白い広場、黒い背
銃声は鳴っているのに、鳴り終わりの反響がない。
フィリスの放った弾丸は、ン=ゴの目前でふっと溶け、その向こうに立つ黒い装甲は砂塵だけを浴びて悠然と近づいてきた。彼の前には、目を凝らせばわかる薄い膜——水面のようにゆらぎ、触れた飛翔物を痕跡ごと消す面が重なっている。通り抜けたわずかな弾は、黒曜の殻で乾いた音を立てるだけ。二重の壁。
「無力な者よ。戦闘を続けるか……」
仮面の平面は、感情の影ひとつ動かさない。足音はないのに、地面の目地が彼の体重をわずかに鳴らす。
フィリスは兄が落としたであろうリボルバーを、地面を滑らせて手元へ呼んだ。フィリスの念力は弱い、細い糸を一本一本まとめて金属の慣性に指をかけるようなもの。引き上げることはできない。けれど、寄せる・向ける・引き金に触れるまでは、彼女にもできる。
「どいて」小さく言って、撃つ。
だがフィリスの抵抗は虚しく、ン=ゴはフィリスの前に悠然と立つと、腕をつかんだ。
視界が反転する。上下の区別が曖昧になり、気が付くと石畳が背中で砕け、肺の空気が押し出された。
息を吸う前に、次の衝撃。壁、地面、柱、看板。掴まれた手首を支点に、体を振り回される。空が白く伸び、世界の輪郭が薄い膜の向こう側みたいに遠くなる。
(痛い。——でも、離すな。銃は、離さない!)
壁に叩きつけられ視界がぶれる。
(——チャンスが来るまで耐える!耐えて見せる!!)
地面に叩きつけられ、叩きつけられた地面に血の跡が残る。
(——ブレイク……私、まだ……耐えられる……よ)
看板に叩きつけられ、衝撃に耐えられなかった看板が原型を失った。
(——がっ——んっっ……ブレ……)
フィリスの意識が明確な思考を作るのを止めた。
反応の薄くなったフィリスの体をン=ゴは容赦なく瓦礫の山に叩きつける。
フィリスは脳が揺れることに遅れて気づく。耳の真ん中の帯が何度も抜け、音のない轟音だけが頭蓋の内側で鳴った。
最後に縁石へ叩きつけられると、指からリボルバーが滑った。視界が暗く狭くなる。呼吸がどこかへ落ち、胸骨がうまくついてこない。
「不合格」
ン=ゴの低い振動が胸に触れる。
「ここで倒れるか。戦士では無き者よ。鍵は置いていけ」
体は動かない。指がかろうじて震える。鍵の四角が胸に冷たい。
(……だめ。こ……こで終わったら……、兄さ……んの……道が途……切れる……)
ン=ゴは興味を失ったように手を離し、仮面を広場の外へ向けた。
先ほど民間人が広場に居ると、無線で聞いていて駆けつけてきた米軍の気配が、通りの向こうで散らばっている。彼はそちらに無音の一歩を踏み出す。
「次の勇者へ移るか」
背中が遠ざかる。
白い広場の冷たい匂い。鉄と土と、焦げの混じった味。
フィリスは、舌の裏で自分の名を小さく呼び、額を石に押しつけた。
(——……立て……)
指の先から、熱が上がる。
彼女の能力は本来、誰かの中に火をともすためのものだ。奪うこともできる。けれど、ブレイクにそれはしないと決めた。
では——物に触れるこの細い糸は?
今までは引き金を引くだけ。滑らせるだけ。
(——もっ……と。束ね……る。ま……とめ……る。意志が……焼け落……ちるくら……いに!)
立ち上がる。膝が笑う。断裂した筋肉が悲鳴を上げる。折れた骨どうしの断面がこすれ合い激痛が走る。
どういう痛みだろうか?ぐちゃぐちゃに潰れた筋肉が、体の主を想像を絶する痛みから守るために痛覚を伝えるのを止めため、ただ熱を帯びていることだけが分かった。血の味が喉に滲む。
視界の端に、壊れたバリケードの陰や瓦礫の隙間に転がる重火器が見えた。折れかけの三脚、泥に半ば埋まった機関銃、肩当ての外れたグレネードランチャー、空の弾倉を抱くアサルトライフル。
彼女は一本ずつではなく、全部に糸を伸ばした。
——脳が沸騰する。
目の奥が熱を持ち、血管が一本ずつ目覚める痛みを訴える。鼻の奥に鉄の匂い。耳の中で水が煮立つ。
それでも糸は切れない。むしろ絡み合いながら太くなる。
ボルトが引かれ、安全装置が外れ、薬室が回る。
地面に寝かされた銃身が自重でぶるぶる震え、彼女の意志に合わせて首をもたげる。持ち上げられないのなら、どこか高い位置に引っかけて吊るし上げれば良い。支点を見つけ、押し引きだけで銃を吊るし上げると射角を作る。
「……行け」
一斉射。
ン=ゴを囲むように配置された銃たちが、広場の空気を白い煙で満たした、薄い膜の前で音が欠ける。
消える弾、通る弾——縁を舐めたものだけが黒曜の殻に白い傷を刻む。
グレネードが地面で弾んでから破裂し、破片は面に触れて消えるが、爆圧は巨体の軸を半歩だけ揺らした。
ン=ゴは振り返る。
仮面の平面が、初めてうっすら沈んだ。
「学習。束ねてきたか」
フィリスは答えない。答える余裕がない。
糸をさらに束ねる。
機関銃の唸りが一枚の布になって、薄い膜の隙間を狙って擦り続ける。
反動が地面を叩き、瓦礫が震え、耳鳴りが膜の手前で押し潰される。
鼻から温いものが垂れ、顎を伝う。視界が細かい白でちらつく。
(もっと。——通せ)
ン=ゴが弾幕が濃い場所に円盤の位置をずらすと、フィリスも角度を変え、高さをずらし、射線を変える。
ひびが、ひとすじ。
ン=ゴの肩甲に、髪の毛一本ほどの裂け目が走った。消失面がそちらへ寄って保護する。
なら、逆側。
右が固まれば、左。
面が左へ寄れば、上。
扇が開けば、切っ先。
機械の喉が焼ける匂いが広場に広がる。
弾帯が尽き、空嚢が地面に雨になる。
まだ。まだ。まだ——
ン=ゴが一歩踏み出し、前腕を水平に開いた。
薄い膜が重なり、壁が厚くなる。
消える弾が増える。通る弾が減る。
フィリスの視界が瞬きのたびに暗くなる。
(——限界? 違う。終わらせない、終わらせない、終わらせない、終わらせない、終わらせない、終わらせない、、終わらせない、終わらせない、、終わらせない、終わらせない。終わらせてたまるかぁぁぁぁぁぁぁ——!!)
最後の一本の糸を、鍵に繋いだ。
胸の四角の冷たさが、意識をひとつに集める杭になる。
(この線は、ここに着地するための線)
「ブレイク——!」
名前を口にした瞬間、糸がもう一段、太くなった。
重火器の群れが呼吸を合わせ、白い線が一枚の刃にまとまる。
薄い膜が鳴る。黒曜の殻が低く軋む。
フィリスは膝から崩れそうになる体を、意志だけで立てた。
「通れぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!」
——光が走る。
——無音が割れる。
——黒が、半歩だけ沈だ。
ランキング上位入りを目指してます。
続きが気になる方は、ブックマーク、評価をお願いします。




