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退かず、避けて、走る

 虹色の光を反射する無数の糸が、荒野の地面に突き刺さった。

 ほんの一瞬遅れて、フリントの横を鋭い音が切り抜ける。

 砂煙の向こう、丘の頂でヴェル・サグリオンが糸を操っているのが見えた。


(……糸の速度、あれでは真正面から挑めば一瞬で絡め取られる。)


 フリントは肩で息をしながら、自分の戦闘能力を冷静に計算した。

 カード投げなら不意を突ける。だが相手は距離を保ち、自在に糸を操る狩人だ。

 こちらの一撃で決定打を与えることは難しい。


(僕の役目は倒すことじゃない。届けることだ。……カードキーを。)


 腰のケースを確かめると、指先に硬質な感触があった。

 その感触だけが、胸に灯る小さな希望だ。


「地球人、逃げるつもりか。」


 ヴェル・サグリオンの声が風に乗った。

 フリントは走りながら答える。


「……あなたと争うより、優先すべきことがあるんです。」


「ならば、その優先を、我が糸で断ち切ってやろう。」


 空中で光が走り、何十本もの糸が交差する。

 まるで夜空に描かれた蜘蛛の巣。

 フリントは一瞬だけ膝を曲げ、角度を変えて駆け出した。


 糸が地面に突き刺さり、赤土が爆ぜる。

 破片が装甲に当たり、金属音が響いた。

 しかし彼の瞳は前を見ている。


(恐怖はある。けれど、恐怖は足を止める理由にはならない。

 妻と娘がこの世界で生きている。彼女たちの笑顔を守るために、僕は――。)


 遠くに見える〈オパール・ドーム〉の丸屋根。

 その地下に、仲間たちが命をかけて求める発射盤が待っている。


 ヴェル・サグリオンが翼膜を震わせ、さらに糸を放つ。

 フリントは赤土を蹴り、身体をひねってかわしたが————すべての糸をかわし切れなかった。


 フリントの胸とふくらはぎに、わずかな切り傷を残し、傷口から流れ出た血が

 フリントの服を濡らす。


 だが構わず走るフリントに、ヴェル・サグリオンが、感心と興味の視線を送りながら叫んだ。


「人間、戦わずして何を成す!」


「……戦いよりも、大切なことがあるんです。」


 穏やかな声が、しかし決然としていた。

 次の瞬間、フリントはさらに速度を上げ、丘を駆け下りていく。

 遠くで光る糸が追いかけてくるが、そのたびに彼は僅かな角度の調整でかわし続ける。


 脳裏に妻の笑顔がよぎる。

 大学の夜、カードを投げたあのときの視線。

 あの目が、今も彼の背を押している。


(まだだ。止まらない。僕は最弱かもしれないが――走ることはできる。)


 赤土の風が強くなり、遠くの塔がわずかに揺らめいて見えた。

 フリントはその光景に向かって、再び全力で駆け出した。

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2025/08/07

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