名乗りと無音の盾
広場の風が、ひと息だけ止まった。
黒曜の装甲を纏う異形が、照明塔の影を踏み出す。顔面の仮面に口はないが、声はあった。空気を撫でる低い振動が、胸骨へ直接響く。
「——我はン=ゴ。この地区における“狩り”の執行者。走者、名を」
ブレイクは片頬を上げるだけで、銃口はまだ下げたまま。
「ブレイク・サンダース。走って、撃って、通す役。……名乗りはこんなもんでいいか?」
「おしゃべりは嫌いか?ならば、よかろう。決闘を始めよう」
空気の厚みが一段変わる。ブレイクは一歩だけ右に滑り、呼吸を整える。
(まずは観る。消える“面”の立ち方を観測だ)
手首が、微細に跳ねる。四連射。
真正面に二、舗装の角に一、空へ一。
ガンスリンガー——発射後の弾に“意志”を載せ、軌道の曲率を変える。
看板で跳ねた弾が右から回り込み、空へ撃った弾が急降下して左の死角へ落ちる。
だが、そのいくつかはン=ゴの目前でふっと消え、別のいくつかは背後の壁を叩いた。
(やはり——前に“面”。薄く揺れる円盤。反応されると、どうしようもないな……)
「面白い」
ン=ゴの仮面が、わずかに傾く。「人類は、無駄だとわかっても抵抗を辞めない」
〈前線司令室より。走者、映像確認。目をこらすと、ン=ゴの前に陽炎のように像が揺らぐ円盤がある。位置も動かせるようだし、円盤の数も複数あるようだ〉
「了解。だが情報はそれだけか?弱点はないのか?」
〈今、科学班に分析させているが、当てにするな。エイリアンの技術は謎が多い〉
ブレイクは走りながら撃つ。
三連、間を置いて二、呼吸に合わせて一。
**すべて“違う曲率”**で、目に見えない円の外周をペン先でなぞるように。
消える弾、消えない弾。粉塵の散り方を目で拾い、脳の奥で図面に起こす。
(正面広めの“面”。上と右下なら通りそうだが。位置を変えてくる——なら、こちらも速度を変える)
次の十四発は、速度差をつけた。
ゆっくりな弾が円盤の右横をかすめ、遅れてきた速い弾が、先に打った遅い弾を消すために、右にずれたが故にできた円盤の左側の空間駆け抜ける。
二発、三発——通る。
ブレイクは即座に一点穿孔(一か所だけを繰り返し穿つ)に切り替え、胸の中央へ集中させた。
ガキンッイ!!
金属質の音。当たった。
だが、沈まない。
胸甲は分厚い陶器のように固く、弾痕は浅い白傷にしかならない。
〈前線司令室。命中を確認。ただし装甲が厚い。実傷なし〉
「見りゃわかる……!嫌味かよ!」
ブレイクは一気に後退して、弾倉交換。落とす、差す、引く。指は迷わない。
ン=ゴは追わない。ただ原理は不明だが音を吸収する無音の円盤を再配置し、観察だけを続ける。
「人類の“意志の銃弾”は興味深い。だが、銃では無力だ。人類の科学では、我が命には届かない」
「降参したいのは、やまやまだが、人類の命がかかってるんでね。攻略の答えが出るまで、やってみないとな」
ブレイクは、左右へのオフセット射撃へ移る。
身体を真横に切り、腰のひねりで銃身を振り抜く。
弾を二本の線に分け、右斜め下の薄い縁を舐めさせ、左から戻した弾を胸甲へ叩き込む。
規則が見えれば、踊りは速い。
それでも、浅い。
(この“盾”を越えた先に、もう一枚の現実——装甲。二重の門だ。ならば、門を叩き続けるのは愚策)
ブレイクは射線を切り、わざと間を作った。
ン=ゴの仮面が、またわずかに傾く。
「諦めるか?」
「いいんや、プランを考えてるだけだ」
無線が短く鳴る。
〈走者、状況整理を。弾の消失は“前面の薄い円盤状の面”。目凝らせばゆらぎで視認可。装甲に傷浅い。作戦変更を推奨する〉
「それには同意する。だから、もっと接近する」
言い終えるより先に、ブレイクは角度を落としてダッシュへ移行。
射撃は牽制に切り替え、円盤の管理に集中させるため最小の発砲でン=ゴの足を止める。
片手は外套の陰に滑り、ピンの輪を指にかけた。
(手榴弾まで届く距離——そこが次の勝負)
ン=ゴの前腕のゆらぎが、一瞬だけ濃度を上げる。
ブレイクは撃つふりだけ見せ、撃たない。
盾が出た**“直後の間”**に踏み込む。面の再配置が追いつかない瞬間。
足裏が石の目地を噛み、視界の端で駅の階段口がわずかに近づく。
ン=ゴの仮面の奥で、初めて感情の微粒が灯った。
「見事だ、人間」
「なにせ俺だ、当然だね」
ブレイクはピンを抜いた。
腰のひねりで、楕円の弧を描くように投擲のフォームへ——
——その瞬間、ン=ゴの無音の面が幅を変えた。
薄い円盤が縦に裂け、重なり、扇状に展開する。
(形が変わる——!)
投げるか、やめるか。一拍の判断。
ブレイクの足は止まらない。
(手榴弾の爆風なら銃より効果が見込める。ならば——押し切る)
彼はわずかに手首を返し、投擲の角度を変えた。
面の切っ先を舐める軌道。
手榴弾が、無音の扇の縁をかすめ——
(行け)
場面が、白に滲み始める。
爆圧の前に、ブレイクの最後の呼吸が細く伸びた。
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