アトラス育成研究所
遠い昔、ステルン・シュナイダーは「人間になる方法」を知らなかった。
彼女の最初の記憶は、金属の壁と消毒薬の匂い、そして温度のない白い光。そこはアトラス育成研究所——地球上で最も高度な超人兵士育成施設であり、人工的に生まれた彼女たち“7人”の唯一の故郷だった。
ステルンは他の者たちと同じく、試験管の中で育まれた。母を知らず、父を持たず、国家の希望として育てられた。誰かに抱かれた記憶はない。しかし、アトラス育成研究所には確かに「家族のようなもの」があった。
「リワンの笑い声が廊下に響くと、少しだけ空気が温かくなった。エステバンが何も考えずに抱きついてくるのが煩わしくも嬉しかった。サファルの真面目すぎる言葉に、よく笑った。」
彼らは孤独だった。しかし、同じ孤独を知る者同士、繋がっていた。
ステルンがその存在を認識し始めた時、すでに彼女の身体は完成されていた。感情の発露は乏しく、静かで鋭く、無駄を嫌う性質——それは彼女が授けられた戦闘特性と一致していた。だから彼女は「ステルン(=冷徹)」という名を与えられた。
そんな彼女が変わり始めたのは、研究所が“改装”されたあの日だった。
研究者たちの意向で、研究所の一部に「リラックスルーム」や「中庭」が設けられた。無機質だった空間に草花が植えられ、風が流れ、光が射すようになった。初めて見る花に、ステルンは「これは何?」と問うた。エステバンが笑いながら「におい、かいでみ?」と言った。彼女はわからぬまま、香りをかいだ。
「なんだ、これ。」
それは記憶の中で最初に「美しい」と感じた瞬間だった。
その中庭で、ある日、教官が言った。「お前たちは人間ではない。しかし、人間よりも人間らしく生きる義務がある。」
その言葉は、ステルンの胸に深く刺さった。
「人間らしく?」
「人間よりも?」
自分は“造られた存在”だ。それは紛れもない事実だった。だが、その事実に“意味”を持たせられるのは自分だけ。そう思った。
彼女は自らの鋭利さを自覚していた。その冷徹さと無慈悲さを誇りにしていた。だが、同時に、それを温かく見守る仲間たちの存在があった。
——そして今、ステルンはドイツにいる。
ドイツの都市ベルリンの北西、廃工場地帯に設けられた防衛拠点。そこに彼女は一人、静かに立っていた。
かつての仲間たちは世界各地でそれぞれの使命を果たしている。ラッシュの死の報告は、すでに耳にしていた。
「……英雄。」
赤い目が細くなった。誰にも見せたことのない、憐憫にも似た光がその奥に宿る。
「私たちが歩くのは、記録に残らぬ道。けれど、その血は確かに未来を押し出す推進剤だ。」
耳元の通信が入る。
「ステルン、都市区域に異常接近するエイリアン戦力あり。民間人避難完了まで、時間を稼いでくれ。」
彼女は応じることなく歩き出した。薄暗い空の下、雨のように振るが如く迫る危機に向かって。
——彼女の背には、誰もいない。
だが、心の中には確かにあの日の仲間たちがいる。
ステルン・シュナイダー。
冷徹にして誇り高き刃。
この日もまた、孤独にして崇高なる戦いが始まろうとしていた。
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