第25話 母と、創作料理
いわゆる、父の洋食化計画は、少しずつではありますが、順調に進んでいきました。洋食よりの和食、洋食よりの中華、そして、和食風の洋食(和風ではなく和食風です)、中華風の洋食、と、そして、その、より、の程度は年々変わっていくのと、その料理によっても、より、の割合が変わっていきます。つまり、母にとってみれば、たとえばAという料理の洋食よりが強くなり、完全に洋食になってしまっても父が気になったならば、より、の料理は必要ではなくなるのです。
ところが、ある時、予想外のことが起きたのです。あるBという洋食があり、実は、どうしても、その料理がなんだったかまでは思い出せないのですが、そのエピソードを書くことにします。
それを和食風の料理として、夕食に出てきた時のことです。
すると、私は、えっ、これ、何? Bじゃないの?、と思いました。
そうなんです。それは、本来のBという料理から出来た料理ですが、出来上がった和食風Bの方がBよりも美味く、別の料理感が強かったのです。もちろん、Bという料理は、誰が食べても美味しい定番の料理であり、間違いないのですが、たとえが少し難しいのですが、Bは、洋食特有の味に角があるような感覚があって、そういう料理なのですから、別にそれが悪いものなのではありません。しかし、それを、母が和食風にすると、丸く角のない滑らかな感じ、繊細な感じになり、きっと出汁などの味付けが加わったりしたことで起こったことなのでしょう。
なんと、母は、Bという洋食を和食風にやさしくして、さらに繊細で美味しい料理に仕上げてしまったのです。
ひょっとして、この料理って、こっちの方がいいんじゃない、と、みんな、同意見でした。これはBとしては、これまでになく美味しいものに変わっていたのでした。ひょうたんから駒のような料理でした。
実は、母にとって、このことが母の料理の幅を広げていくきっかけとなったのです。それというのも、この和食風Bという料理は、結局は、Bという料理のアレンジであり、その延長線上にある料理でしかないのです。
しかしながら、その後、次に出てきた時には、食べてみると、さらに美味しくなっている。というか、これは、その流れからはずれた、もはや和食風Bという料理ではなく、全く新しい別の料理になっていました。
それに、さらに驚くことには、これは和食でも洋食でもないのです。どちらかと問われると、どちらとも言えない。これには、母曰く、この料理はここまできたら、このままではもったいないと思って、食材ももっと味付けが相応しいものに変えて、全く別のものにしてしまったということでした。これをきっかけに、母の料理は、時々、和洋中華のどれにも当てはまらない、いわゆる無国籍料理になっていたのですが、逆に、母にとっての、創作和食になったのかもしれません。その味付けは、絶妙で、洋食や和食のそれぞれの特徴を生かして引き出し、かといって、それぞれの特徴が喧嘩しないで、きちんと一つにまとまっていて、お互いを引き立て、本当に素晴らしかったのです。それと同時に、その後の母の作る、和食や洋食、中華料理に至るまで、以前よりも味が広がり、まさに、これまでの料理の壁を超えていったような気がしました。父のために生み出していた、洋食よりの料理をアレンジして作ってきたことで、たどり着いた新境地だったのです。
すると、母は、徐々に、スパイスのセットを買いそろえ、昔から多くの調味料を使わない母でしたが、実に30種類以上のスパイスをそろえるようになりました。
すると、どのジャンルにも属さない無国籍料理とも言える創作料理を生み出していく一方で、普通に誰もが知るメニューにも、それらのスパイスを加えて違和感なく、それどころか、とても良い変化球のある新しい味付けを生み出したりして、それが、和食にも、洋食にも、中華料理にも、度々活かされていき、そのメニューの種類の増え方は大幅に広がっていきました。
それから、まさに、定番料理からの、アレンジを超えた新メニューの誕生という、これも母のやりたかったメニュー作りだったのかと思います。もう、こうなると、時々、私たち家族が、母から、何か食べたいものない?と訊かれても、焼肉やら、鍋や、お肉が食べたい、とか、中華、とかしか言えなくなってしまったのです。もはや、それ以上の具体的なリクエストは難しく、本当に、無限の中から、何が出るのかわからないというような母の料理。もうレパートリーという言い方が、本当に相応しいのかが、疑問に思うほどの域に達しているのではないかと思うほどなのです。
それに加えて、肉ばかり、魚ばかりということでもなく、その上、野菜なども本当に美味しく調理してくれて、私たち家族は、野菜料理も大好きでした。世間の野菜の嫌いな多くの人たちに、母の料理を食べてもらい、ぜひ野菜が好きになってほしいと、いつも思っていました。そして、栄養のバランスについても、見事に考えられていたのは、何よりもすごいと感じていて、いつか、どこかの機会があれば、母が料理を教えるのが苦手でも、多くの人に食べてもらうことができれば、また、他のプロの料理人もそれを食べてみて、何か活かしていく方法があったのではないかと思うようになりました。
今、これだけネットで、情報が瞬時に広がったり、すぐに世界的なレベルまで簡単に広がる時代です。母が、あと半世紀遅く生まれていたなら、母の才能は何倍にも活かされていたかもしれません。




