第2話 母と、母の料理の秘密
宮本家の家族は、父、宮本勝太郎と母、料子、そして、私より8才年上の姉、味子に、私、博の4人家族です。
宮本家で起こる数々の出来事は、大変な事ばかりで、1番苦労したのは、たぶん母なのだろうと思います。しかし、母、料子は、持ち前の明るさで、悩んだり、悲しんだり、くよくよしたりしません。昔から、いつもポジティブで、悩み苦しみがどんなにあっても、いつまでもあるわけじゃないし、全然大丈夫という考え方です。悩んでも悲しんでも苦しくても、いつまでも浸っていては時間が無駄になるだけ、とにかくがんばってやるしかない、そんなめちゃくちゃ前向き思考の人なのです。
そんな母の悩みは、その、いつも悩まない悔やまない性格のせいか、苦労したように見られたことがない。嫁いだあとは苦労続きの波瀾万丈な人生なのに、何の苦労もしたことがない生活で、なぜか全く料理もできないように、いつも見られていました。見た目は、けっこうおしゃれで、当時としては少し派手な感じ。大阪のおばちゃんみたいな派手さではなく、育ちがいいせいか、上品な感じで、海外に行くと買い物のお店の人には、必ずブティック経営ですかと聞かれるのですが、その勘違いだけは、ちょっと喜んでいる母でした。
姉の味子は、母似で芯がしっかりしていて、何かあると母を助けて援護する。しかし、助けるつもりがけっこう逆に助けられる。母はさらに強いのです。私、博はというと、色々とトラブルが起きて大騒ぎの中、何かしなきゃと思いながらもただオロオロするばかり、行動は空回り。結局、傍観するのがいつものお決まりパターンになってしまう。そして、家族の中で台風の目となる父、勝太郎については、詳しくは、またあとで。
私の母は、20歳で宮本家に嫁ぎ、当時はご飯を炊くこともやっとで、料理なんて何もできません。近所の人たちから色々と教えてもらいながら、これではいけないと一念発起して、かなり勉強したようですが、天性のものもあったのか、どんどん上達していったようです。
そもそも、父は、お酒は一切飲まず、食には貪欲な人で、宮本家の夕飯には必ず5品以上のおかずを用意することが鉄則であり、母もそのために最初はかなり苦労していました。その上、ご飯の炊き方やおかずの味付けにも厳しく、そのことで母に手をあげることも珍しくありませんでした。
そんな父が、家族で外食をすることも多かったのですが、それは、家族に外食をさせる目的よりも、その店の、父が気に入った料理を母に食べさせることを優先しているためだったのです。その際に、母に、この料理をよく味付けを覚えておけ、と必ず言うのです。それは、それと同じ料理を自宅で再現しろということなのです。そのための外食であり、父は、自分1人で外出をして、気に入った料理を見つけると家族で食べに連れて行き、母に食べさせて味付けを覚えさせ、また家で作らせるという、その繰り返しをしていたのです。
そもそも、父は、独身時代は、毎食のように出前で玄関先にはいつもお店のどんぶりが重なって置いてあったそうです。おそらく、その気になれば、自分でも料理を作れたとは思いますが、とてもめんどくさがり屋なのに加えて、家で料理を作るのは、女の仕事だと軽視していたようです。
しかし、母と結婚して、おそらく、それまでは色々と食べたいものが山のようにあったのを、これから、すべて母に作らせようと思ったようです。普通なら、そんなに食べたいものがあったら、自分で探して食べに行くのだと思うのですが、とにかく自宅で食べたい、自分の奥さんにぜんぶ作らせよう、と思っていたようです。こんなことなんて、普通は思わない。しかし、それに仕方なくなのか、嫌ではなかったのかはわからないですが、その要求に応えて行くことができる母であったことが、奇跡であって、その結果、奇跡的な料理人の主婦を作り上げてしまったのかと思います。
しかし、普通、自分の奥さんに何か料理のリクエストをすることはありますが、父の要求はあまりにレベルが高すぎたことで、母は、いつしか、その店で食べただけで味付けを理解して、その隠し味までも導き出すということまでも、できるようになったのです。
母は、最初は、本当に、料理はまったくだめで、下手とか上手とかいう前に、これまで、育ってきた家庭環境から、料理をする必要がまったくなかった、だから、料理をする機会も、教えてもらうこともまったくなかったのでした。
しかし、結婚してからは、色々と近所の主婦から、一から教えてもらったり、本屋で料理の本を買い求めて、かなり努力をしたようですが、いざ、作ってみると、最初から、けっこう美味しく作ることができたようでした。その時、私や姉は、料理の本って、やっぱりよくできていて、よく読んで、その通りに作ると必ず美味しく作れるんだ、やっぱり料理本ってよくできてると思ったものでした。
しかし、自分が一度だけ、料理本をみながら、料理に挑戦したことがありましたが、なんと全然美味しくできないどころか、うまく出来上がりまで、形になりません。それは、姉も言っていました。本を見ながら作れば、絶対に美味しいものが作れると思っていました。しかし、実は、そうではない。見ながらでも、うまくできない人は、できないのです。
つまり、自分の経験から、母は、下手だったのではなくて、ただやったことも教えてもらったこともなかっただけだったのだと思いました。あまり失敗したこともなかったようでした。それに、料理の勉強を始めてみると、その後の、その上達ぶりは目を見張るものがありました。
ある時、外食で食べたことのあるメニュー、それを、父の指示で作るように言われると、食材をそろえて夕飯に再現します。食材が高いものでも、父はそれには文句は言いません。夕飯となり、皆んなで食べ始めると、あまりのその、再現の見事さに私と姉は顔を見合わせています。母は、満足げな表情、父は無言で食べていますが、父は、母の料理を決してほめたことはありませんが、ダメな時は、母を怒鳴り、罵り、捨て台詞を吐くのですが、無言で平らげるというのは、父にとって、この上ない褒め言葉なのです。
ある時は、やはり父がかなり気に入った中華料理があって、夕飯はその再現となりました。そして、いざ、夕飯の時間になり、その料理を家族で、一口二口、口にすると、父の、これまでに何十年も見たことのない、驚きの表情です。目を、ほんの少しですが、はっと見開いた、驚きを隠せない表情。母と、私と姉もそれを見逃さなかったのですが、父は、その表情のまま、一気に料理を平らげたのです。それを見た母は、満足げに、ふっと表情が和らぎました。母には、その父の顔を見るまでもなく、最初からわかっていたのでした。私と姉は、その料理を食べてから、やっとその理由を理解しました。それは、お店で食べた料理の再現が、その店を上回っていたからなのでした。
母に、後で話しを聞くと、その料理はもう一つ隠し味に、〇〇を入れると、辛さに奥深い味わいが加わって、かなり美味しくなると、母はそう思い、付け足したというのです。これで、お店のよりも数段美味しくなったのがわかっていたので、父の反応が楽しみだったようです。
私と姉も、もうあの店には行かれないね、と冗談を言っていたのでした。しかしながら、母がすごいのは、食べただけで、その料理で使っている調味料など、何がどのくらい入っているのか、食材にどのような処理をしてあるのか、どんな食材が使われているのかがわかることと、料理を作っていて、決して味見をしないこと。味見をしなくても、何をどのくらい入れたら、どういう味になるのかが、食べなくてもわかるということなのです。もちろん、必ず一度食べただけではわからないことも、時にはありますが、回を重ねると、ついには、その料理を再現してしまうのです。
つまり、母は、料理本を見て、作り方を知ると、ここにある調味料などを入れて、火を通したり、焼いたり、茹でたり、すると、どんな味になるのかが、味見するどころか、作る前から理解できるということで、それは、初めて料理本の作り方を知った時点で、すでにわかったようでした。だから、その調味料の量も、変えてしまうと味が変わることもわかってしまうので、失敗がないし、自在に味を変えることもできるのです。これは、母の生まれ持った超才能なのでしょう。
そして、母が、どうして名店などの料理の再現ができるようになったのか、実は、そのきっかけとなったエピソードがあるのです。
ある時、その名店の目玉となっている、排骨麺を、初めて父が注文して食べた時のことでした。注文した排骨麺がやってきて、ひと口食べた父は、あまりに美味しくて、すっかり気に入ってしまいました。
そして、母に、
「これをなんとかして家でも作ってくれ」
といいだしたのです。
すると、母も少し食べてみると、
「美味しいわ。だけど、美味しいけれど、こんなに難しい料理、うちじゃとても無理よ。この繊細な味は見事だわ。醤油でも塩でもない、こんな上品な味付けは食べたことがない。家庭で作るようなものじゃないわ。」
それもそのはず、その後、他のお店でも、排骨麺を食べてみましたが、その店がダントツで美味しい、やはり中華街でも老舗の名店ですから、その名に恥じない味でした。
すると、父は、母の話しなんて聞いていません。すぐに、女主人を呼び、
「さっき食べた排骨麺が、とにかく美味しかった。なんとか、作り方を教えてもらえないか。」
すると、
「いくら、ご主人の頼みでも、それはさすがにできないわ。ごめんなさい。」
「じゃあ、せめて、家内に作るところをみるだけでも、できないか。」
「うーん、ちょっと料理長に聞いてみます。」
すると、厨房に行って、ほどなくして戻ってくると、
「作り方は教えられないから、作るところをみるだけなら、特別にいいそうよ。」
「わかった。じゃあ、行ってこいよ。よく覚えてこいよ。」
全く、他人事で無責任な父は、もうこれでうちで食べれるというような気でいます。
早速、母が、厨房に行くと、そこには、いかにも威厳のある、しかし偉ぶった感じもない、人の良さそうな、中国人の料理長、李さんが立っていました。
「ようこそ、いらっしゃいました。社長(女主人は、実は社長です)から、あなたたちのことは聞いています。いつも来てくれてありがとうございます。」
すると、母は、
「李さん、今日はわがまま言ってすみません。宜しくお願い致します。」
「はい。悪いけど、作り方を教えることはできないけど、せっかくなので、作るところをみていって下さい。」
「ありがとうございます。」
すると、李さん、あざやかな手順で、排骨麺を作り始めました。しばらく、作るのをみていた母は、
「○○を○○しているのが、すばらしいわ。私にはとてもできないです。」
すると、
「そうですか。ありがとうございます。でも、○○を○○すれば、あなたにもできますよ。ただし、△△しないように気をつけて。」
「だけど、□□は○○した方がいいですよね。」
「大丈夫。✖️✖️すれば、問題ないです。もしできなかったら、○○でいいですから。」
一切作り方を教えないと言っていた李さん。母に、聞かれるままポイントをペラペラと。その後も、母の誘導尋問に完璧にやられて、母の聞きたいことは、全部しゃべってしまう人の良さ。
そして、最後に、母が、
「今日は貴重なものを見せて頂きまして、ありがとうございました。」
すると、李さん、
「教えられないけど、みるだけなら、いつでもオーケーね。いつでもいらっしゃい。」
と言いつつ、けっこうしゃべってしまった李さんでした。
そして、母は、いつしか完璧に自宅で排骨麺を再現し、その時から、うちの味になったのです。
この、どちらかというと、塩系の味で、鳥からの出汁を使い、最後に乗せる排骨によって、スープの味が完成されるという繊細で計算しつくされた上品な味わい。これが、自宅で夕飯に初めて出てきた時は、これは本当なのだろうかと、本気で思いました。これは、家庭で食べてはいけない、時々外食の時に贅沢をして食べるものだろう、とすら思ったものでした。
そして、この、料理の再現に味をしめた父は、この店以外にも、父の会社から中華の調味料を卸している行きつけの小さな名店が2軒ほどありましたが、仕事で取引している、よしみで、引き続き、母に厨房見学をさせてもらいました。さすがにこちらは見るだけでしたが、ついには、その工程を見せてもらうことと、食べた味からの情報だけで、調理法を導き出せるようになりました。いやあ、母はさすがでした。
それに、あとから聞けば、料理の再現は、やはり最初はかなり大変だったようですが、結局できてしまったというのが、母の才能が開花した始まりだったのかもしれません。