絶望の波、希望の拳
キングジョージ島の冷たい風が戦場を包み込む。ミサイル発射施設を背に、ラッシュ・スウィフトは立っていた。
いや、“立っている”と呼ぶには、あまりに痛ましい姿だった。
両脚は何度も骨が砕け、そのたびに再生しかけては攻撃を受けて砕かれた。血塗れの全身からは蒸気のように熱が立ち上り、脇腹の裂傷からは肉片が覗いている。にもかかわらず、ラッシュの表情に恐れはない。
「……ぼ、く……ヒーロー……」
擦れた声で、しかし確かに叫んだ。
周囲を囲むエイリアン部隊。人型に近いもの、虫のような外骨格を持つもの、半透明の粘体すらいた。アシミルの命令で次々とラッシュへ飛びかかる。
所長はモニターを握りしめながら、歯を食いしばった。
「もうやめてくれ、ラッシュ……!お前はもう……!」
だが、ラッシュは止まらない。むしろ、動きが速くなっていた。
(――彼は、「止まらない」ことを選んだ)
所長の脳裏に浮かんだのは、かつて施設でラッシュが見せた笑顔だった。テレビの中で暴れまわる超人ハルクを観て、彼は嬉しそうにこう叫んでいた。
「僕、ヒーロー!」
その言葉は、たった一つの希望だった。誰かを守れる存在になりたいという、ただそれだけの、純粋な願いだった。
戦場で、ラッシュは右腕を振り上げた。筋繊維が千切れる音が周囲に響き、骨の軋みと共に、その拳は目の前の異形の頭部を貫く。
「ッッ……僕、ヒーロー!!」
声は震えていたが、拳は震えていなかった。次々とエイリアンを叩き潰す。足を引きずりながらも前へ進み、倒れれば膝を使って敵の顔面を砕き、背後から襲いかかる敵には肘鉄を打ち込む。
だが、限界は刻一刻と迫っていた。
「兵よ、足を狙え」
「承認」
エイリアンの一体がラッシュの膝裏へ飛びかかり、鋭利な爪で腱を切った。バランスを失ったラッシュの身体が倒れる。その隙に、上空からクロゼアの剣が閃いた。
「これで終わりだ、人間」
――ズドォォンッ!!!
衝撃。煙。そして、沈黙。
所長が血の気を失う。画面は真っ白になり、映像が切れたかと思われた。だが――その次の瞬間、再び映ったのは、土煙の中から立ち上がる影だった。
ラッシュだ。
右手は剣によって肩口から切り裂かれ、左目は潰れた。なのに、彼は再び立ち上がっていた。もう歩くことさえできない。だが、彼は這いずってでも前に進んでいた。
(なぜ……なぜ、ここまで戦えるんだ?)
アシミルが、まるで心を持った存在のように呟いた。
その理由を、誰も知らなかった。
だが、ラッシュには理由があった。
彼にとって“ヒーロー”はテレビの中の空想などではない。
“ヒーロー”とは、誰かが笑ってくれること。
“ヒーロー”とは、大好きな人に頭を撫でてもらえること。
“ヒーロー”とは、「ありがとう」と言われること。
だから、彼は立ち上がる。
誰かを助けたかった。誰かに喜んでほしかった。
その思いだけが、ラッシュ・スウィフトの体を支えていた。
そして――
「僕、ヒーロー……」
血の混じった声で、ラッシュはアシミルに最後の跳躍を見せた。
全身を使った跳躍。これは拳ではない、命そのものだ。
アシミルの顔面に、ラッシュの拳が炸裂した。
そして、その衝撃でアシミルは十数メートル後方に吹き飛び、施設の外壁へ激突する。
勝敗は、まだ決していない。
だが、人類の“英雄”は、確かにまだ生きていた。




