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第19話 母と、究極の冷やし中華

宮本家は、ラーメンにこだわったように、父を初め家族全員、麺類には特別に思い入れがあります。極めてきた自家製のラーメンやチャーシューメンに、家の1番の定番の麺といえば、排骨麺、そして、スパゲッティミートソースです。


そこで、母が、新たに取り組んだのが、冷やし中華です。冷やし中華は、中華と言いながら、実は、中華料理ではなく、日本が発祥なので、日本生まれの中華料理とでも言うのでしょうか。


もはや、暑い夏、食欲がない時でも、さっぱりと食べられる暑い時期の定番料理です。今や、スーパーに行けば、麺と、そのまま使えるスープがセットで購入できて、簡単に作れるので、人気ではありますが、問題はその具材です。ハムにきゅうり、レタスに、トマト、などと、あとは人それぞれ具材は変わるようですが、とにかく、野菜は細かく千切りにするので、これは非常に手間がかかります。


近年は、昔からある鰹節削り器のような、野菜を簡単に千切りにできる器具があるので便利です。さて、母は、スープは自家製とはいえ、酢と醤油、ごま油、ハムなどいいものを使ってもそこまでの進化はみられません。せいぜい、麺を、いつもの製麺所に注文するくらいです。


いよいよ調理開始ですが、まず具材について、野菜のきゅうりとレタス、トマトなどは、スーパーでは、特に売っているものに差はないのでそのまま買います。あと、錦糸卵を作る玉子も、スーパーのものはだいたい同じようなレベルのものなので、やはり麺以外には特別なものは見当たらない。スープは、わりと美味しくできたので、冷やし中華自体は普通以上には、まあまあ美味しくできましたが、父が合格をだすレベルかというと、とてもそこまでのレベルではないので、父は、あまりいい顔はしません。


「はっきり言っておくが、そもそも、おれは、冷やし中華はきらいだ。だいたい、具らしいものは、せいぜいハムくらいしかないだろう。それをラーメンのように熱いスープに入れて出汁や旨みが出るわけじゃない。スープだって、醤油と酢にごま油で、程度は知れたもんだ。別に、出汁をとっているわけでもなく、旨みがない。不味いとは言わないが、所詮は、生野菜をのせるだけの女の食べものだ。」と言う。


それを聞いて、母は、冷やし中華が好きだったこともありましたが、女の食べものだなんて言われて、なんとかならないものかと本気で考え始めたのです。これこそが、改めて冷やし中華に取り組んだきっかけでした。野菜をいいものにしても、なかなか味わいにはつながらないし、改善する要素が見当たらない。醤油と酢以外のもので新しい味のスープを考えるということもないけれど、それでは、この醤油と酢で作る冷やし中華は、美味しくできないということを認めることになるので、どうしてもそれはしたくなかったのです。


しかし、その時以来、中華街で、家族で買い物をしていると、母は、よく1人で色々なお店に入っていました。

その後、しばらくして、夕飯の時間、今夜は、父はいません。というのは、実は、父は、仕事でよく税関の人と会うことが多いのですが、税関の中に囲碁の同好会があって、誘われて週に一度行くようになっていたのです。というのは、父は、囲碁はアマチュア六段の免状を持っており、指導に招かれていたのです。二十人もの相手をして、全員横並びになっているところを一手ずつさしていくそうです。


今夜は、ちょうどその会に行く日なのです。これ幸いと、母は、試作品の冷やし中華を夕飯にしました。母と姉と私の3人で、いただきます。


さて、ぱっと見は、いつもと変わらないように見えたのですか、よく見ると、ハムがチャーシューになっている。それ以外は、とりあえず見た目は今までと変わらない。それでは、食べてみよう。


「おおっ。ハムがチャーシューになって、全然違う。こんなに変わるなんて。」


姉も、続いて、

「本当に美味しいわ。これなら、お父さんも絶対食べるわよ。待って。これ、冷やし中華そのものの味が、いつもと違うじゃない。スープがもう全然違うし、すごく美味しいわ。お母さんやったじゃない。どうやったの?」


その秘密を2人に説明すると、


「そりゃ、美味しくなるわけだ。さすが、お母さん、すごいね。」


すると、姉が思い出したように、

「そうだ。だけど、お父さんは、冷やし中華が嫌いだって言ってたわよ。どんなに美味しくなっても食べてくれなきゃ、しょうがないじゃない。たぶん、お父さんは、もう絶対に食べないわよ、頑固だもの。」

「それなら、大丈夫。絶対に食べさせる自信があるから。」


母は、父に、絶対にまた冷やし中華を食べてもらうと、堂々と宣言しました。


そして、ある夕飯がやってきた。

仕事が終わって、入浴を済ませて、父は、食卓につきました。おかずの品が何品か並んで、最後に、父の前に出された、新・冷やし中華。

「おれは、冷やし中華は嫌いだと言っただろ。」

と、言って、父は、もう一度、チラッと、冷やし中華に目をやった。


すると、何か複雑な表情をしている。なんとも複雑な表情。そして、ゆっくりと、箸をとり、冷やし中華を上からつまんで、口に入れる。


そして、少し考えてから、軽く混ぜてから、麺をもう一口。

すると、ゆっくりと食べ始めた父。その複雑な表情から、だんだんと普通の顔に戻って、食べ進めていき、そのまま、手は止まらず、途中から、おかずも食べながら、最後まで食べている。


途中から、私たち3人も食べ始める。全員、食事が終わり、しばらくして、父が言った。

「今度作る時も、これと同じじゃなかったら、食べないぞ。わかったか。」


そう言うなり、すぐに席を立つ父。


その後、父が寝た後、3人で、ほっとして、テーブルについた。すると、自分から、開口一番、


「いやあ、びっくりしたよ。まさか、あれなら、食べるよね。お母さんの作戦は、すごすぎだよ。まさか、お父さんの好きなくらげがのっているとは思わなかった。中華街行くと、いつも必ず最初に頼んでるよね。」


そうなんです。中華街のいつも通う名店で、やはり美味しいのが、前菜のくらげの酢のものです。これなら、基本的な味付けは、冷やし中華の酢と同じだし、具材のレベルアップになるということで、新しい具材として、母が選んだのです。もちろん、これは、父が大好きなことを踏まえた上でのアイデアです。


中華街の具材を売っている色々なお店を巡って、中華食材のくらげをやっと探し出して、このくらげも中華街並みの味にレベルアップしていき、もう一度食べてもらうための糸口を見つけ出した母は、さて、これから、新・冷やし中華のための新しいスープ作りの研究開始です。


実は、このくらげを見つけた時、同じお店で、絶品のチャーシューを手に入れたのです。そのお店のチャーシューは、とても有名で1ブロックが五千円もするのです。早速、そのチャーシューをハムの代わりに使って、冷やし中華を作り、試食します。まず、チャーシューの美味しさは、桁外れでした。値段も高いですが、その美味しさからは納得の金額でした。そして、冷やし中華そのものはというと、以前とはあまり変わり映えしません。やはり、劇的に美味しくするのは難しい。このチャーシューの美味しさとは、少し釣り合わないので、なんとも言えない感じです。スープの味のレベルとは差がありすぎてしまう。チャーシューを入れるにしても、もっとスープとの一体感がほしい。そして、そこで、母は、一計を案じました。それは、この中華街のではなくて、いつもラーメンのために母が作っているチャーシューを使うこと。そして、これを作る時に出る煮汁、これは醤油を使って作っているので、この煮汁をベースにして、冷やし中華のスープを作るのです。これなら、豚肉の旨みはたっぷり出ているし、これを使って作るスープと、チャーシューとの、これ以上の一体感はありません。これで、旨みがたっぷりのスープが出来上がったのです。


父は、くらげの誘いにまんまとひっかかり、そのことをきっかけに再び母の冷やし中華を試してしまい、とうとう奥深いスープの新しい冷やし中華を受け入れたのです。父のことを知り尽くしている、母の作戦勝ちでした。でも、そのかわり、毎回くらげを買わないといけません。


そう、これまでも、数々の料理を、父に言われるがままに、再現して作り上げ、父からの合格は、褒め言葉どころか無言の完食のみ。文句を言わずに食べ終わることが唯一の、頑固な父の合格点でした。しかし、今回の戦いは、作るように指示されたわけでもなく、あえて父の嫌いなものを食べさせて、さらに認めさせるという超難問なのです。おそらく、くらげが乗っていたからといって、父は完食をしたのでもなく、また作れと言ったのもくらげのせいではありません。父は、嫌いだった冷やし中華を好きになったのです。


ただし、母の作るもののみの限定ではありますが。父が嫌いな料理をそこまで変えてしまった母は、もう、この時に、父に完全勝利したのだと思います。しかし、これは、母にとっては、父との戦いではなく、父に冷やし中華を美味しく食べてほしいというまごころからの努力であり、だからこそ、父が美味しく食べられる冷やし中華ができたのだと思うのです。そして、母にとっても、これは勝利した喜びではなく、父に美味しく食べてもらえた喜びなのでしょう。


そして、その後、うちの冷やし中華は、さらに進化を遂げ、鳥の皮を少し味付けをしたものを揚げて、軽く砕いてからトッピングして、少し混ぜてから食べるという、その揚げたものがつゆに少し沁みて柔らかくなるところとカリカリのところが絶妙な食感で、また、格段に美味しくなったのでした。

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