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施設での思い出

その日もテレビはついていた。映し出されていたのは、くすんだ色のアニメーション。巨大な緑色の筋肉の塊が、軍の戦車をひと薙ぎで吹き飛ばす。暴れまわる怪物のようでいて、悪人には拳を、弱者には背を向けて歩くその姿に、少年は目を輝かせていた。


「……ボク、ヒーロー!」


部屋の隅に座る彼が叫んだ。頬にお菓子のクズをくっつけたまま、太い指をテレビに向けて突き出す。知能は三歳児程度と判定されていたが、好きなものには強く反応した。彼にとってそれは、緑の巨人――「超人ハルク」だった。


施設の名は「アトラス育成研究」。人間の遺伝子に異星由来の情報を埋め込み、超能力を持つ者を育てる政府直轄の極秘施設だ。他の被験者たちは冷静に訓練を受けていたが、彼――ラッシュ・スウィフトだけは例外だった。


言葉のやりとりが難しく、数の概念も曖昧。感情表現は笑顔と「ヒーロー」という単語がほとんどすべてだった。だが、誰も彼をバカにしなかった。むしろ、周囲は畏怖すらしていた。


理由は単純明快だった。ラッシュの身体能力は、施設内のどの被験者をも上回っていた。


持ち上げる訓練用コンテナは一人だけ規格外。数トンある重りをまるで紙袋のように振り回し、走れば訓練ドローンすら追いつけなかった。制御不能の怪物。それが一般的な評価だった。


だが、職員の一人は言った。


「彼は“優しすぎる”。だから暴力の意味がわからないんだ。」


確かに、ラッシュは怒りの感情を持たなかった。誰かを傷つけることはせず、訓練でも過剰な力を出すと悲しそうな顔をした。大好きなテレビのヒーローが、悪人以外には拳を振るわなかったように。


ラッシュには、親がいなかった。他の被験者たちもそうだったが、ラッシュは特にその欠如を埋めようとしていた。


面会室の窓の外に立つ看護師の女性に、彼は何度も言った。


「ママ?」


その度、看護師は涙をこらえ、微笑んだ。


「ううん、私は違うけど、ラッシュの味方だよ。」


それが彼にとっての“家族”だった。


ラッシュは毎晩、同じ毛布にくるまり、同じテレビを見て眠った。超人ハルクの再放送は、彼の世界の中心だった。


その緑の巨人が、どんな困難にも立ち向かう姿を見て、彼は胸を叩いた。


「ボク、ヒーロー!」


誰かが笑い、誰かが頷いた。その場にいたすべての人間が、彼のその言葉に心を打たれた。


いつかこの子が本当に世界を救う日が来るかもしれない――と。


そして、その「いつか」は思ったより早くやってきた。


異星から届いた脅威。地球に突き立てられた四本の塔。そして、人類最後の希望となった“七人のランナーズ”。


施設の長官は、迷うことなくラッシュを最前線の“打ち上げ地点”であるキングジョージ島の発射施設に配属した。知的に自立行動が難しい彼に、長距離の移動は不可能だった。最初からミサイル発射の地に配置し、そこでの迎撃と防衛を一任するという、特殊な判断だった。


それは、ラッシュが「走者」であると同時に、「守護者」としてその場に立ち続ける運命を背負ったことを意味していた。


扉が開く。島の風が吹き込む。ラッシュは振り返りもせず、前を見つめた。


画面の中のヒーローのように。


「ボク……ヒーロー!」


彼は叫んだ。


それは、誓いだった。


そして、すべての始まりだった

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2025/08/10


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