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走者は手を伸ばす

軒の影が落ちてきた瞬間、乾いた二発が割り込んだ。

銃口は老夫婦から外れた角度を向いている。それでも弾は、看板の角を舐めるように跳ね、軒先の異形の側頭部へ吸い込まれた。黒い肢体が崩れ、瓦礫に鈍い音を残す。


「動けるかい?」

リボルバーに短機関銃、背中にはショットガン、黒い外套が内側から膨らんでいる、恐らくは手榴弾が仕込まれてるのだろう、今この場でなければ異様な風貌の男が振り向く。ブレイク・サンダース。息は上がっていない。瞳だけが、周囲を休みなく測っていた。


妻は震える声で頷き、夫の腕にしがみついた。

「いまの……どうやって……」


「能力だ」ブレイクは短く言う。「ガンスリンガー。撃ってから、弾の進む線を自分の意志で曲げたり、速くしたりできます。真正面に撃てないときでも、回り込ませて当てられる。……説明は以上」


言葉と同時に、別の気配。屋上から二体、路地の奥から三体。

ブレイクは片手で老夫婦を背に下げ、もう片手で短機関銃を横に振る。真正面ではない、壁際ぎりぎりの角度——散った弾のいくつかが看板や窓枠で曲がり、敵の関節だけを正確に穿つ。「直線では届かない場所に、弾道を曲げた銃弾を差し込む」——それが彼のやり方だった。


「駅の地下へ。ユニオンステーション保存修復センター 地下保全庫。避難導線に沿って行けば、階段がある。ここは俺が押さえる。走って」


夫婦が駆けだすと、ブレイクは小さく息を吐き、胸元に指先を滑らせた。革のインナーホルスターに収まったカードキーが、脈と一緒に固く触れる。

(お守りだ。落とさない、渡し損ねない)


耳の中で、声が重なり合う。

〈こちらカンザスシティ前線司令室。北西角、避難列一旦停止。走者、現位置からユニオンへ南下、東へ折れて合流路を使え〉

〈救護班、クロスロード二番街へ。住民の移送を優先——〉

〈偵察ドローンの映像を回す。南ブロックで敵の群れが分断。空いたルートで——〉


無線が多いが無理もない。

最後の一本を通すために、国連と米軍が動員できる全てをこの場へ注いでいる。避難、迎撃、進路の穴埋め、航空の目、地上の手——全軍を上げたバックアップ。だから声が増える。だから、走りやすい。


「了解。南へ下って東へ折れる」

ブレイクは短く答え、靴裏で瓦礫の角を噛ませて加速した。曲がり角の先、吹きさらしの通りに出る。遠くでサイレンが途切れ、別のサイレンに繋がる。焦げた匂いと、濡れた紙の匂いが交じった。


二階の手すりに、黒い影。

ブレイクは意図的に外す——窓枠の下へ撃ち込み、跳ねた弾を真横から曲げて手すりの内側へ滑り込ませる。獣じみた声とともに影が落ち、地面にひとつ、またひとつ。


〈前線司令室より。走者、通信が増えていることについて説明する。本区画は最終発射の要衝、米軍小隊とも統合運用に入った。避難と迎撃の手が増えたぶん、情報の往来も増える。あなたを走らせるための声だから気にするな。〉


「分かってる、いちいち言わなくていい」

無愛想に一言だけ返して、ブレイクは前へでた。

無線の声は、背中を押す手だ。うるさいのは、それだけ追い詰められてる証拠だ。それだけ生きたいのだろう。俺もそうだ。


角を折れた先に、老夫婦が引率兵と合流していた。妻がこちらを振り返り、震えた手で胸を押さえている。ブレイクは指を一本立て、顎で「まっすぐ行け」と示す。夫婦は何度も頷き、兵士とともに地下への坂を駆け下りた。


(先行した小隊が道は開いたか。次は、俺だな)


通りの向こう、駅へ続く大通りの空が、少し暗い。雲ではない。何かが空気を〈拭い取った〉跡のような、空間の色の薄さ。

ブレイクは足を止めない。胸骨の奥で、フィリスの声が微かに揺れた気がした。

——本当にいいの?兄さん。

——構わない。お前が無事でいてくれれば、それで良い。


〈走者、ユニオン前広場に敵集積。徒歩での突破は可能、ただし衝突は避けられない——聞いてるか?〉

「聞こえた。覚悟は決めておく」


ブレイクは外套の裾を片手で払った。

銃に新しい弾倉を合わせる。手の動きがいつもより速い。焦っていない。集中すると、時間は伸びる。

呼吸が浅く、等間隔になる。

銃身が目の延長になり、視線で描いた線を、弾が後追いする感覚。


「行くぞ」


彼は走った。駅へ、地下の心臓へ。

最後の鍵は胸にある。前線の声は背にある。

そして、守りたい顔は目の奥にある。


——その先で、彼を待つ影の名を、まだ誰も口にしていない。

ランキング上位入りを目指してます。

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