黒の空虚と白の煩悩
――ザザッ――
「シィァッ!!!」
セレーネの鋭い貫手が〝オレ〟の頬から耳の肉を削り取る。
――ガッ――
その腕を掴んで固定し、残る片手でセレーネへ手刀を振り下ろす。
「ッ!――ッ♪」
その手刀を前にセレーネは迷い無く動き、オレの掴んだ腕を起点にその身を俺の身体の外側に捻り、その踵で俺の首を圧し折ってくる。
――ゴキュッ――
吹き飛ばされながら、その痛みを味わいながら…己の腸に生じた、この煮え滾る〝泥の心〟と視界の先に映って離れない〝セレーネ〟の姿にオレの視界が歪む。
『愛オシイ』
『美シイ』
『綺麗ダ』
『血濡レタ赤ノ娘』
『■ノ■シタ女』
『■セ、■シ、■ソウ』
『求メラレ、求メル、オ前ヲ知リタイ』
『ソノ生命ヲ、ソノ肉ヲ、ソノ軌跡ヲ、■ノ知ラヌオ前ヲ、オ前ノ全テヲ…』
――【オ前ノ■ハ偽物ダ】――
……嗚呼、知ってる。
――ゾッ――
「ッ!?」
「――何呆けてやがんだァ!?」
――バキバキバキバキッ――
オレが〝呑まれている〟その最中…ふとその凄まじい怒気と殺意に引き揚げられる…その視線の先…セレーネが何時の間にか持っていたその地面の〝塊〟をその剛腕でオレへ投げ飛ばす。
「ッ――♪……そうだったな…」
――ズガッガガガッ――
地面へ腕を突っ込み、衝撃を抑えて体勢を立て直し…セレーネの〝言葉〟に相対する。
『私を見て』
と……迫りくる大岩が、その大岩の先から此方へ迫るセレーネの気配が…何よりもその〝色〟がオレへ彼女の真意を如実に語ってくれる。
「忘れちゃいないさ…〝セレーネ〟」
――ズッ――
〝空〟に触れる…その暗闇に紫の魔術陣が現れ…其処から巨大な〝屍肉の腕〟が現れる。
「〝悍涜ノ巨腕〟」
その腕は大岩を容易く破壊して、そのままセレーネへ拳を振り抜く…。
「洒落臭え!!!」
その拳へセレーネはそう吐き捨て拳を振るう…己身体のの十倍は有ろうかと言う、その巨大な腕に対して。
――ゴッ――
打つかり合う拳と拳は鈍い音を世界に響かせて、一瞬の停滞を生む…しかし。
――ベキッ――
その停滞は刹那に散る…その巨腕の腕が砕け、充分に威力を殺し切る事を叶わず、そのセレーネの一撃に粉砕されて巨腕は朽ちる。
――ガシッ――
「ッ!?」
「こう言う〝デカブツ〟は視界を遮るのに丁度いい♪」
吹き飛ぶ屍肉の中を突っ切り、セレーネの腕を掴み投げ飛ばす。
「グゥッ!?」
――ガラガラガラッ――
――ドチュドチュドチュッ――
オレは両手を空に這わせて術を行使する……先程砕いた土塊と、セレーネが粉砕した屍肉の塊が蠢き寄り集まり、その姿を伝う〝槍〟の様な形を模る。
「〝百屍〟――〝剣山改鎗山獄刑〟」
その言葉と共にセレーネへ鎗山の群れが差し迫る。
「ハッ、まだまだ温ぃなぁ!」
逃げ場等無い空の只中で、セレーネがそう咆える…そして、己を引っ張る力に抗う事無くそのまま吹き飛ばされて行く……。
――ダッ――
その次の行動に、オレは思わず目を見開き驚嘆の声を上げてしまった…遥か空高くの廃城の天井にセレーネは足を着き……〝此方を見た〟…。
――ドドドドドッ――
槍の山が天井を吹き飛ばし、その瓦礫と砂塵を雪の様に降らせ――。
――ズドォンッ――
その光景がオレの目に映るより速く、視界一杯をセレーネの身で覆われてしまう…。
「まさか投げ飛ばされた力を攻撃の起点にするとはなッ」
「シィッ!」
――ドゴォッ――
オレの言葉にセレーネの足蹴が返ってくる…足蹴と呼ぶには余りにも重く破壊に満ちた一撃が、オレの腕に深く減り込む…。
この充足感、血と死の甘い香りと、この舞台に奏でられる大地、空、生命の〝音楽〟…堪らなく〝愉快〟だ。
――ベチャベチャッ――
「ガァッ…!?……ペッ、クソッ…思ったよりも食らっちまったな」
「寧ろ自傷覚悟の特攻でそれだけの損耗ならマシな方だろうよ」
喉から貫き抉るその槍を引っこ抜きながら、喉を押さえるセレーネへそう返す。
「このまま続けても良い…だが、このままでは千日手だな?」
「……まぁな」
互いが互いを仕留め切るには〝決定打〟に欠ける、このまま続けばギルネーデ等の邪魔も入るだろう。
「永遠にこの一時を味わいたく思う、お前と言う存在との、この時間を…だが」
「〝終わらない物語は物語に非ず、終わらない歌はただの雑音〟…だろ?」
「…フフフッ、そうだセレーネ、良く分かっているな」
オレの言葉を先取りし、そうオレへ目を向けるセレーネのそのしてやったという顔が、小生意気で、可愛らしく、思わず二人して笑ってしまう。
分かっている、分かっているさ…この空洞の心の内で渦巻く〝偽物の色〟が何なのか。
遍く人々を見てきたんだ、分からない筈がない…。
生を経て幾年、芽生えた意志の中でにその生命が唯一人へ向ける、その甘い毒の様な〝心の媚薬〟…。
「セレーネ…■しているよ」
「ッ〜!……テメェは本当、そういう所が〝卑怯〟だな…!」
「そう怒るなよ……コレが最後の〝機会〟なんだ、躊躇う訳には行かんだろう?」
例え偽りで在れどもこの〝色〟を抱きたいと思った事は事実なのだから。
――ズブッ――
「さぁ…やろうセレーネ…〝最後〟位は、後腐れ無く…全てを〝吐き出して〟…な?」
オレはそう言い、己の心臓に〝黒い杭〟を突き刺す…その瞬間。
――グシャァッ――
オレの姿が〝曖昧〟に変わる。
「『〝偽り〟、〝欺き〟、〝無形〟にして〝空洞〟』」
その中心に渦巻く真っ黒な〝黒泥〟で満ちた心臓とその心臓に沈み込む〝杭〟を残して。
「『〝何者にも成れぬ者〟、〝人ならざる異形〟、〝異形ならざる人〟…〝境界からの追放者〟、〝ただ一つの虚の果て〟』」
「『〝欠落の欠陥者〟、〝抜き取られた錻力の木こり〟…〝ただ、屍肉纏いの泥人形〟』」
その心臓は脈打ち、泥を溢れさせて無形のオレを包み込む…その生温かい不快感にオレは包まれて行く…。
「『〝夢を見る白痴の夢よりその名を紡げ〟……〝空渇き、薄らかに張り付けた皮衣の忌名を〟』」
そして、オレはその心臓を己の〝空洞〟に押し込んで告げる。
「『……〝虚ノ悪魔〟』」
オレはそう言い、〝形〟を新たに〝再誕する〟…〝俺〟と言う化物の救われる、もう一つの〝夢〟の姿に。
「『…』――ふぅ…流石にこうも纏わりつかれると気色悪いな」
――ズオォォォッ――
纏わりつく黒泥を〝ソレ〟が食い尽くす…ソレの姿は紛れも無い〝ハデス〟そのものだった…その形も声も何もかもが同じだった…しかし。
「何だハデス…その〝痣〟?」
その身体中に蠢く〝黒い痣〟だけは、心臓から広がるその痣だけは元来のハデスとは異なる〝異彩〟を放っていた。
「〝呪い〟だよ、その効果は〝後で〟分かるさ」
ハデスはそう言いケラケラと笑う…その目に浮かぶ黒は、真っ黒なその鏡にセレーネを写し、そしてその薄ら笑みを張り付けた口からはセレーネへ促す様に言葉を発せられる。
「さて…お前はそれで良いのか?」
その言葉がセレーネの耳に触れるや否や、セレーネがその顔に笑みを深めて応える。
「馬鹿言え、テメェが手加減しねぇか監視してただけだ」
そして、セレーネは構えを変える…地面に弧を描きながら、その舞の様に美しい所作で…そしてその構えが完成した時、セレーネがポツリと呟く。
「――〝悪仏解脱〟、〝悪理如来百八想鬼〟」
その言葉と同時に、セレーネの身体から溢れ出す闘気がオレへ注ぎ込まれる。
――フワッ――
「『〝戒律を捨て、誓いを捨て、生命を捨て、過去を捨て、捨てに捨てて〝煩悩〟を捨てず〟』」
セレーネが紡ぐ言葉に呼応して、セレーネの額に真っ赤な結晶の様な〝白毫〟が現れ、その額には白い双角が生まれる。
「『〝六道巡りて我が意は変わらず、悪鬼羅刹を身に宿し異端の仏〟』」
その身に纏う装衣はまるで、天女天人の衣の如く白く、セレーネの〝朱〟を映えさせる。
「『〝故に我、天上天下唯我独尊也〟』」
そしてその、〝天の衣を着た悪鬼〟は…その傾国の美貌をオレへ向けて牙を剥いて笑う。
「無茶苦茶小っ恥ずかしいなぁコレ…」
「……」
「おい、何か言えよ」
頬を掻き、恥しげにそう照れ隠すセレーネが今度はそう言いオレをジトッと睨む。
「……綺麗だな」
「ッ…馬鹿」
そうして、〝オレ〟と〝セレーネ〟が対峙する。
「「……いざ」」
そして、二人同時に言葉を揃えて駆け出し。
「「〝勝負〟!」」
そして、二人同時に打つかり合い、一歩も引かない最後の〝殺し合い〟が始まった。




