第22話 母と、奇跡の食事療法
母は、料理の腕がすごいのはもちろんですが、結局、その味を見極める舌が常人とは違うことが一番すごいのかと思うのですが、元々の素質もありますが、そこをさらに極めることができたのには、大きな出来事があったからなのです。
私が小学生の頃のことでした。ある時、急に腹痛を起こし、病院に行って診察を受けました。バリウムを飲んだり、精密検査を受ける羽目になり、診断の結果、同時にいくつもの病気を併発していました。
十二指腸潰瘍、胃カタル、腸カタル、と3つの病気を同時に患い、入院して手術ということになりましたが、それを聞いた母は、それを断固として拒否しました。当時、まだ、小学4年生、9才になったばかりで、おまけに未熟児で生まれた私は、身体も小さく体力もなく、弱々しく見えていました。そんな私を、母はとてもかわいそうに思ったのでしょう。
なんとか、手術をしないで治らないものかと、先生に相談しました。すると、投薬で治らないことはないけれど、合わせて、かなり徹底した食事療法が必要だというのです。それを、家庭でやることは難しく、不可能に近いという。結局、母は、病院の担当の先生と、これからのことを色々と話し合っていました。
そうした、ある日のこと、私は、母に呼ばれて、
「いい。よく聞いてちょうだいね。実は、病院の先生にお願いして、とてもよく効く薬をもらえることになったの。それで、食事療法は、それほど気をつけなくてもいいって、言われたのよ。よかったわね。ただね、先生から、学校の給食は、どんなものがでるかわからないから、お弁当にしましょう、ということになったから、今日からお母さんが毎日お弁当を作るから、それを持っていってちょうだい。それから、1番大切なのが薬よ。朝昼晩と3回、ご飯を食べたら、必ず忘れずに飲むこと。学校でご飯食べたら、忘れずに飲んでちょうだいね。この薬のおかげで治るんだから。」
正直言って、子供心にも、ほっとしました。初めて、そのお弁当をもって学校へ行きました。
どんなものが入っているか、すごく気になる。そして、待ちに待った、給食の時間です。友だちは、今日から、1人だけお弁当なのを知っていて、すごく気になり、集まってきました。
「早く開けてくれよ。何が入ってるか気になるんだからさ。」
集まった友だちは、口々に言っている。
「実は、僕も見たことがないんだ。言っとくけど、あげないよ。」
早く早くと、せかされて、お弁当の蓋を開けると。
「おおおっ!すごいぞ!メインがハンバーグで、煮物があって、卵焼きか。あと、なんか野菜とか色々入ってる。」
「なんだよ。給食食べないで、こんな美味しそうなもの食べるのかよ。ずるくない。だったら、ぼくも病気になりたいぞ。」
みんなの羨望の眼差しを受けながら、初日のお弁当が終わりました。
給食の代わりにお弁当を持って行ってというわりには、食べたいものばかりで、これなら、大丈夫だなと思って、病院の薬は絶対に忘れないぞ、と、とにかく、薬を飲むことに一層気合いが入りました。
そして、1か月が過ぎ、3か月が過ぎて、半年、一年が過ぎてゆきました。体育の時間は、見学ですが、元々体育は、あまり好きじゃないので、大丈夫でした。美味しいお弁当は、相変わらず、友だちの羨ましい光線をいっぱいに浴びながら、完食です。
そして、ようやく、1年と半年を過ぎた頃、母と2人で病院に。
すると、担当の先生から、
「うーん。もう大丈夫でしょう。しかし、よく自宅療養で頑張りましたね。2年かかると思ってましたけど、1年と半年で、よく完治しましたね。手術しないで治ったのは、本当に奇跡に近いですよ。」
「いえいえ、先生のおかげです。本当にありがとうございました。中学生になる前に治って本当によかったです。」
母と先生は、本当に嬉しそうで、笑顔で話している。自分もそれをみて、初めて、本当に治ったんだなあ、と実感してきました。でも、この約1年半の間、休みの日も、外出は禁止で、自宅で静養、どこにも行けずにいたので、本当に、病気はごりごりです。
それから、4、5年くらいだったでしょうか。
自分はもう、高校生になっていました。
そして、ある時、すでに、社会人となっていた姉が、胃潰瘍になってしまいました。
「もう、やんなっちゃうわ。せっかく、友だちと外食とか行きたかったのに、しばらく無理じゃない。」
「あら、しょうがないじゃない。ちゃんと、病院の薬をしっかり飲んで、食べるものを気をつければ、すぐに治るわよ。」
すると、
「食事はね、そんなに気をつけなくても、大丈夫だよ。たしか、僕が小学生の時に行ってた病院の薬、あれすごいよね。食事を、大して気をつけなくても病気が治ったんだから。あの薬って、今までもまだもらえるのかな。」
すると、姉が、クスッと笑いながら、
「えっ、あんた、まだ知らなかったの?手術までしないと治らない胃腸の病気が、食事療法もしないで、薬だけ飲んで治るなんて、そんなこと、あるわけないじゃない。そんなすごい薬、あるわけないわよ。」
実は、ここで、驚きの事実が明らかになったのです。
胃腸の病気が完治するまでの1年半というのは、実は、こっそりと母は、食事療法を実行していたのです。しかし、食事療法というのは、胃腸病には特に効果的な治療法なのではありますが、必ずしもすべてにプラスなのではなく、食べたいものが食べられないことでストレスを作ってしまい、治るまでの期間が長引いてしまったり、色々とマイナスの影響をしてしまうことがあるのです。当時、小学生で食べたいものがあふれている私に、厳しい食事療法は必ずマイナスにも作用して、ひょっとしたら、2年でも完治できないかもしれない。母としては、ただ完治するにしても、中学に進むまでになんとしても完治しなければ、という思いがありました。とても効果的と言いつつも、そんなリスクを含んだ食事療法について、とにかくいい方法がないかと考えていたようです。
そして、一度、入院して手術することと、家庭で、多少リスクのある食事療法にするかを改めて考え直さなければならなかったのです。食事療法とは、食べられるものが少なくなることと、食べられるものも味付けとかも注意しなければいけない。朝昼晩、塩分、糖分、油などの制限の中で、短くても2、3年はしなければいけません。しかし、手術して入院すれば、手術が終わっても病気が治るまでは長期間入院が必要だけど、食事療法は病院の専門家の管理のもとで、完璧にケアできる。しかし、一方で、自宅での投薬と食事療法で直すというのは、本当に不可能に近いと言われました。
しかし、母は、それだと学校にも行かれないし、手術も大がかりになって、その上、痛い思いもしなければならない。
そこで、母は、ひたすら考えた上で、一計を案じました。そして、自分が考えた秘策があるから、全部食事を作って食事療法をさせるから、任せてほしいと、担当の先生に訴えました。手術も入院もなしで、当然、学校の給食は無理なので、母の手作りのお弁当持参で、通学ということになります。体育は見学だし、家からの外出もできませんが、他には制限なしで、定期的に通院し、ひたすら食事療法にたよることになりました。
そこで、病院の栄養士さんに、家庭で行なう、徹底した食事療法について相談して、まさに学校で授業を受けるかのごとく、多くの本を読んだりして、勉強していました。しかしながら、母のそのやる気は本当に徹底していて、食事療法というのは、たとえば、これは絶対に食べてはいけないもの、とか、これはこのくらいの量までならオーケーとか、ただ、全てにおいて○か✖️ではないのです。結局、胃腸のどちらも患ってしまっているので、○か✖️では本当に食べるものが、かなり少なくなくなってしまいます。いくら、食事療法とはいえ、少しだけなら食べていいものは少しだけ食事に取り入れたりして、ギリギリの線で食べてはいけないものを抑えてゆくというやり方でやるしかなかったのです。その程度を見極めながらメニューを考えなければなりません。それが、毎日続くのですから、大変なことです。病院の栄養士さんは、それが、毎日の仕事ですから、大変とはいえ、慣れているし、多くの入院患者に対応してメニューを考えるので、ある程度マニュアル化しているのが少しは楽だったのかと思います。
しかしながら、母は、家で父などの1日の食事を作る上で、私の食事療法に対応したメニューも考えて作らなければならない。となると、2倍、いや、3倍以上の大変さなのです。
そして、母の考え出した秘策というのは、どのようなものだったのでしょうか。食事療法は、基本的に、簡単に言うならば、食べたいものが食べられません。胃腸の病気に対して、いけないものは、消化の悪いもの、味の濃いものと甘いもの、糖分などです。しかし、食べ物的には、そんなに単純なことではありません。これが食べてもいいというのに、同じようなこれはダメ、とか、なかなか判断が難しいのです。それに、味の濃いものといっても、AよりBの方が甘く感じるのに、Aの方がダメとか、それは、味の濃い薄いだけではなく、その食べ物に含まれているものの良し悪しで決まることもあるからなのです。そういった、難しい食材や食べ物の判断を様々に見極めた上で、母は、自分なりのやり方で食事療法に挑みました。
いざ、食事療法が始まると、大人に対してでもなかなか厳しいのに、それを小学生の子供には、かなり過酷なことだと思っていました。しかし、実際に、母が始めたことは、これまでには例のない大変なことでした。
食事療法が始まると、学校には、給食の代わりにお弁当を持っていきました。帰宅して、食事の時間になると、食事療法をしている自分だけ、おかずは別のものがいつも用意してありますが、普通のおかずと見た目の違いはありませんでしたが、実は、それまでに食べていたものとは違っていたのです。
さて、それでは、その秘策とは、実際に、どういうことをしていたかというと、食材で食べてはいけないもの、食べても良いものをすべてノートに書き出して、食べて良いものの中でおかずのメニューを作り出す。そして、たとえば、一つの例として、ハンバーグを作る時に、豆腐を使い、豆腐ハンバーグにするというのがありますが、母のは、もっともっと複雑なレベルの高いものなのです。見かけと味は同じでも中身は違うという偽物の料理を作りだしたのです。また、もう一つすごかったのは、おやつです。さすがに、食事療法をしていて、買ってきたお菓子を食べることはできません。そこで、母は、プリンやカステラや、その他、できる限り、手づくりでおやつまで作っていたのです。母は、そこまで考えて、本人には、食事療法をしているのがわからないようにして、ストレスを与えずに治していくという計画だったのです。
「ええっ、そんなことがあったんだ。知らなかった。」
「だって、お母さんは、知らせてないもの。このまま、教えるつもりはなかったのにね。お姉ちゃん、おしゃべりなんだから。」
「そうか。お母さん、本当にありがとう。だけど、かなり大変だったんでしょう。」
「そうね。さすがに、5品は無理だから、毎回2品にしていたし、ちょっと行き詰まってくると、同じメニューを何回も繰り返してごまかしたこともあったわね。そういう時は、特に好きなものをだしてごまかしたのよ。そうすれば、喜んで食べてくれるからね。」
というわけで、様々な料理を、食事療法をしていても食べられる食材で作るという方法を考えては、病院の栄養士さんに、考え出した料理のレシピを常にみてもらっていたのです。
以下は、後日わかった、母と栄養士さんとの病院でのやりとりです。栄養士さんは、30代半ば過ぎくらいの、とてもやさしそうな女性でした。まずは、レシピの報告を、初めてした時のことです。
「それでは、息子さんの食事のレシピを拝見します。」
食事療法を家庭内で行なうので、母が作る料理が食事療法に適したものかどうかを、栄養士さんに定期的に提出して、目を通してもらうのです。
内容は、だいたい10日分くらいの料理のレシピがまとめてあります。
それを受け取り、見始めましたが、みるみるうちに引き込まれたような表情になり、しばらくみていました。すると、
「まず、最初、料理の名前から、ざっと見たところ、これまで、こちらで食事療法で行なってきたようなメニューとはだいぶ違っていたのでとても驚きました。これは、絶対に出せない料理ばかりと思いましたが、そのまま読み進めて、それぞれの食材と調理法まで、細かく見させて頂きましたが、この食材でこの調理法であれば、これは立派な食事療法の料理です。しかし、ここにあるメニューは、普通に誰でも美味しいと思う、誰もが食べたいと思う料理じゃないですか。それを、制限された食材の中で、また、こちらに考えられた味付けの仕方は、とても考えられない。また、こんな食材をこんなところに持ってくるなんて、私には想像もつかないです。それに、この料理なら、充分に胃腸に負担にならずに、それも美味しく食べてもらえるでしょう。見事なレシピですね。すばらしい。息子さんは、喜んで食べてくれますよ。」
という、驚きのお褒めの言葉を頂きました。そして、その後も、繰り返し、10日分のレシピをまとめて、見て頂きました。毎日のメニューは、すべて変える必要はないので、数ヶ月後には、それまでに認められたメニューの繰り返しで、新しいメニューを考えなくても、こなすことはできるようになりましたが、家族の食事と並行して作らなければならないのは大変な手間だったかと思います。
そして、1年半後、
「おめでとうございます。よかったですね。息子さんは、全部完治して、これからは元気に中学生になれますよ。」
「先生には、1年半の間、本当にお世話になりました。おかげさまで、手術なしで、こうして完治できて、本当によかったです。」
「こちらこそ、ありがとうございました。これまで見せて頂いたレシピは、とても参考になりました。それに、こんなにわかりやすくきれいに書かれてあって、すばらしいですね。こちらは、食事療法に適しているか判断する立場なのに、いつのまにか、こちらが学ばせて頂いていました。その内容があまりにすばらしくて、いつも言葉になりません。いくら、料理の本を多く読んだからといっても、こんなレシピはなかなか思いつきません。
そもそも、こういうことをやろうということ自体考えつきません。正直言って、私には、思いつかないし、できないですね。そこで、お願いしたいのですが、ぜひこちらで働いて頂けないでしょうか。そして、多くの患者さんのために、美味しくて、食事が楽しみになるレシピを作って行きたいのです。食事療法というのは、どうしても、食べたいものが食べられない、美味しくない、きまりきったものしか出てこない、などの、食べる楽しみとはかけ離れたやり方です。でも、病気なのだから仕方ないと、私は、これまでそう思ってきたのですが、今まで見せて頂いたレシピの料理なら、美味しく楽しく食事療法ができるのです。これからの食事療法は、本当に変わると思いますよ。」
そう言われて、母は、とても驚いたようですが、
「ありがとうございます。そんなに言って頂いて、1年半の苦労がさらに報われた気が致しました。ありがたいお話しですが、私は、主人が会社をやっておりまして、そこから離れることはできないのと、それから、今回のレシピを考え出すのは、実は、かなり大変なことで、息子の病気が治るまでという短期間だからということで頑張ってきましたが、これが恒久的に長く続けていくとなれば、なかなか難しいですね。誠に申し訳ありませんが。」
「そうですよね。会社をされていることは承知しておりました。でも、このまま終わるというのは、実に惜しいと感じて、一応お願いしてしまいました。それでは、その代わり、お願いがあるのですが、これまでの見せて頂いた料理のレシピを、参考にこちらの病院でも使わせてもらえないでしょうか。ぜひお願いします。」
「もちろんです。そんなことでお役に立てるなら、ぜひ使って下さい。」
というわけで、今後の参考として、レシピは使われることとなりました。考案してきたレシピは、様々な料理の応用として使われたようです。
ところが、この秘策には、もう一つ秘密がありました。この母のレシピを文章化、具体化したのは、実は、姉だったのです。以前にも書いたのですが、母は、自分の料理を自分で書いて記録したり、口頭で説明するのが、あまり得意ではないので、できるだけやりたくないのです。基本的に、自分がその料理を覚えていて作れれば、それでいいと思っているので記録はしないのです。
しかしながら、書類を作成して、栄養士さんに提出しなければならない。そこで、母は、姉にそのレシピを具体化して書類にする作業を頼んだのです。それがどれほど難しいことか、それは2人ともよくわかっていましたが、今回ばかりは、やるしかなかったのです。なぜ、それがそんなに難しいのかというと、母の調理法には、数字で表せないことがほとんどなのです。その感覚的なことを、母にその都度確認をとりながら数字や具体的に表現するのは、母にも姉にも難しい。姉が、こう、言葉にすれば、そんな感じだけどそうじゃない、とか、間違ってないけど、なんか違う、みたいなことの繰り返しで、母が納得できるものを作り出していく。母も大変でしたが、ある意味で、それ以上の姉の粘り強さが今回の具体化の1番の決めてだったようです。
さすがに、1年半は大変だったようで、2人とももう2度とやりたくないということでした。そして、その上、最終的にきれいに出来上がった、提出した書類は、母曰く、あんなきれいに書くなんて、自分にはそれだけでもできないということでした。
母も、書いたのは、実は自分ではないとは恥ずかしくて、とても言えず、栄養士さんからの仕事を断ったのは、本当はこんな理由だったのです。姉もやりたくなかったけど、今回だけは我慢してやった、と言っていました。母にも、こんな苦手があったというわけです。病気のためとはいえ、1年半もの間、大変な作業を、2人には感謝しています。
そして、今回、改めて気がついたことは、別の視点から見ると、母は、自分の料理を一つも記録していないで、記憶しています。記憶していること自体もすごいですが、その記憶の引き出しを自由自在に開けて、取り出すことができるのが、また驚異的だと思ったのです。今、思えば、記録しなくて済んだことが、結果的によかったのかというと、なかなか残念なところではあります。




