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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

魔法召しませ

計画は変更可能です

作者: 黒森 冬炎

 抉れた地面にひとり、穏やかな表情の青年が腰を下ろしている。大木が裂け大岩が砕けて散らばる山頂でだ。空には重たい灰色の雲が立ち込めている。魔法焼けと言われる濁った赤紫色の不気味な髪が、小雪の舞い始めた夕暮れに靡く。


 糸目を隠す赤紫色の短いまつ毛は、生え際に銀の色を残している。元は、さらりとした銀髪だったことがわかる。青年は片足をだらしなく前に投げ出している。反対の脚は膝を立て、その上に肘をついている。抜き身の剣を握ったままで、遅れてやってきたブリュネットの青年をチラリと見た。


「ようバーニー、お疲れぃ」


 声をかけて来た人の、そよぐほどもない短いブリュネットの下で、人の良さそうな薄青の瞳が煌めく。この男は、いかついが整った顔立ちで、上背のある筋肉質の魔槍(まそう)遣いだ。



 バーニーは、黙って空いた片手を上げる。魔物の血で黄緑色に染まった革手袋を嵌めている。頬にも討伐隊の制服にも、黄緑色の血はとんでいる。


「そんで、部下は?」

「みんな逃げちまったよ」

「またかよ!お前厳しすぎんだよ」


 歯の先で茶色の革手袋を外したニックは、腰に下げた食糧袋から干し肉を引き出し投げて寄越す。ニックは魔物の血をあまり浴びていない。バーニーは首を伸ばして口で受けた。両手は魔物の血で汚れているからである。


「ニック、お前さん出身はどこだ」


 あっという間に干し肉を噛んで飲み込むと、バーニーはニックに尋ねた。


「へっ?なんでぇ、藪から棒に」

「どこだよ?どっから来た?」

「え、カニイル」


 ニックは戸惑いながらも返事をする。バーニーは少し驚いて、深紫の眼を僅かに開く。


「商業都市か。わざわざ安全な町を離れて危険地帯に飛び込むなんざ、物好きもいいとこだな」

「ほっとけ」


 ニックが口を尖らせると、バーニーの眼はまた糸に戻る。


「まあでも、それじゃあ分かんねぇよな」

「何をだ」


 ニックは馬鹿にされたと感じて声を荒げる。



「俺はキーブツだ」

「キーブツ?聞かねぇ場所だな」


 口を曲げるニックに、バーニーは自虐的な笑みを浮かべて言った。


「そりゃそうだろうよ。20年前、魔物に喰い散らかされて無くなったちっちぇえ村だよ」

「ありゃあ」

「甘やかして死なれるよりゃ、逃げ出して生き延びてくれるほうがマシだぜ」

「そういうことだったのかよ」

「まあな」


 バーニーの表情は凪いでいる。それがニックには恐ろしかった。



「どうしたんだよ、急に腹ん中みせて来やがって」


 バーニーはどちらかと言うと厳格な性質だ。静かに身の上話をするような人情派とは思えない。


「お前こそ、部下はどこいった?」


 バーニーは深紫色の瞳を(かげ)らせる。既に予想はついているのだ。ニックは気さくで面倒見が良い。部下はニックを慕って無理をしてでもついてくる。


「はは、ばらけちまった」


 山腹で遭遇した魔物の群れに、ニックの隊はバラバラに分断されてしまったようである。生存者がいるかどうかは分からない。魔物は全身が毒針で覆われていて、擦れば即死だった。ニック隊は半数ほどの命が奪われ、残りはとにかく逃げるので精一杯だった。


「魔槍で吹っ飛ばすのにも限度があるぜ」


 ニックの魔槍部隊は、槍に魔法を纏わせて薙ぎ払うのが主な戦法である。繰り出す突きも、槍の穂先から遠くへ魔法が飛ぶので、実質飛び道具と変わりない。普段は安全域から強力な広域攻撃が出来るエリート部隊なのである。



「多すぎたよな」

「バーニーでもそう思うか?」

「ああ。波状攻撃だったしな」

「後から後から出てきやがったよな」


 バーニーは果敢に魔物の群れへと接近した。バーニーたちの部隊が操る魔剣は、直接斬りつけて獲物の体内に魔法を送り込む。現れた魔物の毒は針にだけあり、牙や血は無毒だ。返り血で死ぬことはない。とはいえ、針から滲み出すのは致死毒なのだ。今回ばかりは部下を叱咤激励することもなく、敗走を許した。


 かすり傷でも猛毒を喰らい、全身をオレンジに腫れ上がらせて死んでゆく仲間を見れば、部下が逃げ出すのも当然だった。魔剣部隊長のバーニーは突撃命令を出さずに、毒針の中へと単身飛び込んでいった。その隙に、部下の多くは山の麓へと転げるように逃げて行ったのである。


 普段の討伐任務や訓練だと、逃げる部下たちにバーニーは無慈悲な号令を下す。部下たちは辟易してそのまま逃亡してしまう。その後、討伐隊そのものを無断で離脱し行方知らずとなるのが定番コースだった。だがそれにも理由があったのだ。


 厳しさに耐えられない隊員は生き残る力がないから、わざと敗走させるのである。魔物討伐隊に逃亡罪はない。ただし、逃げ出した者の復帰は認められなかった。




「良かった!治ったんですね」


 場違いなほど明るい声に振り向けば、あり得ないほど傷のない姿で、若い娘さんが立っていた。ごわごわした灰茶色の巻き毛を無造作に束ねて、動きやすそうな服を着ている。一見男性にも見えるが、すっきり通った鼻筋の脇で煌めく羊歯色の瞳は愛らしく女性的だ。


「じゃ、この辺もやっちゃいますねー」


 ニックは口をポカンとあけて娘さんを凝視する。バーニーは投げ出していた脚を引っ込めて立ち上がる。


「ああ。さっきはありがとう」

「いえいえ!仕事ですから!」


 娘さんはハキハキと答えると、目を閉じて深呼吸をひとつした。それからおもむろに眼を開き、よく響く高い声で叫んだ。


「再生計画!山頂は昨日の状態まで回復させる!期限は1か月以内!」


 見た目には何も起こらない。ニックは狐につままれたように眼をパチクリした。



 娘さんは2人に向き直ると、ニカッと笑う。健康な赤い唇の間からは、真っ白で尖った歯が覗く。それを見たバーニーの口元がふわりと緩んだ。


「んっ?」


 ニックは思わず首を前に出してバーニーを見る。


「なに?だれ?」

「毒喰らっちまったところを助けて貰ったんだ」

「救護班?」

「いんや。聞いて驚け?」

「何だよ」

「この人の再生計画って能力はな、どんなにダメになったもんでも指定した時の状態まで戻せんのさ」

「えっ!すげー」

「死んじまったらダメなんだがな」


 バーニーは声を落とす。ニックは寂しく笑うと肩をすくめた。オレンジ色に腫れ上がって死んでいった部下たちは、残念ながら還らないのだ。



 娘さんは、励ますようにニカッと笑う。


「何かダメになりそうだったら、承りますよー!」

「何でも?」

「何でも!途中で計画変更も中止もできます。追加料金いただきますけどねー」

「えっ、討伐部隊の人じゃねぇの?」


 悪びれずに商売を始めようとする娘さんに、ニックはまたもや驚いた。


「買い被り誠にありがとうございますっ!」


 討伐隊員はエリートである。間違われるのは栄誉なことだ。野蛮と言っても良いような笑顔の真ん中で、尖った歯が丸見えになって光っている。人間ではないようだ。



「あ、この歯ですか?気になりますよねぇー!」


 ニックは焦って首を横に振る。娘さんは、ニヤニヤとニックの薄青い眼を覗き込みながら出自を語る。


「ふふん、偉大なるポートゥスと古代魔法民族の混血を祖先に持つ、我らスキリトゥスは、このギザギザの歯に宿る魔力で、奇跡の技を行うのですよ!」

「はっ?」


 ニックは思わず大声を出す。


「え、そんな、一族の秘密みてぇなこと、ホイホイ喋っちまっていいのかよ」

「なーに、なんともありゃあしませんよ!」


 娘さんは得意げに顎を反らす。


「この歯の魔力は、我ら生きてるスキルトゥスの口ん中に生えて無きゃ消えちゃいますし、折ってもすぐに生えてきますからね!」


 抜かれた歯で、誰もが奇跡の技が使えるようになるわけではないようだ。そして、歯を抜かれたり折られたりしてもすぐに生えるので、一族の技は使える。



「歯が弱点てわけじゃねぇんだな」


 バーニーか感心して、娘さんの口の中を覗き込む。ニックが素早くその首根っこを掴んで後ろに引いた。


「ばか、バーニー、おまえっ!若い娘さんになんてことしやがんだ」

「えー?立派な歯じゃねぇ?」


 バーニーは不服そうに言った。


「アハハハ!ありがとうございます!」

「すげぇ、ほんと」


 バーニーが糸目を開いてしげしげと尖った歯を見れば、深紫の瞳が少しだけ垣間見える。これでもかなり目を見開いているほうなのだ。あまりに細いので、赤紫に魔法焼けした不気味な髪と相まって、魔物と間違われるときもある。


 だが、娘さんはちっとも恐れず気さくに笑っている。



「そんで、偉大なるポートゥスってなんだ?」

「ありゃ、ご存知ない?」

「知らねぇ。ニック、知ってるか?」

「うんにゃ。俺も聞いたことねぇな」

「よろしい!お話致しましょう」


 娘さんはひとつ大きく頷くと、胸を張って謡うように語る。


「ここよりはるか西の果て、空と海との出会う所に、かつて奇跡の美酒を造る一族が住んでいました。彼等はその酒をポートゥスと呼びました」

「酒の名前か」


 ニックが俄然興味を示す。娘さんは、もうひとつ頷いて続ける。


「ある日流れ着いた漂流者により、美酒は万能の霊薬として世界に知らされたのでした。それから西の果てに住む民も、ポートゥスと呼ばれるようになったのです」

「なるほどなぁ」


 バーニーは熱心に聞いている。ニックは酒の話題に目を輝かせている。



「時は流れて、ポートゥスの血は薄まり、奇跡の美酒ポートゥスを造る者も居なくなりました。今となっては、ポートゥスと呼ばれた酒が本当に万能の霊薬だったかどうかは、もう知りようもないのです」

「はーぁ、勿体ねぇ」


 娘さんが語り終わった途端に、ニックが叫ぶ。バーニーは赤紫の眉を寄せ、疑問を口にする。


「ご先祖が古代魔法民族と混血したと言ってたが」

「そうですけど」

「酒の技術は受け継がれなかったのか?」

「酒の技術と古代魔法が混ざって、現在の我々スキリトゥス一族があるのです」

「酒の技術も残ってるってことか!」


 ニックがぐっと拳を握る。


「え、ええ?いや、そっちは、当時西の果てに残ってたグループが継いで、歴史の中で消えたんです」

「何だよー」


 ニックがガックリと肩を落とす。



「さて、他に何かご用はございますか?」


 娘さんは、語り終えて立ち去ろうとする。ニックは、奇跡の美酒が呑めないのなら用はない。だがバーニーは、何やらモジモジし始めた。ニックが頂上に到着した時に見た、達観したような様子は消えている。


(いやまてよ)


 ニックはバーニーの様子を観察しながら思い直した。


(さっきあんな雰囲気してたのは、この子のことを考えてただけなんじゃね?)


 バーニーが悄然と座っていたのは、解毒してくれた娘さんに心を奪われてしまったからだと思い至った。恋をしている人がボーっと愛しい人のことを考えている様子に似ていたのである。



「バーニー、早くなんか言わねぇと、行っちまうぜ」


 ニックは親分肌を発揮して、揶揄うことなくバーニーをけしかける。バーニーは黙って頷くと、ぎゅっと拳を握った。


「娘さん、手袋や服を綺麗な状態に戻せるか?」

「えっ」


 ニックが虚をつかれた顔をした。バーニーが名前でも聞くかと予想していたのだ。黄緑色が毒々しい魔物の血は色こそ落ちにくいが、無毒である。腐食の心配もない。奇跡の技をクリーニング屋のような用件で使うとは、思いもよらなかった。


「勿論ですよー」


 娘さんは明るく請け合う。全く気にしていない。奢らない娘さんを、いいな、とバーニーは思った。ニックは、本当は嫌がられているのではないか、とハラハラした。



「衣服の再生計画は、なんでも一枚につき白パン一個分ですっ!」


 料金設定もある普通の依頼だったようだ。ニックはほっとする。バーニーは嫌われずにすんだらしい。


「手袋は片方ずつか?」

「いえ、一足でいいですよ」

「そしたら、上着と、手袋と、魔防マントと、ズボンにブーツ、白パン5個分か」

「はーい」

「解毒と同じ、スパロウクリークの相場でいいか?」

「はい、そこなら昨日までいたので大丈夫です」

「値段を把握してるってことか?」


 ニックが口を挟む。


「ええ。その通りです」


 娘さんはハキハキと答えた。バーニーは両手を広げて棒立ちになる。奇跡の技をかけてもらう準備だろう。


「お?後払いなのか?」


 ニックは再び疑問を述べた。娘さんは頷く。


「はい。万が一失敗した場合、最悪呪われちゃいますんで」

「は?失敗?え?大丈夫なのかよ?」


 娘さんはあっけらかんとしている。バーニーも動じない。ニックは呆れて2人を見ている。



「じゃ、パッと終わらせちゃいましょうか」

「頼む」

「期限は?」

「明日の朝でいい。破れてはいねぇしな」

「はーい、それなら、お急ぎ追加料金なしで大丈夫でーす。まいどー」


 娘さんはギザギザの歯を剥き出した。バーニーは口元を緩めてフッと笑った。ニックはもどかしそうにバーニーを見る。



「再生計画!人界防衛戦線、魔物討伐機構、魔法武器連隊、魔剣部隊長、バーソロミュー、の上着と、手袋と、魔防マントと、ズボンにブーツ、汚れる前の状態まで回復させる!期限は明日の朝」


 娘さんの声が爽やかに宣言する。どうやら無事に成功したようだ。早速シミが薄くなり始めている。完了の期日が明日の朝だから、目に見えて回復してゆくのだ。山頂の再生は回復完了が一か月後なので、ゆっくりと進行する。一見、まだ何も変化は見られない。


「ありがとう」


 バーニーは財布にしている革の巾着を取り出した。魔物の討伐は激しく動き回るため、きつく口が縛られていた。剣だこのある無骨な指が器用に紐を解く。


「さっきの山頂を再生させる分は、討伐隊からの依頼なのか?」


 バーニーは支払いながら聞いた。


「そうです。実働部隊の後についてって、再生計画を実行しておくようにって」

「じゃあ、報酬を受け取りにスパロウクリークまで戻るのか?」


 再生計画は後払いである。娘さんは肯首した。



「戻りますよ」

「一緒に下りるか」

「バーソロミュー隊長もお仕事終わりですか?」

「終わった」


 バーニーが言うと、ニックは暗い顔で言った。


「あとは、スパロウクリークの駐屯所に部下どもが戻ってるか、確認しねぇとな」

「確認したら報告も要るな」

「隊長さんは大変ですねぇ」

「仕事だからな」

「おふたり、もう討伐隊は長いんですか?」

「かれこれ15年になるか」


 バーニーが記憶を探る。


「こっちのニックとは同期でな。雑用係からの叩き上げだ」

10歳(とお)くらいだったな」

「そんなだ」

「討伐隊じゃあずいぶん経つけど、死んでく仲間にゃ、ちっとも慣れねぇ」


 ニックが溜息をつく。つい先程も何人もの部下を魔物の毒で失った。バーニーも苦い顔をした。


「魔法武器連隊長殿は、慣れちまうって仰ってたがな」

「慣れねぇよなあ」

「慣れねぇ」


 娘さんは2人の話を聞いて気の毒そうに口をつぐんだ。



「雑用係ってな、討伐隊にくっついて荷物運んだり死体埋めたりすんだよ」


 ニックが気を取り直して話を続ける。バーニーも説明を追加する。


「そんなこと手伝うの、俺みてぇな路頭に迷った孤児が多いんだがなぁ。ニックは何で」

「笑っていいぜ」


 ニックが自虐的に鼻に皺をよせた。


「何を?」


 バーニーは分かっていない。


「カニイルに吟遊詩人が来たんだよ」

「英雄譚か」

「そ。かっこいいなぁって思ってさ」

「親は止めなかったのかよ?いんだろ、ニックは、親」


 バーニーは首を傾げる。


「いるよ。いるけどさ。家はカニイルの豪商で、子供は山ほどいたんだよ」

「きな臭ぇ話か?」

「まぁな。どこも似たようなもんだろ。大貴族とか、豪商とかさ」

「金目当てで誘拐されたのか?」


 ニックは首を横に振る。


「そっちじゃねぇ」

「じゃ、跡目争いか」

「そ。あっちこっちに子供がいてよ。優秀なのが本家に集められて鍛えられてさ」

「ニックは落ちこぼれだったか」

「ま、そういうこったな」



「ニックさん商才はなくても、魔槍の才能はあったんですね」


 娘さんはニックの背にある魔槍に目をやった。ニックは名乗っていないので、娘さんはバーニーが呼ぶ渾名しか知らない。バーニーは羨ましそうに眉根を寄せた。ニックは困ったという顔をするが、気さくな調子で返答した。


「そうさ。適材適所ってやつだな」

「実家の護衛でもしてりゃいいのに」

「そんときゃまだ、魔法の才能は開花してなかったし」

「魔法なくてもニックの槍術(そうじゅつ)はたいしたもんだろ」

「何言ってんだよ、隊に入ったの10歳(とお)だぜ」

「槍持ったことなかったか」

「ああ。隊に来てから槍は教わったんだよ」



 3人は話しながら下山を始める。


「そんな子供の時じゃ、商売だってまだわかんないじゃないですか」

「親戚にゃ、突出した奴が何人もいたんだよ」

「うーん、それじゃ諦めたくもなりますねぇ」

「違ぇよ。本家組は、使えそうな奴だけ生かして、あとは殺しにくんのよ。ゆくゆく身内に足引っ張られねぇように、ダメそうなガキは刈っとくのさ」

「ひっ」


 娘さんが怖がると、バーニーが思わず手を伸ばし、あっという顔ですぐに引っ込めた。気配に娘さんがバーニーを見ると、気まずそうに糸のような眼を逸らした。



「ん?バーソロミュー隊長、どうしました?」

「いや、その、怖がらせて(わり)ぃ」

「あはは、こっちこそすみません。魔物は平気なんですけどねぇ。人間のそういうのは、慣れてなくて」

「俺も人間のは、ねぇな」

「無ぇほうがいいぜ」


 ニックはしみじみと言った。隊によっては、魔物討伐の緊張感に耐えきれず、人間同士が刃傷沙汰(にんじょうざた)を起こす。だが、故郷が全滅したバーニーと親戚に命を狙われているニックの隊は、隊長たるふたりの配慮で平和だ。バーニー隊は討伐の度に、隊員がひとりもいなくなってしまうが。それでも内部の殺し合いは無かった。


「時々、俺が死んでるか確かめに来るんだぜ」

「親戚訪ねてくんの、それか」

「そ。俺が商才もないまんま前線にいりゃあ、ほっときゃ死ぬって安心すんだぜ」

「酷ぇな」

「やりきれないですねぇ」



 娘さんが同情の色を見せる。バーニーはまた、口元を緩めた。見下ろすバーニーの細い目が、くりくりと愛らしい娘さんの瞳に出会う。娘さんは、細く開いた瞼の隙間から覗く深紫の瞳に見惚れた。


「バーソロミュー隊長、綺麗な眼をしてますねぇ」

「娘さんの眼も生き生きとして素敵だ」


 ニックは心の中でヨシ!と叫ぶ。バーニーは反射的に誉めてしまって慌てている。その様子を、娘さんは可愛いと思った。


「ははっ、ありがとうございます。嬉しいです」

「あ、ああ」


 ふたりは照れ笑いを交わした。


(名前!名前聞けよっ、バーニー)


 ニックはもどかしそうに眼を吊り上げた。



「バーソロミュー隊長も、剣は討伐隊に入ってから?」

「いや、俺は故郷が魔物に襲われた時からだから、5歳ぐれぇからだな」

「その時から魔法も?」


 娘さんは感心して眼を輝かせた。


「ああ、生きるか死ぬかの瀬戸際だったからな。正確にゃ、剣じゃなくてでっかいナイフだったけどよ」

「5歳じゃ剣みてぇなもんだな」

「まあ、そんなとこだ」

「5歳で魔物に立ち向かうなんて、勇気ありますね」

「いや、がむしゃらに落ちてたナイフを振り回しただけだ」

「それで魔剣が発動したんなら、そりゃ凄い才能ですよ」


 娘さんに褒められて、バーニーは少し顔を赤らめた。豪気な魔剣遣いがはにかむ姿に、娘さんはときめいた。


「娘さんはなんでまた、旅してるんだ?そんだけの腕がありゃ安全地帯で楽して稼げるだろうに」


 バーニーは恥ずかしさを誤魔化すように話題を変えた。


「パティです、パトリシア・ニブライエン=スキリトゥス、スキリトゥス一族ブライアンの娘パトリシアって意味です」


 パティは自分だけ名乗らないのが居心地悪くなって、正式に名乗った。



「へえっ、立派な名前ぇだなぁ。お貴族様なんですかい?」


 バーニーは急に言葉を改める。パティは急いで否定した。


「違います!偉大なるポートゥスの習慣が残ってて、お父さんの名前と一族の名前をくっつけて名乗るんですよ。貴族とかじゃないです」

「ふうん。そしたら俺なら、バーソロミュー・ニフィリポ、あと村の名前つけて、キーブツか?」

「いえ、バーソロミュー隊長は男性なのでオフィリポス=キーブツですね」

「へー、違うのか。しかも名前ちょっと変わんだな。難しいな」

「面白いでしょ」

「面白い。それと、バーニーだ」

「はい、バーニーさん」


 パティはニカッと牙を見せる。バーニーは目尻を下げて無意味に頷いた。ふたりはモジモジと目線を交わす。


(おおっ、いいね、いいね)


 ニックは心の中で応援する。



「あ」


 ニックが短く声を上げて立ち止まる。山の中腹に、木々が裂け折り重なって倒れている場所があった。地面にも草木にも、黄緑色のシミが散っている。1箇所、真新しく掘り返されたような場所もあった。不自然に平らなそこには、一面に緑の小さな芽が吹いていた。


 そして真ん中に一輪、真っ白な花が静かに頭を垂れていた。


「これも基本料金のうちです」


 パティも一旦足を止め、花に倣って頭を垂れた。討伐の後で、ニックが死者を埋葬した場所なのだ。ニックひとりでは埋めるだけで精一杯で、墓標も立てていなかった場所だ。そこに、弔いの花が咲いていた。


 一面に顔を出している新芽は、特急の追加料金が必要な筈だ。たとえ一輪でも花まで咲いている。頂上で行った再生の期限を考えると、かなりの額を追加で請求されるような仕事だと予想される。それをパティは、基本料金のうちだと言う。


(バーニー、良い子見つけたな)


 ニックは軽く頭を下げて、パティに感謝を伝えた。バーニーは無言でニックの隣に立った。


 それからニックは地面に膝をついて、そっと掌で土に触れた。討伐隊の野辺送りである。バーニーも隣に膝をつき、土に触れる。パティは真似して良いものか迷っていた。ふたりの青年はじっと白い花を見つめている。声をかけるのも憚られる雰囲気だ。



 その後、3人は口数少なくスパロウクリークに下りてきた。


「ニック隊長!お疲れ様」

「聞いたよ、ニック隊も敗走したって?」

「ニックさん、無事でよかった」

「ニック隊長さん、魔物は町まで来ないよな?」

「そっちの娘さんは誰だい?」


 魔物討伐隊の駐屯所に着くまで、町の人々はしきりとニックに話しかけてきた。最初はニックが人気者なのだとしか思わなかったパティだが、次第に口がへの字に曲がる。気にしない様子のバーニーを盗み見ては、悔しそうに眼を伏せた。


 人々は、赤紫色に魔法焼けした髪を憎らしそうに睨んでゆくのだ。子供は石さえぶつけてきた。尖った石を投げては、笑いながら走り去る。大人はちっとも嗜めない。


「バーニーさん」


 耐えられずにパティが口を開く。バーニーは糸目を開く事なく、首を横に振る。



「なあ、パティ、今日はスパロウクリークに泊まってくのか?」


 ニックが不穏な気配を追い払おうとする。


「報酬貰ったら発つ予定です」


 パティがはっきり言うので、バーニーの挙動がおかしくなった。何か言おうとして口を開いたり閉じたりしている。


「まずは隣り町に行って、次の仕事を探しますよ」


 行き先を聞きたいのかと誤解したパティが、軽い調子で告げた。


「前線の仕事は危険に対して報酬が、ちょっと」


 討伐隊長ふたりを前に、正直な気持ちを話す。バーニーはまだ言葉を探してモタモタしている。ニックは眉を寄せて見守っている。


「バーニーさん、その、もし良かったら」

「んっ、何だ?」

「あの、その髪」

「へ?髪ぃ?」


 バーニーは予想だにしなかった単語に声を裏返す。ニックもびっくりして眼を見開いた。


「色、戻しますよ?サービスで」

「えっ、色?サービス?」


 バーニーは戸惑いを隠せない。


「あのな、パティ」


 ニックが助け船をだした。


「町の連中は解っちゃいねぇが、魔法焼けは英雄の証なんだぜ!」


 幼年ニックが憧れた、英雄譚の勇気ある魔法使いの髪は赤紫色だった。


「その膨大な魔法が、自らの髪を赤紫色に染め替えるんだ」


 ニックは自分のことのように自慢する。


「いや、ニック。別にそんなのどうでもいいんだが」

「なんだよ、バーニー。かっこいいぜ!」


 バーニーは閉口する。


「そうじゃねぇ、俺の髪、魔法焼け直す薬飲んでも、銀に戻るの一瞬なんだよ」

「薬は元々、そんなに効かねぇんだろ」

「そんでも普通は2か月くれぇはもつんだよ」

「へっ?」

「5歳からこの髪だしよ、どうしようもねぇ」



 パティはキッとバーニーを見据えた。


「な、なんだ」


 バーニーがたじろぐ。


「そしたら、ずっと回復し続けます!」

「はぁ?何を言い出すんだ?パティ?」


 バーニーが困惑した。


「だって、酷いじゃありませんか!」

「いや、待て、パティ?」


 いきりたつパティを、ニックが宥める。


「何言ってんのか、解ってる?」

「なんです?ニックさん!バーニーさんがこんな仕打ちを受け続けるなんて、理不尽だとは思わないんですかッ!」


 パティは、踵を浮かせて詰め寄った。ニックは数歩下がりながら、パティを思いとどまらせようとする。


「ずっと回復し続けるって、ずっとバーニーの側にいるってことだぞ?」

「えっ、あ、へ?」


 パティが踵を下ろした。


「いくらなんでも、まだ早すぎんだろ、そういうの」

「ちょっとニックさん!そういう意味じゃありません!」


 今度は別の怒りに駆られて、パティが叫ぶ。バーニーは頬を染めて目尻を下げた。


「パティ、可愛いなぁ。ありがとうな!」

「え、そんな、可愛い?ありがとうございます」

「ございますやめようぜ?」


 勢い付いたバーニーは、にこにこと迫る。


「ございます?やめる?」


 パティは混乱している。


「だからさ!今日ここを発つのも、堅苦しい言い方も、やめちまえって言ってんだよ」


 一息に言って、バーニーは急にまた照れる。


「や、その、よければ?」

「え、あ、あれ?」


 周りには人垣が出来ていた。パティは逃げ出し、バーニーは追いかける。


「頑張れよー」


 ニックは友の背中に声援を送る。ニックの隣に可愛らしい金髪の女性が寄ってきた。ブリュネットの子供をふたり連れている。ニックは女性の肩を抱き寄せ、子供たちの頭を撫でる。


「バーニー、いい人みつけた?」

「ああ、でも初恋だからな。どうなるかな」

「いいじゃないの。遅い初恋が実ったって」

「ダメなんて言ってないだろ?」

「ケンカダメー」


 上の子が言った。ニックと妻が笑い出す。


「ケンカしてねぇよ」

「怒ってるでしょ!ダメ!」


 子供はなおも意見して、一家は揉めながら討伐隊の駐屯所へと向かう。家族宿舎に住んでいるのだ。


「報告してくから、先帰ってな」

「ええ」

「とうちゃん、寄り道すんなよ」

「早く帰ってね」

「お前ら、かあちゃん困らせんなよ?」


 野次馬を残して、ニックと家族は門を抜けて敷地内に去った。



 往来で厳格な青年バーニーが若い娘さんに軽薄な事を叫んでいる。噂は矢のように走り、魔法武器連隊の生き残りが町中から駆けつけていた。子供は冷やかしながら、やっぱり石を投げてくる。睨んでいた人々は厳しい目付きで監視を続ける。


 だが、仲間たちは、バーニーの突出した実力を知っている。厳格過ぎると嫌うものは多い。しかし、慕われてもいる。直接の部下ではないが、逃げ出す部下のほうが根性なしだと思って、尊敬している隊員もいるのだ。


 バーニーの生死に関する想いは、仲の良いニックですら、今日初めて知った。だから、皆は今のところ、バーニーが厳しいから部下が逃げると信じたままである。



 パティは、魔物討伐の最前線に仕事で来るようなアグレッシブな娘さんだ。明るく勇敢なパティに惹かれて、バーニーは友人に心を開くことを知った。恋は人を変えるものである。だが、初恋の人は、出会ったその日に旅立ってしまうという。


 成り行きとはいえ、バーニーは照れて逃げるパティを追いかける。無計画に走るパティはなかなかに健脚だ。走りながら、2人は言葉を交わした。


「待てよ!」

「バーニーさん、わたし、人間じゃないよ?」

「そんなん、解ってる」

「薄まってはいても、偉大なるポートゥスの血族なんだよ?」

「偉大なるポートゥスだろうが、古代魔法民族だろうが、構わねぇ」

「でもー!」


 バーニーは別段、愛の告白をしたわけではない。可愛いとは言った。パティもとりわけ、求婚したというのではない。ずっと回復し続けるとは言った。2人とも、何故か気持ちを打ち明けあった気になっているが、実際には違う。



「待てって!待つくらいいいだろ!」


 魔物のよく出る山の麓で、バーニーはようやくパティを捕まえた。軽く手を掴んだつもりだった。


「ひょえっ?」


 走ってきた勢いで、パティはガクンと後ろに倒れる。引き寄せる力が働いて、そのまま回転しながら、バーニーの胸の中に飛び込んでしまった。勢い余って、バーニーはパティを抱き込んだ。


「あっ、ごめん」


 ごめんといいながらも離さない。2人の鼓動は大きく耳に響く。辺りの音は掻き消えて、2人は首まで赤くなる。



「あ、あのさ」


 バーニーが遠慮がちに口を開いた。


「え、はい」


 パティはとりあえず答える。


「あの。どうしても、今日、発つ?」


 懇願の色を滲ませて、バーニーの深紫色の瞳が細目の中で揺らめいている。パティは今まで知らなかった不思議な安心感と奇妙な熱に浮かされて、思い切り大きな声で言い切った。


「け、計画は、変更可能です!」


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― 新着の感想 ―
[一言] 重くて軽いですよね! こういうの書けるの本当に素敵。
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