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君の手のひらで踊りたい。  作者: 田邑綾馬
第Ⅰ章 起
10/32

倉田朝市の話(三)

 自宅でも事務所(詐欺師の根城)でもなく、向かうは学生時代に住んでいた町、もう3年は帰っていない地元だ。


 電車に揺られながら、私用のスマートフォンを取り出し、モバイルバッテリーを差し込む。俺は私用のスマホを2台持っていて、1台は現在使っているもの、バッテリーを差し込んだこれは3年前まで使っていたもの。友人達の連絡先はブロックすれば済む話なのにどうしても出来なくて、かといって解約も出来ずに未練がましく持ち歩いていたのだ。


 高校入学時に施設長が買ってくれた旧機種だからか動作が鈍い。数分バッテリーを喰わせるとようやくトップ画面が表示された。当たり前だが、トップ画面は3年前のまま変わっていない。俺、樹、昴、三屋、阿部、塩田の集合写真だ。あの頃の姿まま、笑っている。その時点でぼやけ始めた視界は、メッセージアプリのアイコンの99+を見つけると、ついにゆらゆら揺れ出した。タップすると未読のマークが綺麗に整列。件数も凄まじかったが、日付がどれもまだ新しいことに驚いた。3週間前が塩田、昴が1週間前、阿部が一昨日、樹は昨日、三屋は――。


 ブブッ。

 新たな通知が届いた。三屋からだった。『憩、もうすぐ退院できるって。一時期はどうなるかと思ったけど、奇跡の回復だってお医』、既読にしなくても読める文字は、そこまで。


「はあ!?」


 予想していなかった文面に、周囲が驚くくらいの「はあ!?」が出た。入院?奇跡の回復?塩田は入院しているのか?なんで?怪我か、病気か?驚きと動揺から暴れた親指は画面を思わずタップ。・・・ああ、既読を付けてしまった。操作を取り消したいがこのアプリにそんな機能はない。

 『憩、もうすぐ退院~』の上には、『憩はもう歩くの問題ないみたい!右腕はまだギブス必要だけど、頭の傷はもう目立たないよ。人間の回復力すごい!いや憩の回復力がすごいのかも』のメッセージ。

 どうやら塩田は一カ月ほど前に、建設現場の足場崩落の事故に遭遇し、入院したらしい。一時は意識不明の重体だったが、みるみる回復し、もうすぐ退院予定とのこと。落下事故に巻き込まれるなんて、あいつツイてないな。(もしや、ニュースで報道されていたあれか?)

 とにかく命に別状なくて本当によかった。塩田は、大学在学中に司法試験に合格するような超人、俺と違って消えたら困る人間がたくさんいるんだ。養わなくてはいけない妹弟だっている。在学中に司法試験合格の話は三屋のメッセージ履歴を遡って今初めて知ったが、あの塩田だから驚きはしない。


 三屋の他のメッセージは、『今日はお祭りがあってお店がとても混んだよ』『昨日の台風で店先まで雨水がきたんだ』『本の配達のため運転免許を取った!』『お兄ちゃんが好きな人にまた告白してまたフラれてやけ酒してる。ウザい』など、他愛のない日常報告が多かった。(ちなみに、お兄さんは何度フラれても諦めない宣言をしているそう。)

 そこで勢いがついて、樹のメッセージも開いてみた。最新のメッセージはこうだった。


『そろそろ就活が始まる。ちゃんと働けるか正直不安。朝市は中学の頃から働きながら勉強してたんだもんな。本当にすごいよ』


 ・・・そんなことはない。俺なんて今、詐欺師やってるよ。

 樹からのメッセージはとにかく量が多かった。全て読んだらきっと溺れてしまう。一旦閉じ、昴の名前をタップ。昴のメッセージは事務的で、後半はメモ帳代わりに使われていた。さっぱりした性格の昴らしくて笑えた。

 阿部は写真が多かった。皆で集まった際に撮られたそこに、なぜかアクリルスタンドの小さい俺がいる。どの写真にも、3年前の小さい俺がいる。

『倉田君のアクリルスタンドを作ったよ!』

 そのメッセージの下には、俺不在の俺の誕生日会を催した様子の写真が貼られていた。俺不在の誕生日はきっちり3年分存在している。皆の容貌は少しずつ大人になっていくのに、俺だけは年を取らない、変わらない。

 馬鹿だな、こいつら。暢気だなぁ。見た目は変わっても中身はちっとも変わらない。俺は見た目より、中身が変わってしまったよ。悪い方にさ。


 初めてスマートフォンで文字を打つような不慣れさで、三屋にメッセージを作った。数秒で打ち込める文章を、一文字ずつゆっくり、時間をかけて文章を組み立てる。文章が完成すると、二度心の中で読み上げ、不自然さや誤字がないか確認。深呼吸してから、送信した。

『ホールケーキを貰ったので、よかったら一緒に食べませんか』

 メッセージの既読は秒でついた。もしかしたら、三屋も既読になった瞬間を目撃していて、俺から返信があるかもしれないとスマホを見つめ続けていてくれていたのかもしれない。これは勝手な想像だったが、三屋ならあり得そうだと思った。

 ブブッ。返信を知らせるバイブレーションが3回続いた。


『たべよう!たべたい!』

『倉田君いまどこにいるの?』

『私はお店にいるよ!』


 瞼を閉じると三屋の笑顔が浮かんだ。瞼の重みで涙が零れる。ここは電車の中で、人目もあるが、そんなのどうでもよかった。

 三屋へ『三屋書店へ行くから、待ってて』と返信すると、すぐ了承のメッセージが届いた。『待ってるね!』、さらに念を押して、『舞ってるからね!!』と、誤字の追撃がされる。


 駅到着のアナウンスがされる前に座席から立ち上がって、扉が開いた途端にホームに駆け出た。エスカレーターを昇って、改札を抜けて、ようやく外へ出た。地上の空気は美味かった。全身に浴びる新鮮な空気が清々しかった。たかだか20分の乗車だったのに、まるで数年も地下にいたように感じた。


 駅前から少し離れ、人通りの少ないそこで、仕事用の携帯電話からある人物へ電話をかける。

 プルル、プルル。プルル、プルル。プル、


「はい、もしもし、星野です」


 品の良いこの声の主は、つい先ほど俺が投資詐欺を持ちかけた星野知子さん。


「あの、先ほど投資の件でお会いしました者ですが」

「ああ、先ほどはありがとうございました。どうかしましたか?契約のお話かしら?」

「あの、えっと、すみません、その、」

「はい」

「あの、実は・・・、」

「はい、大丈夫よ、ゆっくりお話しして」


 俺の声は、掠れと震えでさぞ聞き取りにくいだろうに、星野さんは包み込むような優しい口調で続きを促してくれる。


「すみません、さっきのお話は全て嘘です。これは詐欺です。契約はしないで、お金も振り込まないでください。本当に、申し訳ありませんでした。ごめんなさい」


 涙交じりのみっともない謝罪。右手に携帯電話、左手にはケーキの箱、嗚咽を押える手は余らない。

 どんな罵りを受けるだろう。勢いで白状してしまったに近いから、罵りを受ける心の準備は不完全だ。でも撤回はできないし、するつもりもない。しかし身を固くして返事を待つ俺に向けられた星野さんの反応はあまりに意外なもので、「大丈夫、最初から契約する気もお金を振り込む気もなかったから」と、彼女は言うではないか。


「実はね、最初から詐欺だと分かっていたの」

「えっ」

「あなたではないけど、私の友人が今回と似た詐欺被害に遭ってしまってね。じゃあ私が囮になって捕まえてあげるわって、スパイをしていたの」

「・・・や、やりますね」

「ふふ、年寄だってやるときはやるのよ。それで、あなたは自首なさるのね」

「はい。これから友人に会ってきますが、その後に自首します。約束します」

「そう、わかった。それなら私は何もしないわ。この電話のことも話さない。私が通報するより自首の方が減刑されるはずだもの」

「騙そうとしたのに、お気遣いいただいてすみません。ありがとうございます」

「いいえ、こちらこそ。明るい方を選んでくれて、本当にありがとう」


 なぜか「ありがとう」と感謝され、電話は切られた。

 星野さんの言う「明るい方」とは、目視できる明度や彩度の話ではなく、炎や温もりといった熱を持つものを指すのだろうとぼんやり考えた。

「正しさ」を選び取るのは時として難しい。環境や状況で正しさは変化してしまうから。でも、温かい方を選べばいいのなら、馬鹿な俺にも出来る。


 駅からほど近い一等地に、三屋書店はある。店先に、緑色のエプロンをした三屋今宵が落ち着きのない様子で立っている。きょろきょろ辺りを見回し、誰かを探しているようだったが、俺を見つけると挙動は止まり、次に固まった。泣きそうだが、泣かないように頑張っている顔をしている。

 ぐっと口角を上げて、三屋は俺を温かく迎えてくれた。


「おかえりなさい、朝市君」

「ただいま。やっぱり踊ってないね」

「え?踊る?」


 メッセージの『舞ってるからね!!』を見せると、両手をぶんぶん振って「ただの誤字だよ!」と赤面して否定する。その様子が、なんだか本当に踊っているように見えて笑ってしまった。


「ケーキ、でかいから樹達も呼ぼうか。皆に言わなきゃいけないことがあるんだ。また、しばらく会えなくなると思う」


「またしばらく会えなくなる」と口にすると、三屋はあからさまに悲しそうな表情をした。そんな顔をさせてごめん。これからする話は三屋をもっと悲しませるだろう。失望させるだろう。軽蔑されて拒絶されるかもしれない。それは嫌だけど、それも含めて償いだ。覚悟を決めよう、明るい方へ進むために。

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