第15話 母と、止まらない料理・玄米かりんとう
ある時、母と姉は、なぜか突然に、ブームのあおりか、健康志向がうちでもブームになり、色々なことを試しています。また、すぐに飽きることがはじまったと、私は呆れてみていました。
すると、カルチャーセンターへ通うようになり、食事も、ご飯は、父と私は、普通の白米を炊いて、母と姉は、玄米を炊いて食べるよう食事のことも色々と考え始めました。そして、その頃になって、食事に気を使うようになった母と姉は、なんだか化粧ののりが違う、とか、便秘が治ったとか、言い出して、色々と身体に起きる変化を感じていたようで、さらに食生活をみなおすようになってきたようでした。
すると、おやつに、色々と甘いものを食べていた2人は、玄米を使ったかりんとうを作るようになったのです。それは、おやつとは言っても、砂糖は一切使わずに、塩だけのもの。母は、そこで、本領発揮。様々な本を、参考にして、独自の、玄米かりんとうを作り上げたのです。
それは、うどんを5㎝くらいに切ったような形状のもので、味は塩味だけで、その塩味もとても薄っすらとしかついていないので、逆に素材の玄米の味が、際立っています。そして、その玄米の味がすごくいいのです。自分は、昔、一時、玄米を炊いて、食べていたことがあって、美味しいのですが、けっこう咀嚼するのが大変な印象があって、というか飽きてしまったのですが、この玄米かりんとうは、それとは、かなり違っていました。
これが、正直言って、こんなに美味しいものだとは知らなかったのです。ただ、もしかしたら、母の研究によって、出来上がった、母独自の玄米かりんとうだったからなのかもしれません。余計なものは一切入っていない健康志向へまっしぐらのものだったのです。
ただ、それなのに、一つだけ、欠点というには違うかもしれませんが、欠点がありました。それは、あまりに美味しすぎる、ということでした。いくら、悪いものが入っていないからといって、食べ始めたら、本当に止まらない。危険なほどにクセになるのです。お菓子などは、甘いと、食べる量もほどほどになったりもしますが、この玄米かりんとうは、そうではありません。それに、ほとんど塩味も少ないので、かえって軽く口にくどくない。おまけに、玄米の軽いいい味が、心地よくて、本当に止まらないのです。
そして、お茶とか飲みながらだと、一度飲んだら口がリセットされるので、また食べてしまう。食べすぎては意味がない。一度に山のように作ると、山のように食べてしまう。ついには、母も、そういった理由から作るのをやめました。もちろん、美味しくなければ食べられないし、美味しすぎて食べすぎてしまうという、なんとも、悩みでないような悩みの前に、結局は失敗となってしまったことは唯一かもしれない、母の料理でした。
今考えてみると、この玄米かりんとう、健康云々とは関係なく、普通に作り続けてほしかったです。結局、健康志向も極端だったせいか、だんだん飽きてしまい、そのうちに、普通の生活に戻った2人でした。