軍も仲間
ワード=ザルガとエステバン。
瓦礫と硝煙の匂いが満ちる舞台に、ぴんと張り詰めた静寂が落ちていた。
先に踏み出したのはエステバンだ。
援護に駆けつけた小隊が、たった数度の衝撃で肉片に変わった――それを見た瞬間から、生来の軽口は砂の底へ沈み、胸の底で赤いものだけが膨れ上がっている。
迎えるザルガの背が膨張する。
見えない圧が弾け、地面が吠えた。ひとつ。ふたつ。みっつ――次々と放たれる衝撃波が舗装を裂き、柱を折り、空気そのものを打ち砕く。だがエステバンは、衝撃波の間を縫うように身を滑らせ、残光の帯の外縁をすり抜け、地鳴りと爆煙を背に前へ、ただ前へ。
二人の間合いが、音もなく消える。
右腕はもう使い物にならない。肘から先が痺れ、命令が届かない。
だから選択しから捨てた。残った左に、全てを乗せる。
顎を狙って、跳ね上がる軌道――渾身の左アッパー。
ザルガは上半身をしならせて、紙一重で躱す。
そのままの反りで、尾がうねった。人間にはない器官。しなる鞭の先端が空気を押し抜け、白い輪を破る。
パン――ッ。
音の壁を割った破裂音が、鼓膜の内側で爆ぜた。
だが、当たらない。エステバンはアッパーが空を切る刹那に狙いを読み、身体を半身分だけ後ろへずらしていた。風だけが頬を剃る。
空を薙いだ尾――その一瞬の、空白。
エステバンは逃さない。踏み込みの勢いを殺さず、腰を捻り、胴回し回転蹴り。
ズド、と鈍い音。踵が額をとらえ、ザルガの首がわずかに揺れた。
だが、視線は切れない。
瞳孔が細まり、殺意が澄んでいく。ザルガは即座に体勢を戻し、地に落ちるエステバンの顔面めがけて拳を叩き落とした。
認識する前に、察知が先に来た。
エステバンは起き上がる意志を切り捨て、そのまま床を転がる。次の瞬間、彼の頬があったはずの地面が、ドスン、と沈んだ。
息を吐く暇も惜しんで立ち上がる。
拳を地にめり込ませたまま、ザルガが笑った。
「……愉快だな、走者。いや――エステバン。名を刻む価値がある」
「その手のほめ言葉は要らないねえ。今は怒りしか頭に入らないもんで」
「好きに怒れ。獲物に敬意を払うのが、我らの流儀だ。お前たち人間が合わせる必要はない」
「つまり、俺たちが何を抱えていようが知ったこっちゃない、ってわけだ」
「その通りだ。未開で粗雑な群れの中に、たまたま光る個体を見つけた――それだけだ」
頭の奥で何かが切れかけた、その時だった。
耳の骨に、細い声が触れる。無線だ。
〈……こちら、チャーリー小隊・リチャード少尉。走者、聞こえるか〉
〈会話を続けて注意を引け。生き残りで再包囲に入る。合図と同時に、君は離脱しろ。カードキーを挿入するんだ〉
馬鹿な、と叫びたかった。ザルガに気づかれ彼らが死ぬ。
だが長い沈黙は危険だ。エステバンは舌先で血を舐め、口を開く。
「爬虫類の頭って知ってるか? 地球だと、胡桃くらいの脳みそしか詰まってないそうだぞ」
「生態系の話か。面白い。こちらの星では、哺乳類はせいぜい鼠だ。悪罵のつもりが自らの無知を晒したな、走者」
「はいはい。地球しか知らねえ田舎者で悪かったな。じゃあ他所の星の生き物でも語ってくれよ。退屈しのぎにさ」
「よかろう。殺す前に土産話をくれてやる」
「助かる。話してる間は少し休ませてもらうぜ」
勝利を確信して、気が緩んでいるザルガが遠い星の砂漠や、骨で歌う鳥の話を始める。
その声を、エステバンは半分も聞かない。再び無線に潜る。
〈駄目だ、少尉。俺はここで――〉
〈他に手があるのか?〉リチャードの声は擦れていた。〈正面からやり合って、勝てるのか? 他のカードキーは全部失われた。残っているのは君だけだ、エステバン。頼む、俺の家族のために走ってくれ。娘は五歳だ。隊の皆も同じだ。みんな家族がいる〉
歯を噛む。舌に血の味がした。
そこへ、別の低音が割り込んだ。
〈ラモスだ。以後、指示を一本化する。エステバンは当初の任務に戻れ。流通センターへ直行、カードキーを挿入しろ。各隊はザルガの足を止め、追わせるな。以上〉
〈命令、感謝しますラモス司令官〉と、リチャード。
〈……うむ〉と、他に何か言いたげなラモスだったが、その先の言葉を飲み込んで短く答えた。
だがエステバンの足はまだ地面に縫いつけられている。
そのとき――トラス育成研究所の白い食堂の光景が、唐突に脳裏へ差し込んできた。
「何でも、戦うのが正解じゃないよ」
フィリスの声。
あのとき、フリントと殴り合いになった——と言っても、エステバンが一方的に突っかかっただけだが。講義のあとで、エイリアンに街が襲われたらどうするか、という話。
「軍に任せて、自分はカードキーを優先する」――フリントの真っ直ぐな答えが、やけに腹立たしくて。
食堂でやけ食いしていたエステバンの横に、フィリスが腰を下ろした。
「街の人も助けられるなら助けたい。でも、戦いが長引けば、そのぶん被害は増えるよ」
「瞬殺すりゃいい」
「できなかったら?」
「……根性で」
彼女は呆れて笑った。「軍も仲間。頼っていいの。頼らないのは、むしろ失礼だよ」
――現在。
「……そうだったな」
誰にも聞こえない声で呟く。
それから、無線に戻る。
〈わかった、リチャードこの場は任せる。ただ一つ、約束しろ〉
〈なんだい?〉
〈生き延びろ〉
沈黙。呼吸の音。
〈……君は優しいな。ああ、約束する。娘のウェディングドレスを見届けたい。生きて、また会おう〉
〈礼を言うのは俺のほうだ〉と、エステバン。
〈頼らせてくれて、ありがとう〉と、リチャード。
〈話は終わりだ。合図する――走れ、エステバン〉
〈了解〉
エステバンは、誰も聞く者が居ないザルガの話を無感情に切り捨てた。
「講義はここまでだ。先生」
ザルガの瞳が細くなる。
その瞬間、耳の奥で数字が落ちた。
〈3、2、1――〉
〈GO!〉
エステバンは背を向けて、爆ぜたように走り出した。
同時に、四方の影が裂ける。チャーリー小隊の残存が一斉に躍り出て、火線を重ねた。曳光が網を編み、爆炎が通りを塗りつぶす。
〈撃て撃て!エステバンを追わせるな!〉
〈こっちだ化け物!かかって来いよ!〉
〈くたばれぇぇぇぇぇぇぇ!〉
背中のほうで、世界がまた吠えた。
弾倉が空になる音、装填の金属音、誰かの短い叫び。全部が、背中を押す手に変わる。
走れ。
カードキーは、お前だけ。
この地獄を終わらせるのは、今しかない。
エステバンは歯を食いしばり、喉の奥で怒りを燃料に変え、ヴァルゼア・グランデ食品流通センター第四倉庫へ一直線に駆けた。
銃声が、いつまでも、彼の背を追いかけてきた。
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