日常の崩壊
見ていただいてありがとうございます。
「お前いつまでこんな初歩的なミスするんだよ」
薄暗いオフィスに体が震えるほどの声量で怒鳴られる。
すみませんと頭を下げる。
席に座って時計を覗く。
針は2時を示している。
今日の仕事は長そうだ。
周りに合わせるように残業を少し行い、逃げるように退社をする。
古びたスーパーに寄って20%のシールが貼られたくたびれた惣菜と酒を買って帰路に着く。
部屋の電気をつけて今夜の惣菜を無造作に机に置き、乱暴にネクタイを緩める。
脂の多い唐揚げをアルコールで流し込み今日もSNSに愚痴を吐く。
見てもないテレビから笑い声が響き、ふと時刻を見ればもう11時を示していた。
ただ生きていくには長すぎる人生と自分の未来を考え恐ろしくなる。
瓶を手に取り睡眠剤を2粒手の平の上に転がす。
水の入ったコップを持ち上げそのまま傾けた。
しかし酔いがまわっていたのか液体は顔や服を濡らしながらカーペットに濃いグレーのシミを作る。
慌ててしゃがみ込みテッシュを手探りで探すが、手の先に瓶が当たりカーペットとフローリングに大量の白い錠剤をぶちまけてしまう。
コロコロと茶色の瓶がフローリングに転がる。
自分の動きがその場で止まる。
自分の視界が潤む。
拾うのをやめて塞ぎ込むように床に座る。
死のう。
考えたのは今日が初めてではない、いつも頭の片隅にいた。
横目で卓上の油で汚れたパックを見る。
「ピンポーーーーン」
突然聞こえたチャイムに心臓が揺れる。
一体こんな夜に何の用だろう
ふらふらとおぼつかない足取りでインターホンを確認する
そこには白いワンピース姿の若い女性が立っていて、自分は思わず警戒してしまう。
「はい、何の御用でしょうか」
「すみませんー!開けてください!睦月さん!」
こんな夜更けに底抜けの笑顔で自分の名前を呼ばれ、固まってしまう。
自分の知り合いではない。
酔った頭ではうまく処理しきれず、このままでは近所迷惑になると考え結局玄関扉を開けた。
蛍光灯で明るい外の中、おずおずと扉を開けた自分と目を合わせた瞬間に眩い笑顔を見せる。
「やっと会えました!」
夜の静謐さを破るように高い声で嬉しそうに話す。
「えっと…自分の知り合い?じゃないですよね?」
「初対面です!」
女性はニコニコしながら長い髪をなびかせながら真っ直ぐに答える。20かそこらだろか……
美人局?宗教勧誘?あらゆる可能性が出てくる。なぜ名前を知られているのだろうか
数秒の沈黙の後、先に口を開いたのは彼女だった。
「それでなんですが、これ睦月さんですよね!」
グイっと画面を前に出された。
おずおずと見せられた携帯をのぞき込むと、そこには自分のSNSのプロフィール欄が表示されていた
「こ、これ…どこで、?」
動悸が止まらず、頭はパニックになる。
彼女は笑顔を崩さずに言う。
「とりあえず、お家にお邪魔してもいいですか?」
その笑顔はいままでに見たどんな顔よりも恐ろしく見えた。
「失礼しまーす。」
「ここで生活してるんですね!」
彼女は細い廊下を通りながら話す。
招き入れてしまい、警戒しつつも
部屋まで入ったところで振り向き恐る恐る聞く。
「一体…どうやって知ったんですか。そもそもなんで俺を?」
彼女は考え込むような顔をして自分を見る。
「その、私は…」
考え込むような、困ったような顔をしている。
「私は、あなたのファンなんです。」
嘘にしか見えない理由に後ろの机まで後ずさる。
「俺のアカウント見てる人なんて10人もいないと思うんだけど」
「でも、でも、ほんとにファンなんです。」
「そうなんだ…」あまりに必死に食らいつくため気圧されてしまう。
ストーカー?こんなに綺麗な子が?俺に?なぜ?
いくつもの疑問符が浮かび、それを問いかけようとする。
「なんで?」
彼女は携帯に指を滑らせる。
しばしの沈黙の後、画面を見せる。
「これです!この投稿を見て私と睦月さんは同じだと、そう思ったんです!」
その画面には俺のSNSアカウントのつぶやきの一つ
こんな世界、壊れてしまえばいいのに
というフレーズを指さしていた。
やばい人を家に入れてしまった。いや、押し入ってきたと言うほうが正しいか。
今まで見たどんな人よりも美人でいるだけで背景が華やかに映るほどのオーラを感じる。だからこそ恐ろしい。
酔いを伴った声で目の前の人に向けて言葉を紡ぐ。
「とりあえず、明日も仕事があるんで帰ってくれませんか?」
美女がファンを名乗ってくれるのは嬉しいが、それと同じくらい不気味で、怖かった。
酔いが回っていても冷静になるほど非常識な彼女を追い返そうとする。
「え?すみません、私、帰るとこ…」
取り合う暇もなく多少強く肩を押し、出口まで追い返す。
これ以上はごめんだ。
彼女はさほど慌てた様子もなく、出たくなさそうな態度を示す。
いいから早く帰ってくださいと強めに外に追いやり、出口を閉め、鍵をかけた。
とりあえず、シャワーを浴びないと
時計は1時半に差し掛かっていた。
いつもよりも耳に響く目覚ましで朝を迎えた。
体が重く、頭にはまだ眠気とだるさが曇天のようにかかっていた。
一歩一歩重そうな足取りを経て身支度を整える。
昨日の訪問者は何だったのだろうか。
異質でまっすぐ笑顔を崩さない彼女に恐れを感じて追い返してしまったが、彼女は今日も来るのだろうか、もうすこし話してみてもよかった気がする。
鍵をガチャリと開き、暗い扉を開ける。
ギィと動いた扉の先で初夏の空気と眩い光に目を細める。
憂鬱な気分で一歩外に出た瞬間。
彼女と目が合った。
「おはようございます。」
三角座りの彼女は立ち上がりながら、昨日と同じ笑顔でそう笑った。
「なんで、昨日、帰ったんじゃ?」
彼女は腰の埃を手で落としながら、
「私、家がないんです。」
そんなことより、とこちらに歩みを近づけて言う。
「仕事行くんですよね。私お供します!」
「は?」
ところどころに緑の力強さを感じるような住宅街を抜けて、広い歩道を歩く。
一歩後ろについてくるのは昨日押しかけてきた彼女。鼻唄をうたいながらついてくる。
ただ歩くだけでそんなに嬉しいのだろうか。
時々、彼女が話しかける。振り向くたびに朝日に照らされた端正な横顔に思わず見惚れてしまう。
改札前に差し掛かったところで、また会おうと別れようとする。
しかし、彼女はまだついてきたそうで、しかし改札のくぐり方がわからないのかその場で立ち尽くしてしまう。
あの子はどうやって俺の家に来たんだ…?
数分待つと、嬉しそうに切符を持ってやってくる彼女がいた。
「最寄りわかるんですか?」
切符を見るとぴったしで怖くなる。
なんで知ってるんだ。
満員の電車に一緒に乗り込み人込みに入り込む。
雑多な人込みにつぶされながら彼女と向かい合う形で立つ。
たくさんの人の頭を抜けた上の車窓からの景色を覗いてるようで、窓に光が差し込む度に嬉しそうな顔をする
何がそんなに楽しいのだろうか。
開いた扉から初夏の暖かさを感じつつのそのそと外に出ていく。
光が反射するホームに目を細め、仕事場をイメージし憂鬱になる。
というか彼女はいつまでついてくるのだろうか。
「券を中に入れてそのまま通り過ぎてください。」
彼女を先にしてホームを通り抜ける。
広い広場と栄えた駅前を抜けて階段をのぼる。
4階ほどの高さの歩道橋に差し掛かりその場で止まり彼女に向き直る。
「いつまで来るんですか。」
「え、お仕事場までです!」
「会社内は部外者立ち入り禁止なんで入れませんよ。」
「そ、そうですよねー」
らちがあかない。
「いい加減に教えてくれませんか、あなたは何の目的でここにいるんですか」
「え?ええっと…」
もじもじとし始める。
「睦月さんが好きになっちゃったから…ですかね」
上目遣いで恥ずかしそうに答える。
「SNSのつぶやきを見て昨日、今日あっただけの俺にですか?」
はい。という彼女は嘘をついている様子がない。
しかし、自分は容姿も要領もよくないし、つぶやきだって仕事の愚痴ばっかりでファンができるとは到底思えなかった。
いぶかしんだのを感じ取ったのか、彼女は慌てて言葉を紡ぐ
「私は、あなたを救いにきたんです。」
「え?俺を?」
結局、やばい宗教勧誘の類だったのか…
足を止めて彼女に向き直る。
「ここで大丈夫なので、もうついてくるのはやめてください」
一瞬悲しそうな顔をして、一息ついてゆっくり話し始める。
「なにが大丈夫なんですか。」
強い口調にすこし気圧される
「このまま仕事につぶされてくところを見るのは嫌です。私は、死んでほしくありません。」
「なにを…ああ…つぶやきを見たんですね。言い過ぎですよ。たしかに多少語気が荒くなったり、言い過ぎたのはあるけど」
たしかに自分がSNSに書いた文はつらい死にたいとつづったこともあった。そのことを言ってるのだろう。
見透かされているような眼をされて思わず目をそらす。
言えない。本当はあの時、チャイムを鳴らされていなければここにいない可能性があったこと
「だから、俺になにか信じさせようとしてるんですか。もういい加減になんですか、見透かしたようなことばっかり言って」
怒りを露わにする。いい加減にしてくれと叫びたい。
「違います!」
ぴしゃりと言い放ち、彼女は腕を右斜め上に上げ指をさす。
大通りを抜けていくつかの建物の間から見えるビルを指さす。自分が勤めている会社だ。
車の音と遠くのセミの音しか聞こえない中、彼女は何も言わずただビルを見つめる。
突然、
体が飛び跳ねる轟音。
爆発音が耳に響く。
あまりの衝撃に後ろに倒れてしまう。
なんだ、何が、起きた。
視点を右に移すと遠くに
崩れたビルが見える。
地面が揺れそうなほどの轟音に包まれて倒れこむように崩れていく。
ボロボロと崩れ落ちるビルを見て、思考が止まる。
引火もしているのか黒い煙も建物周辺に立ち込めている。
何が起こった。
息遣いが荒くなり、震えながら彼女を見る。
人の叫び声と車のクラクションが聞こえる中、
彼女はこちらに顔を向ける。
少しうつむき、恥ずかしそうな顔をしながら言う。
「私をあなたのお嫁さんにしてくれませんか?」