第5話 母と、衝撃的なスープ
そして、もう一つ、味噌汁と並ぶほどのトップレベルにあるのは、母の作るコーンスープ、です。それも、洋食のものではなくて、中華のコーンスープです。それは、中華街の排骨麺などをいつも食べに行くお店のコーンスープなのです。
そうです、中華料理のお店といえば、うちにとって、やはり、ここが最高峰のお店なのです。そして、ここで、コーンスープを初めて食べた時は、実に衝撃的でした。
いつものように、父は、排骨麺を注文し、その他に、だいたい5品ほど一品料理を中皿で注文します。一品料理は、大皿、中皿、小皿、とあって、小皿は、だいたい2人分で、中皿は3人分、大皿は4人分、といったところでしょうか。父は、必ず排骨麺を食べるので、スープには関心がありません。
私たち3人も、麺類を注文しない時があっても、やはりスープにはあまり目がいかなかったのですが、ある時、フカヒレスープを注文したのです。これまで食べたことがあったフカヒレスープといえば、全体に白く半透明で、透明な繊維のようなものが少し浮いているようなスープでした。しかし、これは、普通のお店だったので、フカヒレがあまり入ってなかったし、そこまでの味ではなかったのですが、ところが、このお店のメニューで、たまたまスープのメニューをみて、フカヒレスープをみつけたのです。
そうだ、このお店ならば、本物のフカヒレスープが飲めるに違いないと思って注文しました。すると、女主人曰く、
「フカヒレスープも、もちろん、とても美味しいですけど、ここのコーンスープは、とにかく絶品ですよ。フカヒレスープも、間違いないけど、コーンスープは、ちょっと驚くかもしれません。もし迷うようなら、よかったら、小皿で両方とも試してみるといいですよ。」
そう言うと、父は、そこまで言うなら両方とも頼んでみようということになりました。
すべての注文が終わると、女主人の、コーンスープに驚くかもしれないという言葉に、期待をしつつも、期待しすぎてもいけないとも思いながら、微妙な気持ちで待ち続けました。
しばらくして、まず、2つのスープがやってきました。
どちらにしても、以前食べてがっかりした、今回とても期待しているフカヒレスープにまず目がいきます。
それは、このお店の名に恥じない見た目でした。スープ全体に、びっしりとほぐしたフカヒレが詰まっていて、いかにも美味しそうな見た目は、以前食べたものとは比べられない印象でした。もう見た目からして、美味しいのは間違いないものでした。
一方、コーンスープは、普通、洋食のものは、黄色いクリーム状のスープですが、そのコーンスープは、半透明に近い黄色いスープで、とろみがあって、全体に溶き玉子と粒コーンの細かいものが入っていました。見た目は、美味しそうには見えますが、特に驚くような印象はなく、初めての見た目に、フカヒレスープの印象との対比もあったせいか、なんとなく期待感が薄れたような気がしました。
すると、当然、先に手をつけるのは、フカヒレスープです。
そのフカヒレスープは、れんげですくうと、これでもかという量のフカヒレで、スープというよりも、液状にしたフカヒレというくらい濃厚なスープでした。まだ、かなり熱い状態なので、ふうふうと息を吹き、冷ましながら、口にゆっくりと運んでいきます。
すると、口いっぱいに、なんとも言えないスープの、濃厚なのに繊細な味がひろがり、フカヒレの本物の食感と、いかにも質の高い味わいがやさしく、とてもすばらしい味でした。
すると、
「これは、もう美味しいとしか言いようがない。これを食べたら、今まで食べたフカヒレスープはもう食べられないね。今まで食べたフカヒレスープのフカヒレは、まるでビニールを食べているようだ。」
父も、無言ではありましたが、さすがに納得した表情でした。しかし、このすごいスープを飲んでしまったら、あとのコーンスープはいくら美味しいとはいっても、ちょっと比べるのはかわいそうかなと正直思いました。食べる順番を間違えたかもしれないとも思いました。
しかし、初めて食べるので、味の想像もつかないし、ちょっと味見をするような気持ちで、口に流し込みました。
ところが、これが、信じられない味だったのです。洋食のコーンスープは、とにかくコーンの味がストレートにやってくるのですが、もちろんそれがいけないというのではなく、コーンの味を堪能するという意味でもその味もすばらしいとは思うのですが、このコーンスープは、まったく違うのです。コーンの味がはっきりとしているのは、入っている粒コーンの細かいものの味で、実は、味の主役は、とろみのある半透明の黄色いスープでした。その味は、というと、コーンの味が、どーんとくるというのではなく、例えるならば、洋食のコーンスープは、コーンの味がはっきりとやってきて、自分の中にストレートにあふれてくる感じなのですが、このコーンスープは、向こうからコーンの旨みがやってくるのですが、直接自分に当たらずに少し手前で止まり、そこから自分の周りに回り込んでいき、やさしく包まれてしまい、そして、四方からじわじわと旨みが自身に沁み込んでいく、そんな感じなのです。
しかも、そのコーンの味わいが、コーンだけどコーンではないというような表現しかできない微妙な味わいで、美味しく感じると同時に、感動した味わいで、こういう気持ちになったのは初めてのことでした。ある意味で、フカヒレスープを上回っているかもしれないとすら感じました。
「す、すごい。こんなの、食べたことない。」
絶対に美味しいと思っているのに、その言葉がすぐに出てこない。それは、普通、舌で直接、味を感じてから、その情報から言葉を選んで作り表現をする、というような順番だと思いますが、このコーンスープを飲んだ時は、いきなり舌の感覚を通り越して、直接、具体的でない情報が脳に届いてから、心にも訴えかけるような感覚で、それを言葉で表現しようとしているので、言葉が見つからない。心が先に、心地よい、ということを感じているのです。言葉が、後になって追いつかない、そんな感じでした。それは、その、半透明に近い黄色いスープに、含まれている、ただのコーンでない深い旨みのせいなのでしょう。
試しのつもりで、小皿で頼んだコーンスープは、4人であっという間に飲み干してしまいました。
その後、続いて、排骨麺や一品料理が来たので、みんな何気に何か言いたい気持ちを抑えて、とにかく食事を済ませました。食べ終えると、父は、
「とにかく、今日は、この、コーンスープだ。お前、コーンスープの作り方を見せてもらってこい。」
と、言い出しました。
すると、女主人曰く、今は、他にコーンスープの注文がないという。
見学のために作るわけにはいかないので、また後日ということになったのですが、父は、すぐに、
「よし、わかった。注文があればいいんだな。じゃあ、もう一度、小皿でコーンスープを注文するぞ。」
すると、母は、メモを持って、すぐに厨房へ向かう。いつもの料理長Aさんが待っていました。一見、手順は多くなく、難しく見えないのですが、溶き玉子の入れるタイミングや、火力の調整のタイミングや、微妙な、そのコツがいきなり一度ではできないと、母は思ったようでした。やはり、溶き玉子などは、微妙に固まるタイミングがあるのと、全体的に味わいが繊細なので、タイミングがずれるだけで味わいが変わってしまうのです。
その後、母は、自宅で何回か作り、多少タイミングがずれても、充分に美味しいのですが、中華街で食べたあの味は、絶妙なタイミングから生まれる奇跡的な味なのです。母も、ようやく会得して、家の定番料理となりました。
その後、会社の仕事の関係で、来客があって、食事を出すことも、幾度となくありましたが、その際には、決まって、コーンスープは出されていて、いつも大絶賛だったようでした。まさに、料理に感動するということを体験する、そんな見事な料理でした。