飢える獣に堕ちた者
――チリンチリーンッ――
鈴の音が成る〝午前10〟時…私はその顔触れを見て内心の醜い笑みを取り繕い、何とか穏やかな笑みを浮かべる…一夜前の〝資格者〟達はその顔を真剣な物で満たし、鋭い刃の様な〝視線〟で私を射抜いていた。
「コレはコレは御客様…昨日ぶりの御来店有難う御座います♪」
「……」
「本日はどの様な物をお求めでしょうか?」
「……アンタ、分かってるでしょう?」
私の言葉に一人の少女…ミケ様がそう告げる…普段は猫の語尾を付けている彼女の声色は嫌に冷たく、またしても少しの興奮が湧き上がる…。
「フフフッ♪――えぇ勿論♪…貴方方が御求めになられている物は把握しております、私は物売り、顧客の求めるニーズにお答えする、市場の把握は商人にとって必須業務ですので♪」
「ならば早く頂こうか」
「〝ハイド〟を倒す道具…つまりは悪魔を殺す、及び追い払う道具を御求めになられている訳ですが…それよりももっと簡単な方法は御座います♪」
その次に私の口から吐かれた言葉を聞いて、四人は殺気を強くする。
「〝悪魔憑きの人間〟を殺してしまえば良いのです♪…悪魔憑きとは即ち〝寄生〟の様な物ですので、寄生先の魂が死ねば同時にハイドも死んで消えるでしょう…ソチラの方が―」
私がそう言うのを遮る様に腕が伸びて私の胸倉を掴む…クラーノ様がその顔に憤怒を抱えて私を睨んでいた…チラリと他の面々に目を移せば、3人もまた私の言葉に怒りを覚えている様で…その時、クラーノ様が口を開き言葉を吐いた。
「テメェは一般人を犠牲にしろって言いてえのか?」
「?…えぇ、ソチラが最も安価且つリスクの低い方法と成りますね…寄生先の人間の心臓にこの銀の杭を突き立て、殺してしまえば寄生先と繋がっている悪魔の魂も破壊出来るのですが」
「ッテメェ―」
「――ですがお気に召さないと言うならば、もう一つの案が御座います…此方はかなり面倒な手順を踏む上に、危険性の高さ故にこの方法を使った悪魔祓いは必ずと言って良い程多くの犠牲を出しましたが…さて如何為さいますか?」
クラーノの腕を擦り抜けて、私は四人へ目を向ける。
「〝たった一人の死〟か〝大勢死ぬかもしれない可能性〟……前者は一人の命を対価に確実な死をハイドへ与え、後者は寄生された者の命は助かりますが代わりに一度選択を誤れば大勢の命が亡くなります…さぁどうしますか?――私的な話に御座いますが、何方を選んでもソレは悪では御座いません…時に人は大小差異有れど他を切り捨てて今まで暦を重ねて来たのですから」
私の言葉に、四人の心根に葛藤が生まれる…言葉を綴る度その葛藤の根は大きく育ち、彼等の心を揺すぶるだろう…。
「ゆっくりと御考えを…しかし試供品として少しの情報を提供致しますが、ハイドの〝衝動〟は保って今日まで…今日アレを何とか出来なければ……〝この街〟はただでは済まない被害が起きるでしょうなぁ」
私がそう言うと、ふとチシャが私を見た…。
「――貴方が手を貸した場合はどうなるの?」
「――ほぉ?」
チシャの言葉に思わず〝素か漏れる〟…が、ソレを覆い隠しチシャを見る。
「貴女が何を思ったのかは分かりませんが、私が貴方方の〝ソレ〟へ介入した場合…えぇ、直接的に介入した場合は、確かに〝解決〟は可能ですね…一切の損失なく、人死に無く可能…ですねぇ」
「ッ!―」
私の言葉にチシャが口を開こうとした…ソレが止まる。
○●○●○●
「〝たった一人、罪無き者を殺す覚悟も無く〟…〝たった一人、一つの命の為に大勢を犠牲にする勇気も無く〟…〝何一つ賭けずに利益だけを貪ろうとするなら〟…ね」
俺の身体に、冷たい悪寒が流れる…きっと後ろの奴等も同じ気分だろう…。
「商い人に〝無償〟は存在しません…いや、〝命有る者〟の一見無償に思える行為は常に〝見えない対価〟が張り付く物ですよ?」
声色は変わらない、顔の笑みも動きも何も変わらない……〝変わらない筈なのに変わっている〟…明らかに先程と纏う空気が違う。
「ッ……」
この絶望感は何だ?…昨日出会ったあの化物でも、始めてこの世界に降り立ち、無力なまま挑んだ〝獣災〟よりもバアトの纏うソレの方が遥かに恐ろしい…。
何か、〝大事な部分〟を掛け違えたまま進む様な心へ染み込む絶望感…。
「「「……」」」
誰も下手に喋らない…いや、喋る事が出来なかった…言葉を間違えてはならないと言う本能からの警鐘に縛られて。
「私へその〝労〟を求める……ソレは構いませんよ、ソレもまた〝選択〟の一つですので…しかし、この安易で浅慮な選択を選ぶと言うのなら…貴方達の思い描く最悪の、その更に最悪を味わう事に成る…かも知れませんね?」
ふと、その目を見た……紫に光る暗い目を…。
「――いや、ソレは要らん…」
俺は考え得る中で、最も分かりやすく、明確な意思を込めてそう〝否定〟する…。
「――ふむ、そうですか…ならば何方か一つの方法しか有りませんね」
その声色は残念そうにそう言うが、重苦しさから解放された部屋の雰囲気とバアトの纏う気配からソレが〝正解〟だと認識する…。
「さぁ、如何為さいますか?」
皆の顔を見る…その顔は強張っているが…漸く思考が纏まったのか、頷く…。
四人合わせてバアトへ告げた……その選択をバアトは――。
「――宜しい♪…では御教え致しましょう♪」
そう、笑顔で告げた……。
●○●○●○
――グウゥゥゥゥッ…――
「フフフッ♪…お腹すいたわねぇ」
「…はい、そうですね……」
夕暮れを過ぎ去り、夜の道を歩く……今日は特に忙しく、夜も入って仕事をしたので心身共に疲れ切っていた…ソレを何とか動かせているのは、僕の隣で笑うシャネルさんのお陰だろう。
「…ねぇ」
「?…はい、何でしょうか?」
僕はふと言葉を切り出すシャネルさんへそう聞き返しソチラを見る…。
「今日、私の家に泊まっていく?」
疲弊した身体と脳が、その言葉を理解するのには数秒掛かった…そして、徐々に理解してきた身体が熱く赤く変わってゆくのを感じる。
――ガシッ――
「しゃ、シャネルさん!?―冗談でもそんな事は言っちゃ駄目ですよ!?」
思わず肩を掴みそう言うと、シャネルさんは可笑しそうにクスクスと笑う…その顔が眩くて、そして己の行動にハッとして思わず顔を背ける…。
その時、風がシャネルさんを通り抜けた…シャネルさんの花の香りが僕の鼻へ突き抜け…そして。
――グウゥゥゥゥッ――
――腹が〝鳴った〟――
「……フフフッ、そうね、分かったわ…それじゃあ御飯でも食べて行って…泊まるのはまた今度にしましょう♪」
シャネルさんがそう笑って前を進む…それを見て、僕も進もうもした…その時。
――ガクッ――
急に力が入らなくなり膝を着く……そして地面には透明な〝汗〟が落ち――。
――ギュウゥゥッ――
また、腹が鳴った…。
(何だコレ……とってもお腹が空いた…)
今までこんな事は起きた事も無かったのに…腹が鳴る、鳴る、ナル…それと同時に汗も増えて来た…。
――ダラァッ――
(ッ!?――いや、コレは汗じゃ…ない?)
己の視界に映る…その絶え間無く流れてくる〝粘性〟を帯びた液体を見て、〝ソレが何なのか〟知る。
ソレは唾液だと。
「――〝ベル君〟?」
その時、前から声が聞こえた……とっても甘い声が。
「〝大丈夫〟なの?」
心配そうに此方へ近寄る、その音と匂いにドンドン鼓動と…〝飢え〟が強くなる…。
「シャネル…さん…」
「やっぱり私の家で泊まった方が良いわよ、すごく疲れてる」
やがて理解してきた……この飢餓感の正体に…。
(駄目だ…このままじゃ…)
脳にこびり付いて離れない…シャネルさんの顔、匂い、弾力…抗おうとも徐々に抑えが効かなくなってくる己の〝欲求〟に僕は理性を働かせ、立ち上がろうとするが…足は言うことを聞かず、理性は薄れてゆく…〝駄目だ〟…もう…。
――抑ラレナイ――
「――え?」
「シャネルサン……逃ゲ―」
――ゴーンッ、ゴーンッ、ゴーンッ、ゴーンッ――
夜を告げる鐘が鳴る…そして。
『「アァ…御免ナサイ」』
僕はそう〝贖罪〟と共に微睡みに落ちてしまった。
○●○●○●
――グルルルルッ――
ソレは、獣の様に空腹を吠え。
「アアアアアッ!?―クッソッ!?――〝ドウナッテヤガル〟!?」
立ち上がった〝恋する人〟のその変貌に、私は呆けて立ち尽くしてしまう。
――ボコッ、ボコボコボコッ――
ベル君の身体が盛り上がる…筋肉質でスラリとした姿に…その顔はベル君と似ても似つかず、鋭い眼が苛立ちを浮かばせてその口から怒りを吐いていた。
「ハァッ……ハァッ…チッ、腹ガ減ッテ仕方ガネェ…」
「――ベル…君?」
その変貌したベル君へ、私は声を掛けた…その瞬間。
「アァッ?――ッ!?…クソッ、本気カヨッ!?」
ベル君が私を見てそう呟くと、その瞬間。
「ッ――GAAAAaaaaaa!!!!」
そう叫び声を上げて、ベル君の腕が伸びた――。
その恐怖に、私は動けず目を閉じてしまう……その瞬間。
――ギリィィンッ――
そんな鈍い音と、誰かの苦しげな声が聞こえた……ソレに思わず目を開く…其処には。
「グゥゥッ…重ェッ!?」
見知らぬ人が私の前に立っていた。
「〝ミケ〟!――この女を連れて〝陣〟に行けッ!?」
「分かってる!」
――ガッ――
男の人が叫んだ瞬間、私のお腹に何かが触れ、次の瞬間私は空を飛んだ。
「――キャアッ!?」
「悪いけど話は後!―君の恋人さん何とかするから黙って運ばれてるにゃ!」
――ドゴォンッ――
その声を聞いた瞬間、背後で物凄い音が聞こえる。
「ッ急げミケ!?」
「ドゥワッ!?―何アレはっや!?」
ミケ…さん?…の横を男の人が後ろから並んで走る……その後ろを見ると、其処には。
――ドッドッドッドッ――
街道を踏み砕きながら此方を見る…何かが居た……。




