第18話 母と、究極のおむすび
ある日の夕飯です。その日の夕飯は、すき焼きでした。最高の牛肉と共に、厳選した野菜、しかし、食べ始めようとしても、ご飯はまだ出てきません。これは、絶対にご飯も食べたい。すかさず、父も、
「おいっ、めしがないぞ。めしをだしてくれ。」
自分も姉も同感です。早くご飯がほしい。しかし、母は、
「ごめんなさい。今日は、ちょっと試したいことがあって、よく高級な旅館とか行くと、おかずが色々と出て、最後にご飯だけ出るじゃない。今日は、あれをやってみたいのよ。だから、高級旅館っぽく、すき焼きにしてみたのよ。今日は、このまま、最後まで食べてみて。たぶん、大丈夫だから。」
絶対にご飯を一緒に食べたい3人でしたが、その時の母は、いつも以上に自信ありげに主張するので、まあ、とりあえず言う通りにしてみよう、ということになりました。
まあ、実は、父は、ぶつぶつ文句を言っていましたが。
その後、絶品のすき焼きを食べ終わり、やはり、最後のご飯を食べるだけになりました。
しばらくして、
「ごめんなさい。ちょっと遅くなっちゃって。さあ、食べてちょうだい。」
そう言って、運んできたものは、ただのおにぎりでした。それは、海苔も巻いてなく、ごま塩とかもふっていない。ただご飯をにぎっただけの、ただの白いおにぎり。
「えっ、これ?」
姉と思わず顔を見合わせてしまいました。
「お味噌汁もあるわよ。どうぞ、食べてちょうだい。」
ご飯は、やっぱりおかずと食べたかったかな、それに、おにぎりなら、海苔があった方が絶対美味しいのに。
そう思っていたら、父も姉も同じように言いたげな表情でした。というか、父は、ぶつぶつ文句を言っていました。
そのおにぎりは、普通よりも小ぶりのものが2つ。
手にとって、口に運び、ひと口食べてみる。すると、そのひと口は、口に入るや否や、ほろっと、ほぐれてゆく。普通は、ひと口分のご飯を口に入れると、その丸ごとを噛んで咀嚼していくのですが、このひと口は、そうではなく、自ずから、すぐにほぐれていき、そこから、お米の一粒一粒を噛んでいく感じです。いつものご飯よりもほんの少し歯応えを感じ、それで、そこから、さらによく噛んでいく、すると、今まで味わったことのない、なんとも言えない甘みのある塩味が、お米の甘さと一つになって、お米の豊かな甘い旨味が広がっていく。
お米だけでも美味しいところに、旨味のある塩味が、お米の甘みを際立たせて、さらに旨味となって口いっぱいに広がってゆく。これって、お米の究極の味なのかも。こんなに、美味しいなんて。なんて、やさしい味、なんて、深く、甘みの美味しい味。
そして、一緒に出てきたお味噌汁をひと口。ああっ、今日のお味噌汁は、いつものよりもシンプルな感じで、いつもとまた違う味わいが美味しい。今度は、おにぎりを食べながら、お味噌汁を飲んでいくと、、、。
あーっ、なんということ!おにぎりの甘みのある塩味が、お味噌汁の味を際立たせて、おにぎりとお味噌汁が一つになっている。最高に美味しい。なんとも言えない、言葉にならない。3人とも、一気に平らげてしまいました。
落ち着いたところで、母から聞いた、このおにぎりの秘密とは。
まず、このおにぎりを作るきっかけは、たまたまお店でみつけた天然の甘塩だったのです。早速、味見をしてみると、塩味が強くなく、ミネラルの甘みがすごくて、塩味の角がなく尖っていない。そこで、最高のおにぎりができると思い、お米の炊き方やにぎり方を研究し直したといいます。これは、その甘塩だけでにぎっていて、お米の味を邪魔しないように、むしろお米の甘みを際立たせるように甘塩の量は気をつけて、にぎり方がまた絶妙で、一粒一粒の間に空気が入るようににぎってあり、口に入れた時にほぐれて、一粒一粒を噛んで味わえるようにしました。
それから、そのおにぎりにあわせて、お味噌汁も、具材も抑えてシンプルにして、それと、塩気を少し抑えて、おにぎりと一緒に食べた時、甘塩のおにぎりとお味噌汁が合わさって、さらに完成形になるようにしてある、ということでした。
しかし、こんなおにぎりを出されたら、おかずの立場がない、という感じです。それから、おにぎりという言い方は、実は海苔を巻いたものをいい、何も巻いていないおにぎりはおむすびという言い方をするという区別が、必ずかどうかはそこまで定かではないけれど、あるらしい。それに、遥か昔には、おむすびという言い方は高貴な人たちの間で言う言い方だったらしいという説もありました。
そのことから、言うならば、このおにぎりは、間違いなく、おにぎりではなくて、おむすび、に違いないと思いました。それも、めったに食べられない、究極のおむすびです。しかし、残念ながら、この時に使う甘塩も、この時に買った甘塩以外では難しいと、母は言っていました。
それに、うちは、父の言いつけで、お米にもとてもこだわっていたので、これまでになく、そのお米の持つ味わいをいっぱい引き出せたように思いました。こだわった塩については、当時は、今ほど、そこまで甘塩の種類はなかったような気がするので、今だったら、あるいは、同じようなものができたのかもしれません。