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なぜここにいるのか

――南極、キングジョージ島。


南極条約のもとに各国の研究ステーションが点在するこの氷雪の島の一角、そこにある特殊施設《サザーランド気象観測センター》と呼ばれた複合施設の地下には、地球最後の砦とも呼ぶべき設備が存在していた。人類が滅亡を回避するための、たった四本の槍のうちの一本。それが、**“発射試験用宇宙工学ブロックE-7”**と偽装された核ミサイル発射装置だった。


この場所は、冷戦終結からわずかに時を経た1990年代、各国の政治的譲歩の末に建設された非武装区域の最深部であり、だからこそ、その地下にこっそりと“物理的起爆手段”が設置された。電波も電子通信も信用ならない。エイリアンの妨害技術の前では、最後の手段はアナログな「鍵を差し込む」という行為しかなかったのだ。


だが、この発射施設には、ひとつだけ重大な問題があった。


――誰が、この極寒の地に、核ミサイルを発射しに走って来るというのか。


氷嵐が吹きすさぶキングジョージ島には、海からも空からも侵入が困難だ。しかも施設は表向き研究棟の体裁を取っており、入口は封鎖されがちだ。仮にここへ到達できたとしても、内部構造は一般の軍人ですら把握できないよう偽装されている。


だから、最初から一人だけ、ここに送り込まれた子どもがいた。


――ラッシュ・スウィフト。


“走者”として訓練された七人の中でも、彼は特異な存在だった。


知的障害。発語は「僕、ヒーロー!」がほとんど。言語理解も三歳児程度。複雑な命令を理解することも、戦略を練ることもできない。ただ、優しくされた人の顔と、自分が“何をすべきか”をなんとなく記憶するだけの男の子だった。


だが、その肉体だけは神がかっていた。


走力、筋力、耐久力、反射神経。身体能力の全てが規格外だった。幼い頃、訓練中に装甲車を素手で止めたことがある。機関銃を跳ね返し、雪山を一人で登り切り、酸素マスクなしで高地に数時間耐えた。だが、彼はいつも笑っていた。


そして彼は、テレビを見ていた。


テレビの向こうの、超人ハルク。


画面の中の、緑色の巨人。


怒ると巨大化し、悪者を叩きのめす存在。


それを見たラッシュは、誰に教わったわけでもなく言った。


「ぼく、ヒーロー!」


その言葉を最初に聞いたのは、育ての親である施設の女性研究員・アンナだった。彼女はその言葉を泣きながら受け止めたという。


それ以来、ラッシュは誰にでも「ぼく、ヒーロー」と言って笑った。褒められるたびに力を誇示するように机を持ち上げ、廊下を駆け、凍った扉を素手で開けては得意げに笑った。


そして、プロジェクトリーダーたちは考えた。


「この子だけは、最初から施設に置いておこう」


誰にも知られず、誰にも渡さず。


彼に遠回りをさせるのではなく、最初からゴールの真上に配置する。


ラッシュは、七人の走者の中で唯一、“走らなくていい”者だった。


それでも彼は、今日も走っていた。


目の前の敵に向かって、雪原の向こうの仲間たちを信じて、あの施設の、あのテレビの中のヒーローのように。


彼は、全力で“今”を走っていた。


なぜここに居るのか。それは――


「ぼく、ヒーロー!」


――その言葉の中に、すべてが詰まっていた。



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