黒曜の影、無音の前触れ
ユニオンステーションへ続く石畳は、夕焼けを吸って赤銅色に鈍っていた。
ブレイクは呼吸を浅く整え、足音を刻む。胸もと、革のインナーホルスターにはカードキー。脈と一緒に、固い角が指に触れる。
〈前線司令室より。走者、聞こえるか〉
「聞こえる」
〈駅前広場に特異個体を確認。名称は——ン=ゴ。米軍小隊が先ほど交戦、銃が効かず撤退した〉
「銃が効かない?」
〈報告は簡潔だ。“撃った弾が、あいつの〈前〉で消えた”。仕組みは不明。だが事実だ〉
ブレイクは一拍だけ目を伏せ、すぐに顔を上げた。
(最悪の相性——だな……)
通りの先、駅前の広場は半ば焼け、半ば濡れていた。放水のあとが黒い粉を流し、路肩に溜まっている。噴水の縁で、避難誘導の兵士が手を振った。
「走者! ここから先へ市民を通した。あなたは——」
「わかってる。まっすぐ行く」
風が変わる。
それは「音の薄さ」でわかった。
街のざわめきから、中域のひと筋だけがすっと抜け落ちる。耳が探して空振りする、あの感覚。老夫婦のいた路地でも、一瞬だけ似た“空虚”を感じた。
広場中央、崩れかけた照明塔の影から、黒い外骨格が一歩、現れた。
無駄のない体躯。磨き込まれた黒曜石のような装甲。顔には仮面状の平面。口があるはずの場所は塞がれ、声帯は必要ないと言わんばかりに無音だ。
両前腕に、砲口のような器官が埋まっている。その周囲の空気だけが、水面の光のようにわずかに揺らぐ。
(あれが——ン=ゴ)
〈前線司令室。補足情報。米軍小隊は、目標との距離二十から三十メートルで交戦。初弾で異常に気づき、近接へ切り替えるも、被害が拡大して撤退。**“弾は目標の直前で消える”**と**“異常な膂力を持ち、白兵戦は危険”**以外の確証は取れていない〉
「了解。情報は十分だ」
ブレイクは二歩、三歩と前へ。
足の裏が石の目地を拾い、姿勢が自然に前傾へ落ちる。視界は狭くなるのではなく、線が濃くなる。
(銃が消えるなら、消える前に何が起きているかを観る。俺の仕事は、それからだ)
ン=ゴは静かに歩を進め、広場の中央で止まった。
互いの距離、二十五。
ブレイクは構えない。むしろ自動小銃を下げた。
視線だけが、相手の前腕と、その周囲の揺らぎを追う。風ではない。熱でもない。だとすれば——。
〈走者、補足。米軍の隊長から個人回線。直接つなぐ〉
〈……こちら第七小隊・隊長ジョン・ウー中尉だ。ン=ゴが居るなら音の違和感“無音”は気のせいじゃない。撃った瞬間、銃声の“後”が消える。弾痕も出ない。目の前の空気に違和感を覚えるはずだ。目を凝らすと、薄い円盤みたいなものが前に浮いて見えるはず……だ。いや、俺の幻覚かもしれんが〉
ブレイクは答えず、呼吸を一度だけ深くした。
(薄い円盤。目の前の奇妙な空気。消えるのはその手前——)
ン=ゴが、首をすこしだけ傾ける。
その仕草には嘲りも誇示もない。観察者の角度だった。なによりも、その仕草からは自分は狩る側だという、絶対の自信を感じさせた。
ブレイクの足が地面から離れる。意識より先に、身体が**“間合い”**を測っていた。
〈前線司令室より。繰り返す——米軍は一度、銃で負けている。無理に撃ち合う必要はない。戦闘は極力回避で進み、カードキーの挿入を最優先に考えろ〉
「それはできない」
〈繰り返す、最優先は——〉
「これを倒さないと、背中を撃たれる。民間時の避難列もだ」
短いやり取りのあいだに、ブレイクは一歩目を刻んでいた。
自動小銃の弾倉は満杯。リボルバーの鼓胴も満ちている。
指先は冷えていない。視界の端に、避難を終えた市民の影が完全に消えたのを確認。
(撃つ。観る。線を描く。消える“場所”を見切る)
無線の向こうで、誰かが短く息を呑んだ。
ン=ゴが、いつの間にか真正面に立っていた。距離は詰めていない。にもかかわらず、近くなった錯覚がする。空気の密度が、そこだけ一段変わっている。
〈走者、最後の助言だ。音に惑わされるな。我々は現場にいないけど、通信の向こうで君と一緒に戦っている。だから、一人で戦ってると思わずに自分と仲間を信じて〉
ブレイクは短く笑った。
「了解、何かあったら応援を寄こしてくれ、当てにしてる」
彼は自動小銃を上げないまま、肩ごと体を半身にし、右足を前へ滑らせた。
わざと隙を見せる。
ン=ゴの仮面の奥で、何かがわずかに収束する。
——来る。
ブレイクはそこで初めて、銃口を上げた。
撃つ気配を“見せて”、撃つ。
そして同時に、撃った弾の進行線を自分の意志で曲げる準備に入る。
(これはガンスリンガーの基本だ。撃ってからが本番)
引き金に指が触れた瞬間、ブレイクはほんのわずか、ン=ゴの前腕の“揺らぎ”が濃くなったのを見た。
そこに、なにかが立つ。
「——見極めてやる」
彼は一発、空に。
二発、舗装の角に。
三発目からは、真正面。
更にはフルオートでの乱射。
弾道は直線ではない。
一発ごとに、微細に違う“曲率”を持ち、見えない円の縁を探るように走る。
彼は撃ちながら、観測していた。
消える場所、消えない場所。
音が薄くなる瞬間、ならない瞬間。
(湯気?陽炎? いや違う。面か。大気が揺れてる面がある。ならば、“あれがヤツの能力の範囲”か?)
ン=ゴは動かない。
ただ、前に“何か”を置いたまま、静かに見ているだけだ。
ブレイクの弾がいくつか、ふっと消え、いくつかが背後の壁を叩く。
彼は、壁に走った粉塵の位置を記憶に焼き付けた。
〈前線司令室より。観測結果だ。一部の弾だけが通っている。走者、どう見る〉
「“消える”のは前にある大気が揺らいでる空間に当たったとき。通るのはその揺らぎがない場所だ」
〈つまり?〉
「近づく」
「馬鹿な⁉白兵戦は危険だとさっき米軍がっ——!」
通信が言い終わる前にブレイクは、地面を蹴った。
ン=ゴは、まだ一言も発しない。
だが、これから言葉が要らなくなることを、互いに理解していた。
次の瞬間、広場の空気が一段深く沈んだ。
ブレイクは自動小銃を握り直し、走りながら撃つ。
撃つたびに、弾道の曲率を微調整し、消える“面”を避ける。
(ここまでは情報取り。次は——)
ン=ゴの仮面が、わずかに傾いた。
観察者の目が、評価へ変わる。
その変化を見たとき、ブレイクは自分の鼓動が静かになっていることに気づいた。
「来いよ、音飛ばしの処刑人」
声に揺れはない。
胸の内側で、フィリスの囁きがかすかに鳴った。
——気を付けてね。ブレイク。
(ああ。だが、戦いは避けられない)
足が、石の目地をまたぐ。
距離、詰まる。
次の一歩は、もう近接の間合いへ。
——ここから、戦いは本当に始まる。
ランキング上位入りを目指してます。
続きが気になる方は、ブックマーク、評価をお願いします。




