走る理由
朝の光が強さを増すにつれ、ヴェル・サグリオンの糸が再び閃いた。
今度は横殴りのような軌道で、フリントの進路を断ち切る。
砂塵が渦を巻き、視界が白く曇った瞬間――背中に衝撃が走った。
「……っ!」
フリントはよろめき、足が半歩遅れる。
鋭い糸が彼の左腕をかすめ、装甲の下で血が滲む。
赤い滴が空へと散った。
呼吸が荒くなり、視界が揺れる。
それでも彼は前を見据え、速度を緩めない。
ヴェル・サグリオンの声が後ろから響く。
「なぜ止まらぬ、地球人。体を刻まれながらも走り続けるか。」
フリントは小さく笑った。
荒い息の合間に、柔らかな記憶が胸を満たす。
「……昔、妻に言われたんです。
『あなたは不思議ね、どうしてそんなに小さなカードを真っ直ぐ飛ばせるの?』って。」
走りながら、彼の目の奥にあの夜のパーティーが蘇る。
青いドレスの彼女が、的に刺さったカードを拾い上げたときの笑顔。
柔らかな声。
「僕はただ答えました。『未来を想像するんだ。軌道を、角度を、そして希望を。』」
フリントは脇腹を押さえながら、再び息を吸う。
砂を蹴る脚が痛みを訴えるが、そのたびに胸の奥で別の鼓動が高鳴る。
「そして……娘が生まれた日のことを、まだ覚えています。」
「あの日、彼女は僕の手を握って、小さな声で泣きました。
……あの声が、今も耳の奥で鳴っています。」
脇腹をさらに深く裂かれる。糸の一本が追いつき、右足の外側を抉った。
激痛に思わず歯を食いしばる。
「ぐっ……!」
それでも、彼は倒れなかった。
視界の隅に〈オパール・ドーム〉の屋根が近づいている。
(……そうだ、僕はあの二人の未来のために――この足を止めるわけにはいかない。)
呼吸を整え、再び角度を計算する。
固有能力が脳裏で軌跡を描き、最適な走行ラインを示す。
フリントは笑みを浮かべた。
「……愛してる。
だから、僕はまだ……走れる。」
その瞬間、彼の脚は痛みを超え、さらに速度を増した。
ヴェル・サグリオンの糸が追いすがるが、フリントの体は風を切り、荒野を裂くように走り抜けていく。
砂塵の向こうに、朝日が差し込む。
フリントはその光を見上げながら、心の奥で家族の笑顔を強く思い描いた。
「……待っていてくれ。」
そして再び、赤土を蹴る音が荒野に響いた。




