第十二話 呪いの庭
2025年1月から斎藤未来が塩田家で暮らし始め、早4カ月が過ぎようとしている。季節は春を迎えた。トラブルらしいトラブルもなく、穏やかな日々が流れている。
憩は友人達から斎藤について詮索を受ける度、適当かつ的確に真実だけを伝えた。「友人だよ」「付き合ってるとかじゃないよ」「一緒に寝てるけど、何もない。仲良く寝てるだけ」などなど、友人からすれば到底納得できる回答ではないが。成人した男女が同じ部屋、同じベッドで眠りながらも何も巻き起こらないとは、不健全にもほどがある。
そこで、憩不在の集まりにて、今宵はとある可能性を提示した。本日の集まりは、井之原樹らが営む輸入雑貨会社のオフィス兼朝市の自宅で行われている。彼らは何かとここで集まるのを定番としている。
各々好きなお菓子や飲み物を口にする中、今宵は遠慮がちに呟く。
「実は斎藤さん、同性が好き、とか?」
「え、だから憩とはマジ友達ってこと?一緒に寝てても何も起こらないってこと?いやぁ、どうかなぁ、それだと飛鳥君がいるじゃん。若手俳優って感じのイケメンになってるよ、あの子」
「男性であれば誰でも恋愛対象になるわけではないんじゃない?異性間と一緒で好みはあるだろうし。でもやっぱり無理がある。友達でも一緒に寝たりしないよね。その上、家族の住む家に同居なんて」
「まあね。でも、そういう類の理由でもないと納得できない。憩が一人暮らししているならまだ分かるけど、高校生と大学生の女の子がいる家だよ?相手が自分に夢中だったとしても、そこまで信用できる?憩だったら万が一を考えるはずだよ。千叶ちゃん達が傷つく可能性が1%でもあるなら、家に絶対招き入れない。そして、その1%は、誰にも排除できない」
「そこだね、引っかかるのは。斎藤さんが彼氏かどうかより成人男性を家に住まわせていること自体に納得が出来ない」
この空間には、樹、朝市、一華、今宵がいるが、会話しているのは女子2人だけ。男子は状況把握と相槌を打つのに精一杯だ。
続けて、一華は懐かしい話題を持ち出す。
「ほら、私達が23歳くらい時だったかな、塩田家に高校生の女の子が住んでたよね?家族と暮らせない事情があるからって。その子が高校卒業して、看護学校の寮へ入るまで1年くらいさ」
「ああ、光ちゃんね。今でも長期休暇とかたまに塩田家に顔出したりしてるみたい。無事、看護師さんになって就職したんだって」
「へえ、どこの病院?」
「小郡病院。憩、椿さんに光ちゃんの進学と就職も相談に乗ってもらってたらしいよ」
ようやく会話に入り込めた樹の問いに、今宵が答える。当時は就職したての新社会人、朝市にいたっては前科持ちになったばかりで皆思うように集まれず、互いの情報に乏しい時期の出来事であったからか、塩田家に居候していた光なる人物の詳しいプロフィールを知るのは近所に住む今宵だけだった。
深瀬光。当時、中野区の高校に通う2年生で、今宵の証言通り、家族不和が原因で家出していたところを、どういう経緯かは不明だか憩に保護され、塩田家から高校へ通っていた。小柄で、ボブカットの似合う可愛らしい少女で、優等生タイプのしっかり者という印象。勉強もよく出来たようで、給付型奨学金を得て希望の看護学校へ合格した。そして、この春から看護師1年目を無事スタートさせたようである。
光の家庭不和とは、おそらく義父からの性的虐待ではないかと今宵は考えている。同性の感でなんとなく察していたが、感を裏付ける決定的な出来事が起こった。とある日、光の両親らしき男女が塩田家に怒鳴り込んできたのだ。
「娘を返せ!」
特に男の方がすごい剣幕だったため、近所住民は何事かと家から飛び出るほどの騒ぎとなり、今宵の兄・朔がちょうど目撃者となり、のちに今宵へ伝聞された次第である。
目を血走らせた男性に「あんたに何の権利があってこんなことしいてる!?これは誘拐だ!誘拐として警察に訴えるぞ!」と、唾を飛ばして叫ばれても、憩は少しも怯まず男の眼前に立ち、「どうぞ?」と冷静に言い放つ。高身長かつ高いヒールを履いていた憩の方が男を見下ろす形となり、彼女の方が悪者に見える不思議な絵面だったと言う。疑問形で返したのが余計悪役っぽさを演出したのかもしれない。
「こちらは証拠もありますよ?それともこれから一緒に警察に行きましょうか?私は弁護士の卵です。あと半年で弁護士になります。もちろん弁護士の先生を何人も知っていて、既にこの件について相談済みです。ちなみに私の父も弁護士でしたので、個人的に協力して下さる先生もいらっしゃいます。ああ、今から先生に来てもらいましょうか。どうしますか?・・・え?脅し?これのどこがですか?手間を省いてさしあげようとしているだけじゃないですか。・・・いいですか、深瀬さん。私も中途半端な覚悟でお嬢さんを預かっているわけではありません。どうしてもお嬢さんを連れ戻すというのなら、そちらも相応の覚悟を持って行ってください。どちらかが潰れるまで、徹底的に戦いましょうよ」
正直、聞いている近隣住民はそりゃ脅しだろうと思った。無論、憩の味方であるのは揺るがないが。
“こっちには無数の強い味方がいるぞ“の、虎の威を借る戦法は男にかなり有効だったらしく、まともな反論もできず、額に汗を滲ませ、鯉のように口を開閉させるだけ。権力に弱い男だと見抜いて、あえて過剰にアピールしたのだろう。母親も男の後ろで縮こまるだけ。そんなお似合いの夫婦に呆れと軽蔑の滲む目線を向けながら、憩はため息交じりに忠告してやる。
「難しく考える必要はありません。これまで通りに過ごせばいいんです。あなた達には最初から子供なんていなかった、そう思えばいい。ね、これまで通りでしょう。――あれ、どうしたんですか?そんな幽霊でも見たような顔をして」
よほど憩が恐ろしかったのか、男は真っ赤だった顔は真っ青をして、後ずさり。唾を飲み、一気に駆け出した。自分の妻を置き去りにして。なんてみっともない、なんて情けない。夫の後を追おうとする母親の背に、憩は最後に声をかけた。
「娘さんに、何か伝言は?」
母親は無言のまま、また俯く。
「娘さんから伝言があります」
ぱっと母親の顔が上がる。
「『ありがとう、さようなら』、だそうです」
期待した伝言ではなかったのか、娘からの離別の言葉にショックを受けたのか、母親は顔をくしゃくしゃに歪ませ、涙した。涙して、憩に深々一礼して去っていった。それ以降、夫婦が塩田家に接触してくることは二度となかった。
なかなかに壮絶な現場だった。憩は勇敢だった。さすが憩ちゃんだ、と感心する朔はと言うと、110と打ち込んだスマホを握りしめて物陰から様子を伺うだけで役目は終了。いざとなれば飛び出していくくらいの気概は朔にもあったが。
「トラブル起こして問題になったら大変だよ。司法修習生期間は大人しくしといた方が」
破天荒過ぎる憩を案じる言葉をかける朔に対し、あっけらかんと憩は答える。
「こんなことくらいで問題になるなら弁護士になるの辞めますよ」
「や、辞めてどうするの」
「別の仕事を探す。それだけのことですよ」
強がりでも何でもない、それが彼女の本心であると朔にも分かった。やっぱりさすが憩ちゃんだ、と思う。
話は戻る。光の一件を踏まえて、今宵達の意見交換は結論へと向かう。
「連れ子再婚だって気を遣うのに、十代の女子のいる家に成人男性が住む、やっぱりこれは異常だよ。でも、憩は確信してる。たった一回でも、一瞬でも、斎藤さんが彼女らを変な目で見ることはない、嫌な思いをさせることはないって。だけど、物事や感情に絶対なんてあり得ないよね。信頼なんて目に見えないものに根拠なんてないし、保証されようがない。でも、憩は斎藤さんを信頼している。その信頼はもう、地球は丸いとか、太陽は東から昇り西へ沈むとか、人間は必ず死ぬとか、そういう覆しようもない法則に近いんじゃないかな」
「その信頼の正体が、憩が斎藤さんを選んだ理由、かな?」
導き出された結論に異議なしといった様子で、今宵と一華はほぼ同時に頷き合う。なんか哲学っぽい話しているな、くらいの感想しか持たない朝市と樹だったが、しかし、ようやく登場した憩の彼氏が相当な善人らしいのは2人にも十分伝わった。
「まあ、塩田の彼氏だもんな、良い人に決まってるか」と、朝市が独り言のように呟くと、一華が「でも、見た目は冴えないらしい。もさっとしてて、服装もダサいんだって」と、加えなくてもいい情報を補足する。
「見た目は関係ないだろ」
「それ言えるのイケメンだけだからね」
「あはは、確かに」
一華と朝市のやり取りに、残りの二人は声を上げて笑う。
恋人の存在を隠されていた悔しさと悲しみもやはりあるが、それ以上に、ようやく憩に甘えられる存在ができて、我が事のように嬉しい。多くを語らないのは憩の個性だ、親友ならば理解して受け入れよう。黙って見守ろう。今宵がそういう心境になれたのも、ここにいる友人達のおかげである。
イケメンいじりが嫌いな朝市が自身から話題を逸らしたくて、大して興味もないが、斎藤の写真はないのかと問う。
「あるよ。斎藤さんの誕生日が3月だったらしくて、その時に撮ったのを千叶ちゃんがこっそり送ってくれた」
見守ると決めたものの、流出された情報の共有くらいは許して欲しい。それにあの憩のことだ、写真を撮られた時点で、千叶経由で親友達の目に触れるだろうと予見しているはず。なので、大した罪悪感もなく、今宵は画像フォルダを開く。
アルバイト代を貯めて千叶が購入した中古の一眼レフカメラで撮影されたそれはさすがよく撮れていた。撮影場所は塩田家の居間、テーブルいっぱいの御馳走を前に、左から風香、憩、斎藤、飛鳥の順で座っている。ここにいる皆の視線は自然と斎藤へ。上半身のみしか写っていないが、チェック柄の紺色シャツを着たこの眼鏡の青年が噂の斎藤未来だ。黄色い花々の小さいブーケを右手に持ち、左手はぎこちないピースサインを作っている。ちなみに、憩から彼への誕生日プレゼントは、クローバーのキーリングらしい。
前評判とは異なる印象を持ったらしい樹は、斎藤の容貌を褒めた。
「別にダサくないじゃん。整った顔してるよ。服とか、眼鏡変えたら化けそう」
「私もそう思ったけど、憩は今のままの斎藤さんがいいんだってさ。可愛いんだって」
これが好みは人それぞれというやつかと、今宵の説明を聞きながら一華と樹は納得する。人畜無害な人、穏やかで心優しい人。そういう男性が憩の好みなのだろう、意外だが。
「動画もあるよ。斎藤さんは背中しか映ってないけど。ほら、洗濯を干す斎藤さんの服に憩が洗濯バサミ付けて爆笑してる映像」
続けて、今宵は画面をタップし、動画を流す。そこには先述の通り、塩田家の庭にて、洗濯を干す斎藤の服にいくつも洗濯バサミをくっ付けて、大笑いしている憩の姿があった。何がそんなに可笑しいのか、腹を抱えて笑い、時々こちらを振り向いて“見て見て!”とジェスチャーをし、また声を上げて笑う。ガラス越し、画面越しでも伝わる笑い声と楽しげな姿は、普段見せる表情とはやはり違う。いつもより、ずっと可愛い。一華の口からふいに漏れた「憩、かわいいね」という本音に、全員が共感した。一華という恋人がいる樹が、他の女性を可愛いと褒めるのは本来タブーだが、この時ばかりは許される。むしろ、共感しなければ人間性を疑われたかもしれない。画面の中ではしゃぐ憩の可愛らしさは全人類の心に響くだろう。例えるなら、赤ん坊や子猫の寝顔の愛らしさだとか、夕暮れや星空の美しさに近かった。
憩は、ちゃんと斎藤のことが好きなのだろう。好きな人といるからこんなにも満ち足りた笑顔になるし、自然体でいられる。これでよく友人関係だなんて言えたものだと一同は思った。
穏やかで優しい映像を飾るように、塩田家の庭には白い花と植木鉢のラベンダーが咲いている。ラベンダーの右隣には植木鉢のホオヅキが置かれ、横には鈴なりに小さい花を付けた細い木も植わっており、統一性はないが、不思議と、強い生命力を感じる魅力的な庭造りがされている。
絹代が生きていた頃は、パンジーやチューリップといった定番の花を植えていたが、彼女の死後、庭の雰囲気はがらりと変わり、憩がこの独創性のある庭を作り上げた。飛鳥達が食べられる植物を育てたがったこともあり、トマトときゅうりのプランター、緑のカーテンのためのゴーヤもあるが、それらは子供達が担当している流れから、暗黙の了解で草花の方は憩のみが手入れしている。
憩が植える花は季節やその年によって変わる。ゼラニウム、ラベンダー、ホオヅキ、ユリ、オキナグサ、アンチューサ、藤の木に似たキブシ。
「呪いの庭だね」
花の手入れをする憩の背に、飛鳥の声が降る。自身が丹精込めて育てている草花に対して、呪いなどと言う不吉な単語が投げかかられても、憩は叱るでもなく普段の調子で返す。むしろどこか嬉しそうにも聞こえる口調だ。
「そうかなあ?どれも可愛い花ばかりじゃない。この木、キブシっていうの。知ってた?」
「知ってる。花が実に見えるから、“嘘”って花言葉が付いたんだよ」
「花言葉なんて人間が勝手に考えて勝手に付けたものだよ。付けられた方はいい迷惑だって思ってるって。仲間内からも『おまえ、人間から“嘘”って意味付けられてるんだってな?ウケるw』とかってハブられてるかも。そんなの可哀そうでしょ?だから、可哀そうな草花を集めてあげてるんだよ」
「じゃあ、斎藤さんにあげた花もそういうこと?」
「なにが?ガーベラと薔薇だったでしょ」
「一本、カーネーションも入ってた。花言葉、知ってる?」
「なんだっけ?」
「軽蔑、失望、拒絶」
「へえ、そうなんだ。飛鳥、よく知ってるね」
「俺は、なんにも知らないよ」
呪いの庭を舞台に、見えない輪郭をなぞるような会話が続いたが、飛鳥の嘆きで小休止。なにも知らないと嘆く彼の表情は暗く、まだ17歳と若いくせに眉間に立派なしわが寄る。自然としわ寄ってしまうのが飛鳥の癖。
「・・・彼を、憎んでいる?」
「さあ、私にも分からない」
険しい表情の飛鳥から飛び出た不穏な台詞は、さして強くもない都会の風にかき消されそうになるほど弱々しい。そして、飛鳥を真っすぐ見つめる黒い瞳から嘘や偽りは感じられない。憩は嘘を述べていない。分からないという気持ちは本心なのだ。
視線を飛鳥から花たちに戻し、スコップ片手に咲いたばかりのゼラニウムへ手を伸ばす。
ここは、憩の呪いの庭だ。憩の意思によって全てが決定する場所だ。何を植えるか、何を排除するか、彼女のみに決定権がある。ゼラニウムはこの庭の定番選手、季節がくれば彼らはいつもこの庭に花を咲かせる。そして憩は、白いゼラニウムばかり植える。けれど種から育てるため、たまに別色の種が混じり、白色以外の花を咲かせてしまう時がある。桃や黄は許されるが、赤が咲けば、容赦なく掴み潰される運命にあった。
今日もまた、赤いゼラニウムはこの庭の支配者によって排除されるようだ。憩はスコップを地面へ突き刺し、赤いゼラニウムの根から引き抜き、乱暴にバケツへ投げ捨てた。




