追う者、追われる者
エステバンが目指す目標は一つ――ヴァルゼア・グランデ食品流通センター第四倉庫。
その搬入口の貨物リフトが“トゥカーノ発射井”への降下口だ。直線距離で二キロ。息を刻みに分解し、足音をメトロノームにして、ただ前へ。
だが、いつの間にかビル影に同じ速度で寄り添う黒い群れがある。
シリアルナンバーズ――番号だけを名として与えられた量産の狩人たち。ザルガとの戦いで位置を曝した以上、位置を嗅ぎつけられて当然だ。これまで手を出さなかったのは、ザルガの決闘主義のせい。だが今、彼が追いつくまでの“足止め”を命じられた、とエステバンは踏んだ。
(このまま引き連れていけば、リフトの前が地獄絵図だ。ここで振り切る)
呼吸を合わせて踏み込んだ瞬間、右の肋が警鐘を鳴らす。
痛みでバランスが一拍崩れた。その隙を群れは見逃さなかった。影が一斉に厚みを増し、蜂球のように密集して襲いかかる。
「――やるならやってやるよ!」
エステバンは足を止めず、体軸だけを縦に切り替える。
低い姿勢からの肘打ち、膝、踵。折れた標識を片手で引き抜いて旋回棒のように振り回すと、外縁の二体が壁へ弾かれて沈む。黒い球はすぐに穴を埋めるが、彼は円の縁を足場に逆回転で抜け、舞台を路地から幹線へ移した。肩口をかすめた刃が火花を散らす。血の味が濃くなる。
場面は一瞬、離れた。
チャーリー小隊の最終防衛線。折れた街灯の下、ワード=ザルガが片手で誰かの頭蓋を掴んでいる。
———その正体はリチャード少尉だった。力は抜け、体は引きずられ、抵抗の兆しもない。
「力は凡庸でも、意志は高い。兵であれ、勇者に値した」
賞賛の言葉とは裏腹に、その手は冷酷だった。彼は躯を無造作に遠くへ放り、遠方を見据える。
「距離は開いたが――猟犬は走らせてある」
ザルガが居た地面が爆ぜた。影が消え、残ったのは音の残像だけ。
――その頃、前線の別路地。
質量がぶつかり合う轟音の中心から、エステバンが飛び出した。叩きつけられたシリアルナンバーズは壁にめり込み、瓦礫に沈んで動かない。
「悪いな。サインは流通センターで頼むわ、ファンクラブ」
軽口で呼吸を整えつつ方角を確かめたとき、空気が裂ける音が耳を噛んだ。
ビュオオオ――。
振り向けば、黒い矢の残像が追ってきているのが分かった。ザルガが空を滑るように迫ってくる。背の棘が開き、獣の眼が獲物だけを映す。
「見つけたぞ、エステバン。幕を下ろそう」
エステバンは眉間に皺を寄せ、司令室に短く回線を開いた。
「……司令、あの連中は?」
一拍の沈黙。
「――十分に働いた。今は休養に入っている」
声色は平静を装っていたが、底に沈んだ重みは隠せない。
「了解。なら、帰ったら冷えたビール奢るって伝えといてくれ」
返答を待たず、地面を蹴る。足裏が連打する。
「あと少しだ。ここで掴まるかよ」
黒い壁が前方に立ちはだかった。シリアルナンバーズの再編成。
ザルガの笑いが追い風に乗る。「通すわけがない。ここは私の狩場だ」
立ち止まれば詰む。だが足を止めずとも詰む。
瞬間、空気の色が変わった。
ドドドド――、ダダダダ――、ドォン!
アサルトライフル。迫撃弾。対装甲ロケット。
重火器の合奏が通りを満たし、黒い影の列が泡立つように弾け飛ぶ。肉と金属片が路面に転がり、熱風が頬を叩く。
〈遅れた、すまん。E中隊所属、ラミレス大尉だ〉
〈進路は我々が切り開く。振り向くな、人類を前へ運べ〉
短く、切れる通信。
エステバンは笑って親指を立てかけたが、既に回線は死んでいた。代わりに耳へ届くのは、継ぎ足される弾倉の音、合図の笛、怒鳴り声、そして生の鼓動。
ザルガの顎がわずかに上がる。「邪魔者は群れで処理しろ。獲物は私が狩る」
命令と同時に、残ったシリアルナンバーズがE中隊へ雪崩れ込む。
エステバンは走る。だが、ザルガの距離はみるみる縮む。
回復力で劣る彼の足取りに、徐々に熱が纏わりつき、肺の奥で砂が鳴る。右脇腹が刺すたび視界の縁が暗む。ザルガの影は段々と濃く、長く――。
「おいおい、追いかけっこは子どもの遊びだぞ」
「違うな。これは競技だ。勝者だけが語る」
鉄骨の転がる工区を抜け、上に古い歩道橋。
エステバンは判断を一つ切り替えた。足を止めず、手すりの根元へ踵を入れる。金属が悲鳴を上げて折れ、欄干が片側だけ落ちる。ザルガが踏み込む直前に、傾いだ床板がバランスを崩して崩落――の、はずだった。
反発の波紋が、見えない楯となって崩壊を押し返した。
舞う破片の向こうで、ザルガが僅かに口角を上げる。「手数は悪くない。だが遅い」
「じゃ、これは?」
エステバンは路肩のバイクを押し出した。キーはない。だから押す。惰性で直進した車体が、棘の縁で斜めに裂けて回転。火花の渦が一瞬、視界を覆う。彼はその瞬間だけ視線を切り、塀を蹴って横道へ飛び込む。
遠く、看板の影に見知った箱形の屋根がのぞいた。
――第四倉庫。
胸が一瞬だけ熱くなる。届く。だが、その熱はすぐに冷えた。
「詰めるぞ」
耳ではなく、背骨で言われた気がした。次の刹那、ザルガが空中で姿勢を畳み、落下の角度を鋭く変える。エステバンの前方、歩道橋の柱の上。
狙いは遮断ではない。進路の“先”を刈る一手。
彼は足を止めない。止めたら負ける。
右脇がまた鳴る。歯を食いしばる。肺の砂を嚙み潰す。
〈ラミレスだ。さらに二十秒、火線を伸ばす〉
〈――頼んだ〉エステバンは息の間で答えた。
ザルガの影が、ついに自分の影と重なり始める。
倉庫までは、あと数百。
貨物リフトの記号が、歪む視界に小さく点滅する。
「終わりにしよう、エステバン」
「そうだな――ただし、俺の“終わり方”は、そっちの予定とズレてる」
砂埃が一段と濃くなる。
背後ではE中隊の咆哮。前方では倉庫の影。
左右からは、二つの影が重なって迫る。
距離は、まだ縮む。
走る足は、まだ止まらない。
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