光の貴方へ偽りの愛を
きっと私は彼を忘れないだろう。
硝子の君、弱き貴方…気紛れに拾い上げた泥に塗れた貴方を、世を知り、人を知り、磨かれた〝宝石〟の貴方を。
貴方の心に私は居るのだろうか?…良いや居なくても構わない。
ただ覚えていて欲しい、醜く悍ましく嗤う私を…けれど貴方へは、その笑みに邪は無い事を。
―とある男の日記より抜粋―
――ペラッ…ペラッ…――
夜の薄闇、古びた本の眠る本の墓場で…本を読む者と言うには似つかわしく無い、ゴツゴツとした筋肉と豆を掌に作ったその男は、その粗野と呼ぶか、戦人と呼ぶには余りにも掛け離れた理知的な瞳でその奇妙な書物をなぞり、言葉を紡いでゆく…。
「〝血の産声〟、〝天人堕ちて鬼と成る〟、〝夜越えて陽は昇り、堕ちし天人、怨嗟の鬼はその怨嗟燃え尽きるまで暴れ狂い〟、〝虚構と共に塵に帰する〟」
ソレは何らかの呪詛か祝詞か…良いやきっと呪詛だろう、並べられた言葉は全て血生臭く、良い意味と捉えるのは不可能だろう。
「……目算、一の〝禁術〟は〝鬼化〟とでも言った所か?」
大蛇の記憶から考えれば凡そは合っているだろう…全く。
「〝言語を並べて積み重ね、大部分の文章は虚文〟……オマケに昔の術とは思えない程の〝防御結界〟…〝触れる度解除コードの変わる偽造、侵入者感知術式〟……どれもコレも、コレを作ったのはマトモな人間じゃないな」
禁術を記した書物だ、厳重な守りは当然だ、それに加えて強力な術とソレを覆い隠し普通の書物に見せる偽造結界と、隠蔽結界…。
「術無しでも相当な隠蔽技術……フフフッ♪」
沸き立つ好奇心とこの書物への尊敬の念に顔が歪む…きっとその顔は悍ましく恐ろしく歪んでいるのだろう。
『お前を封印する』
『お前を殺す者が現れるまで』
あの女は、鬼に堕ちた女は一体どれだけの贄、どれだけの血をあの戦に費やしたのだろうな。
きっと、何十などでは推し量れんだろう…何百か、或いは千だろうか…何方にせよ。
――『……』――
「鬼の瞳と呼ぶには……余りにも、〝美しかった〟な…本当に〝美しい〟人間の目だった…」
人から鬼に堕ちたとしても、それだけは手放さなかったのか…。
「是非、会ってみたい…会ってみたかったなぁ」
最早叶わない、もう既にその女は死んで、魂は滅ぶか昇るか腐り果てるかしているのだろう。
「……お前の育て上げた、託した〝ソレ〟…試させて貰おうか♪」
お前の〝覚悟〟が勝るか、俺の〝悪意〟が勝るのか…。
「――ッ♪…後数週間もせぬ内に、分かる事だ♪」
残るは2週間程か…楽しみだ。
「……そろそろ潮時か、〝この身体〟はそこそこ保ったな…流石にもう使えんだろうが」
流石に可能な限り少なくとは言え俺が入れば俺の穢が溜まる…ハァ。
「本当…つくづく厄介な国だなぁ、此処は♪」
――チャポンッ――
○●○●○●
「――……ッ」
深く深く、深夜の刻…日出に建てられた城の最上…国の〝主〟が住まう部屋、その寝室にて…寝着に身を包んだ…〝天光稲穂〟は、夜中にはたりと目が覚める。
「……またか」
稲穂はその顔を顰め、もぞりと起き上がる……その頭を抱えて。
「何だ……この〝耳鳴り〟は…」
ソレは二日前より突如現れた〝耳鳴り〟…忌々しくも、ソレは真夜中に現れてくれる。
「……はぁ」
――カチャッ――
夜を開く……満天の夜空はその姿を掻き消し、曇天に覆われ、何一つ星は見えない。
――……――
「――何か、有るのか?」
根拠は無い……ただの虫の知らせだ…しかし不思議と己の直感が間違いでは無い気がするのは、きっと――。
「嫌な〝雲〟だ……」
空に渦巻く星を覆い隠し、とぐろを巻く様に国を見下ろす、〝淀んだ月の眼〟をした〝蛇〟を睨む。
「……一度、確かめて見るか」
その蛇の、その瞳が晴れる…青く光る、その瞳の美しさ。
あの〝美しい醜悪〟と言う矛盾を体現した様な〝妖魔の男〟を思わせる、不気味な月をもう一度一瞥すると、稲穂はまた床に就く…。
「――フフフッ♪」
何処かでは、1人の男が己と共に眠る、純真の白を愛でながら、その紫の月の瞳を光らせてその瞳を闇に閉ざした。
●○●○●○
「〝赤く燃える炎の矢よ〟」
――ボォッ!――
燃え広がる炎の矢が一目に己の元に迫る。
「フフフッ、良い術に成ってきたな!」
(信太は術も武も両方の才に秀でているな)
まだ肉体は未成熟だが、その形に合わせる様に重きでは無く速くで攻める、その分軽く、しかし数でとその柔軟さは子どものソレ、しかしその動きの冷静さは大人も凌ぐ程だ。
術もそうだ、信太はその生まれ故に術に触れた事は無い…しかし今やたった半日で術を軽々と行使し、その術を応用の段階まで持っていった。
(それでも〝溺れていない〟)
飽く迄もその在り方は〝誰かの為に〟だ、純粋な〝善性〟だ、そしてその為の努力を惜しまない。
「――信太……1つ、此処で問答をしよう」
俺はそんな〝彼〟へ1つ問う、すると信太はその顔を真剣な物に変えて俺を見る。
「もし…もし仮にだ…お前を虐めていた者等が、お前を見捨てていた大人共が…危機に瀕していたなら…お前はどうする?」
「助けます」
俺の問いに、信太は迷う事無く答える……ソレは定まり切らないままの、軽い言葉では無く…必ずそうすると言う、揺るがない〝真実の声〟だった。
「――ならば、その危機を生み出し、それの元凶と成った存在が…〝俺〟だったならば…お前はどうする?」
「ッそれは…」
その問いに信太は詰まる……意地の悪い質問だ、信太にとって己がどう言う存在か理解していて、ぬけぬけとそう言っているのだから…。
「俺はお前の答えを悪だとは言わない…この問いは、〝お前の答え〟が正解だ…臆するな、だが悩むと良い…揺らがないお前の〝声〟を聞かせてくれ」
俺の言葉に信太は考える……俺はソレを見守る……静寂、静寂に流れるのは木漏れ日と鳥の歌…微風は俺と信太の黒髪を撫でて過ぎ去り、揺れる小枝から小さな葉が舞い落ちる。
「――僕は、てすさんが好きです」
信太はそう言い言葉を続ける。
「てすさんは弱い僕を助けてくれた…弱い僕を守ってくれた…僕に色んな景色を見せて、美味しい物を教えてくれて、僕に強くなる機会をくれた…」
「……それで?」
「――でも」
信太はそう言い、俺へ感謝の念を送る……ソレを受け取り、尚俺は問いへの答えを促すと、信太はその目を俺へ向ける。
――ゾクッ――
「ッ!?」
その瞳に、俺は少し後退る……恐れたから?…違う、そんな生易しい物じゃない。
――ドクンッ…ドクンッ…――
心臓が早る…緊張?…ソレも有るがそれよりも大きな〝興奮〟と…〝賛美〟が胸中を埋め尽くす。
「もし、てすさんがそんな酷い事をするなら…僕はきっと皆を守る、そして…てすさんを倒す…と思う」
その目は真っ直ぐで…美しい〝純粋な善〟が有った…どんな崇高な目的を掲げる者よりも綺麗で、どれだけ貪欲で純粋に求めた者よりも輝き、贋作何かとは比べ物に成らない程、眩く俺の目を貫く〝光の意思〟…。
正しく〝人間〟…欲深く、醜く、踏み外し穢れやすい…しかしどの生命よりも〝美しい生命〟を持つ者…こんな〝色〟は神でさえ持っていなかった…。
「ソレは……〝素晴らしい〟……本当に、本当に素晴らしい事だ」
声が詰まる…彼への敬意と、彼への愛に…紛い物で悍ましいとは分かっていても…俺は彼へそう思わずには居られなかった。
「でも…そんな事は、起こって欲しくないですけどね…」
「世界は不条理に満ちている物だよ…だが、もし…お前と私がそんな事に成ったなら…私はお前を殺す気で〝試す〟だろうね」
「てすさんなら、そうしますよねぇ…」
「あぁ……その時が来ると良いな♪」
「いやいや、来て欲しくないんですってッ」
俺と信太はそう言い笑い合う…その木漏れ日よりも眩く輝く光が、俺の隣でずっと光っていた…。




