皆さんが想像しているような善人ではありませんよ」
「そうですか。疑うような真似をしてすみませんでした」
「いえ、お仕事ですから仕方ないです。警察の方のご苦労は理解しているつもりです。また何か聞きたいことなどありましたら遠慮なくご連絡ください」
「ありがとうございます」
百合が会釈し、釣られて水村も頭を下げる。終始、喋っていたのは百合と憩だけで、水村はドア付近で壁と同化していただけだった。
先に百合を通し、水村も続いて病室を出ようとするが、廊下に体半分が出た状態で立ち止まる。視線も外に向けたままだが、確かに憩に向けて言葉を投げかけた。
「あまり派手な行動はしないでくださいね。僕ら、あなたを捕まえたり、追い詰めたりしたいわけじゃないんです。ご家族と、お友達と、穏やかな日々を過ごしてほしいだけなんです」
憩の返事を待たず、水村は扉の向こうへ消えていった。穏やかで優しく、それでいて悲しみや寂しさのといった感情が混ざる声色だった。
百合と水村が病院の廊下を歩いていると、病人や見舞客、看護師の視線が刺さる。百合の美貌はもちろんだが、水村もよく見れば美しい顔立ちをしているため、2人が並んでいるとどうしても人目を引いてしまう。並ぶと言っても、水村は百合の半歩後ろを歩いているのだが。
「どうでしょう、弁護すると思いますか」
百合にだけ届く声量で水村が問いかける。
「さあ、どうだろうな。でもそれが目的じゃなきゃ中森夫妻になぜ絡む。彼女が本当に偶然巻き込まれたように見えるか?何かしらの目的や理由はあるはずだ」
「そうですよね、あの憩ちゃんですもんね」
「そうだな。それに、私もお前と同じ気持ちだ、彼女を追い詰めたいわけじゃない、全てを暴きたいわけじゃない。平穏な日常を続けて欲しいだけだ、その日が来るまで」
本事件以外で面識はないはずだが、水村はまるで親しい間柄かのように憩をちゃん付けで呼んだ。その点に百合も疑問を持たないようで、特に指摘しない。それどころか、初対面のはずの百合も彼女を気遣う発言をする。
病院を出て、車に乗り込む。運転は水村が、助手席に百合が座る。「とりあえず、」と前置きし、百合は口を開く。
「彼女に繋がりそうな物証が出てきたら警察の人間に見つかる前に消しておけ」
「もちろん、任せてください」
「彼女、これ以外に何かやらかしてないだろうな」
「おそらく。でもまぁ、やらかしていたとしても世間にも我々にも簡単にバレるような事はしないでしょう」
「6年前までの彼女ならいざ知らず、今の彼女は何をしでかすか分からなくて怖いな。以前より突飛な行動を取りそうだ」
「うーん、まあ、それはそうかもですねぇ。あ、ご自宅まで送りましょうか?」
「ああ、頼む。父から、久々に食事しようと言われている」
「祖父は元法務大臣、父親は環境大臣、息子はエリート警察官かぁ。いいっすね~。将来は政界進出でもしますか?」
「馬鹿言え、それは掟破りだろ」
「はは、そうですね」
「せっかくフランスで休暇を謳歌していたというのに、この事件を聞きつけて飛行機に飛び乗ればあの騒ぎ、次に堅苦しい父親との食事、さすがに疲れる。ああ、佐藤にも話を聞いといてくれ。まあ?憩さん絡みじゃあいつは正直に喋らんだろうがな」
「未来くんは今、斎藤ですよ」
「なんでそんな微妙な偽名なんだ。ややこしい」
「ついとっさに佐藤未来って名乗っちゃって、後から聞き間違いとして「斎藤」で押し通したそうです。まあ、無理もないです、あの状況じゃ」
「らしくない。まあ、あいつも佐藤未来を名乗り出してから長いからな」
「『未来』は仏教用語ですけどねぇ」
「別にいいんじゃないか?これも、神仏習合というやつだ」
そんな会話がなされた一方、百合達の去った病室では、憩が忙しなくパソコンをいじっていた。そこへ樹達と別れて戻ってきた斎藤が不思議そうに声を掛ける。入院中は仕事はしない、休む、と宣言していたのに、彼女の表情は険しさこそないが真剣そのもの。左手のみながら軽快にマウスクリックとタイピングをしている。
「なにをしているの?仕事?」
「ううん。株の売却をしようと思って」
「今?」
「うん、こういうのは売り時と思ったら早くやっちゃう方がいいから」
「なんの株?」
株取引が終了したのかそこで手を止め、視線を斎藤に向ける。にっと笑って、「秘密」と返され、斎藤はそれ以上の追及をやめた。普通に考えれば、下落するだろうトワイトワ関連の株の売却だろうが、彼女が株を所有していたのかさえ斎藤は知らない。
作業が終わったか、憩はパソコンから窓へ、正しくは空へと視線を移す。
「あ、飛行機」
「病室からでもよく見えるね」
「墜落しないといいね」
「こら、縁起でもないこと言っちゃだめ」
幼い子供を叱るみたいに優しく諭されると、憩はべっ、と舌を出して、無邪気に笑った。




