前線司令室、針の先で
カンザスシティ前線司令室は、冷房の風すら音を殺していた。
壁一面のスクリーンには駅前広場の俯瞰映像、交差点の固定カメラ、無人機の熱源表示、救護線の位置——すべてが同時に映っているのに、誰も瞬きしない。
「走者、沈黙、行動不能——再送、ブレイク・サンダース、広場中央で倒れた」
偵察員の声が堰を切る。心拍線は細く、時折、砂の上で途切れる筆跡みたいに消えかけていた。
「周辺の全部隊に通達。駅前広場へ援護を回せ。避難線は地下に落とし、上は走者優先、最短で動くんだ」
指揮官の声は低く短く、刃物の背で机を叩いたような響きがあった。
「はい、了解。周辺の州軍小隊ブラボー3、デルタ一、イースト門の救護隊、切り替え要請——」
通信士は噛まずに言う。別の指が隣の回線を開く。
「周辺建物の屋上に残存の狙撃班は?」「強風と煙で視程悪化、射線が取れません——」
「じゃあ地上。第二小隊は広場北へ、第三は南から回り込め。間に合わなくても、走れ」
スピーカーから複数の「了解」が重なって返ってくる。足音と金属音が小さく混じった。
やれることはやっている。だが——地図上で算盤をはじけば、針は冷酷だ。距離、敵の密度、封鎖線、車両の詰まり。間に合わないという数字が、誰の頭にも立った。
「くそ……」
誰かの独り言が床に落ち、すぐに飲み込まれた。
スクリーンの中央、広場の白は乾いて、音がひと帯だけ削られている。あの無音の盾が、特異個体の前に立っている証拠だ。
「報告!」
救護線に出ている小隊から、切羽詰まった声。
「避難列の整理中、民間人が一人、広場へ走り込んだ! 止められず——十秒前!」
「映像とれ!」
オペレーターの指が踊る。別のスクリーンが開き、交差点のカメラが拡大して焦点を合わせる。
白い息のように光が揺れ、その手前をカーディガンの少女が駆け抜ける。髪は肩で跳ね、頬は蒼い。抱えるものは何もない。けれど、眼だけが一直線に広場の中心へ向いていた。
「……待て。それ、顔をズームに」
画像が寄る。
誰かが息を呑む。
「ブレイクの妹だ」
希望が一瞬、部屋を明るくした。血縁、素性、研究所。脳内でいくつもの回路が同時に点灯する。たぶん誰も言葉にしないが、彼女も超能力者なのかという期待は、確かに部屋に流れた……が。
「ちょっと待て。能力消失の記録がある……アトラス育成研究所発。彼女は——」
声はそこまでだった。明るさが、音もなく一段落ちる。
指揮官は目を閉じて一つだけ呼吸した。
「……分かった。記録がどうであれ関係ない。いま広場にいるのは、走者の妹で、我々の市民だ。映像を追い続けろ、ルートを割りだし接触した部隊は彼女を保護しろ。そのほか周辺部隊は、あの子の背中を撃たないよう射線統制。広場へ突入中の者は最短で走れ」
「隊長、観てください。——フィリスを追跡していた無人機の映像を中央へ。少女、広場に突入。倒れている走者のそばに——武器を拾って……いや、引き寄せてる?」
「引き寄せ?」
フィリスを監視していたのとは別のオペレーターが別の無人機の映像を開く。銃が地面を滑って彼女の手元へ寄る。
「念力……系?」
誰も断言しない。代わりに、心拍が何人分か速くなった。
————時間が今に戻る。
広場の白い光の残滓が遅れて揺れる。
少女が銃口を上げる。
黒い仮面の男が、無音で近づく。
次の瞬間、少女の腕が掴まれ、地面へ叩きつけられた。
司令室の空気が一斉に固くなる。
「やめろ、やめろ……」誰かが机を握り締める音。
フィリスは至る所に何度も叩きつけられ、画面が震えるたびに砂塵が白く舞う。
少女は動かなくなった。
「周辺隊、距離いくらだ!」
「北側三十秒、南からは一分……間に合いません!」
指揮官は拳を握り、開き、声を低く押し殺した。
「——了解。声を出すな。映像を切らすな」
黒い仮面の男が、興味を失ったように背を向ける。
カメラが無力に追う。救護線の兵の何人かが一歩前へ出かけ、無線で止められる。
「だめだ、突っ込めない。あの“面”が——」
そのとき、広場の床が鳴った。
銃器のボルトが一斉に後退し、安全装置が、薬室が、見えない手で次々と動く。
瓦礫の影、壊れかけのバリケード、倒れたベンチの下——そこに散らばっていた重火器が、一斉に首をもたげる。
「何だ、いまの動き……」
「広場の重火器、外力で稼働。操作者は——少女。全部、彼女が——」
白い閃光が遅れて、線になって走った。
一斉射。
音はあるのに、鳴り終わりがない。
弾は仮面の男の前で消え、縁を舐めたものだけが黒曜の殻を叩く。
グレネードが地面で弾み、爆圧が黒い軸を半歩だけ揺らす。
司令室の誰かが椅子を蹴って立ち上がった。
「いける! そのまま押せ!」
抑えていた声が、堰を切ったみたいに広がる。
「広場北、掩護射を合わせろ! 射線ずらすな、少女の波に合わせろ!」
「救護線、地下への導線、一時凍結。落とし込みは後。——いまは押す!」
映像の中、少女は立っているのか倒れているのか、判別が難しかった。膝は折れ、肩は上下し、血が顎から落ちる。
それでも糸は束ねられ、線は重なり、面の縁を擦り続ける。
仮面の男の肩に、髪の毛ほどのひび。
面が寄る。
少女は逆側へ角度を変える。
司令室のモニターに、赤いマーカーが次々重ねられ、**「右」「上」「切っ先」**の声が飛ぶ。
「ブレイクの妹、そのままやっちまえ!」
誰かが拳で胸を叩く。
「そうだ、押せ!押し切れ!」
「君は一人じゃない!」
言葉は届かないし無意味だと知りながら、全員が言葉を投げた。仕事として情報を読み上げる声ではない、人間の声だった。
白い煙が厚くなり、炎が赤く揺れる。
映像は熱源に切り替わり、黒い核がまだ立っているのを映した。
少女の脈は、乱れ、速く、そして細い。
画面の右上で、時間だけが無慈悲に進む。
指揮官はモニターから目を離さないまま、静かに言った。
「周辺隊、いま戦える兵は彼女ひとりだ。だが、彼女に人類がの運命が、かかっている。最後の一本を、打ち上げる希望は、まだ残されている」
歓声が、抑え切れずに漏れる。
映像の中で、黒い軸が半歩沈む。
オペレーターが息を吸う。
「入った……! 装甲に切れ目を確認!効いてます!」
誰かが泣いた。誰かが笑った。誰かが祈った。
前線司令室は、その全部を肯定した。
——次の瞬間、スクリーンは煙と炎で再び曇る。結果は見えない。
けれど、全員が知っていた。いま、針は少しだけこちらへ傾いたのだと。
「映像を切らすな。最後まで見届けるぞ」
指揮官が言う。
誰も席を立たない。
白い広場の中心で、ひとつの意志が燃えている。
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