表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
君の手のひらで踊りたい。  作者: 田邑綾馬
第Ⅰ章 起
1/54

第一話 姉の恋人

 25歳の時に親友達と共に立ち上げた輸入雑貨の会社は、今年で創業3年目。業績は赤字すれすれだが、食うには困らない程度にはなんとか稼げている。が、社員になってくれた親友達のためにももっと収益を上げなければならない。今日も今日とて、労働である。


 本日は、お得意様であるご婦人・星野光子さん宅に赴き、興味がありそうなカップとソーサを見ていただいている。星野さんは薬剤師をしており、マンションに一人住まいでそれなりに裕福だろうが暮らしぶりは質素だ。整理整頓され、清潔に保たれた家の中には高価な調度品ではなく、使い勝手の良さそうな手頃な家電が並んでいる。こうしてうちの商品を度々購入して下さるが、本当に気に入った物だけを選び、知人への贈り物として利用される場合が多い。噂では、養護施設への寄付など積極的に行っているらしいと聞いた。起業したての店から商品を買ってくださるのも、俺達のような若者を応援したいという気持ちからだろう。

 星野さんの話し方や所作、表情からは生来の人のよさが感じられる。こんな素敵な人に似合う商品を、俺はちゃんと紹介できているだろうか。

 その日、星野さんは打ち明けてくれた。探し出したい人がいる、と。


「探したい人、というよりは会いたい人ね。相手は10歳年上の姉の恋人」


 商品のカップをゆっくりテーブルへ戻しながら、彼女はそう言った。その表情には懐かしさや悲しみが滲んでいる。


「その人は東京の大学に通っていた人でね、当時はうちへ来るのに片道2時間はかかっていたと思うけれど、よく姉に会いに来ていた。私と兄にも流行りのお菓子や本を色々と持ってきてくれていたわ。姉と同じで頭が良くて博識、人柄も穏やかで上品で、子供の私達にも礼節を持って接してくれた」

「素敵な人ですね。その方と、お姉さんは、」

「彼は結婚するつもりだったと思うわ。けれど、姉には生まれつき手足に障害があって、身体も弱かったから、彼を思って遠慮していたのかもしれない。恋人ではなくお友達だよって、私達にいつも言っていたの」


 それから少しお姉さんと彼の昔話が続いた。姉がどれほど素晴らしい人であったか、彼がどれほど素敵な人だったか。彼がどれほどお姉さんを大切にしていたのか。若い二人が、どれほどお似合いであったのかを。


 ――姉を本当に大切にしてくれていたわ。姉が咳をすれば背中をずっとさすって、座っていることが多い足が固まらないようマッサージをしてあげて。男の人だけど、よく台所に立って美味しい料理も沢山作ってくれた。お菓子なんかもね。姉と二人並ぶ姿が今も昨日のことのように思い出せるわ。流行りのレコードを一緒に聴いたり、お弁当を持ってピクニックに行ったり、川遊びや雪遊びしたり、草原に座ってただお喋りしたり、姉を背負って山にも登っていた。二人ははね、肩をくっつけて本を読むの。別々の本よ。なのにページを捲るのも文字が目を追うのも息が合っていて、同じ物語を読んでいるみたいだった。心を通わせるって、こういうことなんだって思ったわ。うちは私を産んで間もなく母が亡くなったのだけど、父は再婚しなかった。母をとても愛していたから。だからね、そんな大人達に囲まれて育ったものだから男性の理想が高くなりすぎたのね。結局、私にとっての父や未来さんは現れずに、この歳になるまでずっと独身のままよ。


 「独身のままよ」と、語り口が重くなりすぎないよう茶目っ気たっぷりに舌を出す星野さんに対して、気の利いた返答が思い浮かばないでいると、そこへ新たなる人名が登場して、助け舟を出された気分になる。


「未来さん?」

「佐藤未来さん、姉の恋人の名前よ」


 佐藤未来。似た名前を、つい最近聞いたばかりだった。こちらは斎藤未来で、中高時代の同級生・塩田憩の彼氏の名前だ。かなりモテるのに彼氏を作ってこなかった塩田の恋バナは、最近の俺達のホットニュースだった。


「それから、お姉さん達はどうなったんですか?」


 この話の始まりは“姉の恋人を探したい”なのだから、そのままお姉さんと結婚して幸せに暮らしたというオチはないだろう。お姉さんと未来さんは何かしらの理由から別れ別れになってしまったのだろうか。


 その時まで、俺はのんびり構えていた。大好きな姉とその恋人、そして自身の淡い初恋に思いを馳せ、他人の俺に雑談として聞かせてくれた昔話なのだと思っていたから。「姉は殺されたの、父にね」あまりにも唐突に告白するので、あんぐりと口を開けてしまった。星野さんはそんな俺の様子を見て「急にこんな話をしてごめんなさいね」と謝った。


「つい、樹君が話しやすくてこんな昔話をしてしまったの」

「い、いえ。でも殺されたって、その、お父様が、どうして」

「警察や医師は、父が姉の将来を悲観して無理心中したんだろうって言っていた。でも、有り得ない。姉は自分のことは何でも出来たし、仕事で忙しい父に代わって私達の面倒をよく見てくれていた。手足は不自由だったし、病気もしたけれど、それだけよ。勉強だってとびきりよく出来たの」


 いつも穏やかな星野さんが捲し立てる様に話す姿に、心臓は慌ただしい音を立てている

 なんと言えばいいのだろう。何と返せば彼女の悲しみを薄めることができるのだろうと、頭の中で必死に適切な言葉を探し続ける。


「兄はよく言っていたの。姉さんが男で、健康だったら、総理大臣にだってなれたのにって。それくらい、姉は優秀で努力家で、思慮深くて、人思いだったの。同級生や近所の人の相談にも乗っていて、頼られる人だった。私達にとっても、父にとっても自慢の姉であり、娘だったはずよ」

「・・・未来さんもショックを受けたでしょうね」

「ええ、知らせを聞いてすぐに駆けつけてくれた。警察の見立てにも抗議してくれた。無理心中であるはずがないって。でも変わらず、無理心中で押し通された。そして彼は、姉の四十九日を終えると姿を消したの」

「え、彼とはそれきり?」

「ええ。心配で、姉が亡くなって半年ほど経った頃に兄と一緒に彼の家へ出向いたことがあるの。住所は姉との手紙のやり取りが残っていたし、通っていた大学も知っていたから」

「でも、会えなかった?」

「住所には別の人が住んでいた」

「引っ越したとか?」

「いいえ。長くその部屋にお住いの様子だった。同じアパートのどの部屋にも彼は住んでいなかった。大学にも問い合わせたわ。時代が時代だったし、在学しているかどうかくらいはすぐに教えてくれた。過去現在もそんな名前の学生は在籍していません、そう言われたわ」


 ジェットコースターに乗っている気分だった。勢いのついた箱は、上がって、回って、落ちて、暗いトンネルを通る。そして、暗闇を抜け出たその先は・・・。

 

 住所も肩書もでたらめ、おそらく名前も偽名であろうお姉さんの恋人は、星野さんの初恋の人は、一体何者だったのだろう。行方を知らせず消えたのは、お姉さんの死と関係があるのだろうか。10歳年の離れた姉の恋人なのだから、星野さんの年齢を70歳と仮定すると、未来さんと再会できる可能性は限りなく低い。

 大切な人達を突然失い、会いたい人にも会えない、全ては分からないまま。自分の力ではどうにもならないことばかりが降ってきて、星野さんの人生に積もっていく。

 星野さんは締めくくるようにこう言った。


「今日は姉と父の命日なの。樹君が持ってきてくれたカップの絵柄のクローバーは、姉が好きな草花だったから、嬉しくてつい色々話してしまったの。ごめんなさいね」

「そうだったんですか。俺でよければ、また思い出話を聞かせてください」

「ふふ、ありがとうね」

「またクローバーの雑貨があれば持ってきます。お姉さんとの大事な思い出ですもんね」

「そうね。私達と一緒に四葉のクローバー探して積んで、栞にして未来さんにあげたりしてね」


 それは、儚くも美しく思い出。その思い出達が、これからも星野さんの生きる道を照らしてくれるのだろう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ