死刑社会見学
「では、これより刑場に入ります」
刑務官に案内され、制服姿の生徒たちがゾロゾロと処刑場に入っていく。
そこは白いコンクリートの壁で囲まれた、清潔そうな十畳ほどの空間だった。一方の壁だけがガラス張りになっている。
(ダンスの練習場にちょうど良さそうだな……)
部屋を見回しながら場違いに南裕紀は思った。
まぶしいほど明るい蛍光灯が照らす部屋は、壁や床に血の染みひとつない。あえて言えば奇妙に生の匂いがしなかった。
壁際にパイプ椅子が部屋を取り囲むように二列に並べられ、生徒たちは順に腰を落としていく。裕紀は角にある後列の椅子に座った。
「これからみなさんには死刑を見学していただきます」
制服姿の刑務官が生徒たちの顔を見渡す。やや垂れ目がちで、優しそうな容貌の五十年配の男だ。
「高校生のみなさんはもうすぐ選挙権を持つ成人になります。この社会見学を通して、死刑制度の意義をしっかりと理解してください」
椅子に座った生徒たちはメモとペンを手に、刑務官の話に真剣に耳を傾けている。
「では、死刑の流れを簡単に説明します。部屋は上階と下階に分かれていて、ここは下階です。上階の様子はあのモニターに映し出されます」
部屋の天井の隅に大型のディスプレイが設置され、上階の様子が映っていた。藤色のアコーディオンカーテンに閉ざされた部屋には、同じように生徒たちが座っていた。
(下の階でラッキーだったな……)
上階は絞首刑になる直前の死刑囚の様子が見られるが、やはり裕紀は死ぬ瞬間の人間に興味があった。
「執行されると上の落とし戸が開き、死刑囚が落ちてきます」
刑務官が天井を指さし、裕紀は顔を上向かせた。天井の高さは4メートルぐらいで、真ん中に百センチ四方の四角い枠があった。
「落とし戸は油圧式で、開閉させるボタンは三つあります。三人の刑務官が同時に押します。誰が押したかはわかりません。刑務官の精神的な負担を軽減するためです」
落とし戸の真下の床には格子の排水溝があった。
(絞首刑にされた囚人は、大便も小便も垂れ流しだって聞いたけど……)
落下の衝撃で目玉が飛び出るとも聞いていた。すべてネットの噂だ。
中年の刑務官がそばに控える二人の若い刑務官を紹介する。
「刑務官の田中くんと井上くんです。落ちてきた死刑囚の足を押さえて、ご遺体を棺に移す仕事をしてくれます」
さらにもう一人の白衣の男性を紹介する。
「医務官の橋本先生です。死亡確認をしてくださいます」
さらにガラスの向こうに目を向ける。バルコニーのような場所に背広姿の男性が四人立っていた。
「あちらにいらっしゃるのは立会人のみなさんです」
拘置所長や検察官など、ようは〝お偉いさん〟たちだ。あの場所からは上階と下階がどちらも見渡せるという。
「質問はありますか?」
はい、と優等生の星野明奈が手を上げる。
「縄は使い捨てですか?」
「洗って使い回しをしています。特注などではありません。ホームセンターなどで売られているごく普通の縄です。古くなったら職員がホームセンターに買いに行くんですよ」
冗談のつもりで言ったらしいが誰も笑わず、照れ隠しのように刑務官が咳払いをした。
別の男子生徒が、はい、と手をあげた。
「死刑囚は苦しむのでしょうか?」
「苦しみません。落下した瞬間に脳虚血に陥り、即座に意識を失います。そうなるように縄の長さと落下距離は緻密に計算されています。今回の死刑囚は体重64キロなので2メートルの落下で失神します」
積極的に質疑応答をする生徒たちを、部屋の隅から青年教師が頼もしそうに見守っている。担任の須藤は三十代半ばと若いこともあり、生徒たちから慕われている。
裕紀は学生服のズボンのポケットに手を入れ、スマホを握りしめた。
(本物の死刑を見れるチャンスなんて二度とない……絶対に動画を撮ってやる……)
拘置所に入るとき、スマホを回収されたが、渡したのはダミーの古いスマホだった。今、裕紀のズボンのポケットには別のスマホが入っている。
「では質疑応答はこのぐらいにしましょう。そろそろ執行が始まります」
全員がモニターを注視する。藤色のカーテンが開き、二人の刑務官が付き従われてグレーのスウェットの上下を着た男が姿を現した。
年齢は二十代の半ばぐらいだろうか。どんな罪をおかした囚人かは処刑場に案内される直前に教えられた。
(三原和志、27歳……世田谷区内の一軒家に押し入り、両親と高校生の娘の三人をナイフで惨殺……)
その残虐性で日本中を震撼させた。まさか社会見学する死刑が、あの有名な世田谷一家殺害事件の犯人とは思わなかった。
(こんな大物の死刑に〝当たる〟なんて、僕はついてるな……)
刑務官が両膝を縄で縛った。もう一人の刑務官が頭に頭巾を被せようとすると、男が突然、暴れ出した。
「やめろ! 俺はえん罪だ。俺は誰も殺してない!」
モニター越しに男の叫び声が聞こえ、生徒の間に動揺が広がる。裕紀も眉根を寄せた。えん罪……と言ったのか?
「みなさん、落ち着いてください」
垂れ目の刑務官が静かな口調で言った。
「死刑囚はみんなえん罪だと言うんです。安心してください。厳正な裁判を経て、彼の有罪は確定しています」
だが男は叫ぶのを止めない。
「俺は無実だ! 真犯人は別にいるんだ!」
これ以上、不規則発言をされては困ると思ったのか、刑務官が無理やり頭巾を被せ、首に縄の輪を掛け、さっと離れた。
即座にダーンとバネの跳ね上がるような音がして、天井から黒いものが落下してきた。大きくバウンドした後、ブランブランと激しく身体が左右に揺れた。
下にいた刑務官が必死で足を押さえるが、死刑囚の体がブルブル痙攣するのが、裕紀の目にもはっきりとわかった。
「このまま二十分ほど待機します」
刑務官の声がしたが、裕紀は耳に入らなかった。生徒たちが息を呑んだように吊り下げられた肉体を見つめる。長いようで短い、恐ろしく冷たい時間が過ぎた。
「もういいでしょう」
上司に言われ、若い二人の刑務官が死体を下ろし、死体をコンクリートの床に横たわらせ、首から縄をほどいた。
「みなさん、どうぞ前の方へ。見えるところまで来てください」
生徒たちがパイプ椅子から立ち上がり、死体の周りに集まる。
刑務官が頭巾をとった。死に顔は普通に眠っているようだった。目玉が飛び出したり、大小便を垂れ流したりもしていない。首に青紫色のさく状痕が残っているぐらいだ。ただ――
(首が伸びてる?……)
落下の衝撃だろう。気味が悪いほどニュッと首が伸びていた。無理もない。2メートル以上の高さから落とされ、全体重が首にかかったのだ。
ガラス戸の向こうにいた立会人たちがぞろぞろと処刑場に入ってきた。
若い刑務官が上下のスウェットを脱がせ、全裸にして検死を始める。横にして、うつ伏せにひっくり返す。最後に再び仰向けに戻す。
白衣の医務官が胸に聴診器をあてた。
「10時34分、死亡を確認しました」
別の刑務官が台車で棺桶を運び入れ、遺体を移した。部屋の脇にある専用のエレベーターに棺を入れ、ボタンを押した。扉が閉まり、上階に運ばれていく。
「これで執行は終了です。お疲れさまでした」
中年の刑務官が告げ、生徒たちは処刑場の外に出た。みな無言だった。
その後、守秘義務などの注意事項を聞かされ、記念グッズのキーホールダーをもらった。拘置所の外に出るときに預けていたスマホも返却された。
観光バスで拘置所の門を出るとき、外に市民団体が集まっているのが見えた「野蛮な死刑に反対します」「死刑をなくそう!」「ストップ死刑」などと書かれた横断幕を掲げている。
中年の女性が拡声器でシュプレヒコールをしていた。
「死刑制度は日本の恥だ!」
「看守は人殺しだ!」
「おまえたちのやったことは殺人だ!」
市民団体の中に制服姿の高校生ぐらいの少女が混ざっていた。「三原和志はえん罪です」と書かれた紙を胸の前に掲げている。
(あの死刑囚の家族か?……)
執行は後日、発表される。彼女はまだ三原和志に刑が執行されたことを知らないのだろう。
バスの窓越しに少女と目が合い、裕紀は気まずそうに視線を逸らした。
◇
だが、翌日になっても三原和志の死刑は発表されなかった。一週間たっても新聞に記事が出ず、生徒たちもこれはおかしい、と噂していたときだった。
朝のホームルーム、担任の須藤が妙に深刻な顔つきで教室に入ってきた。
「みんな、冷静に聞いてほしい。実は君たちが見学をした死刑囚の事件なんだが……真犯人が見つかったらしい」
理解するまで五秒ほどの時間がかかった。
(馬鹿な……じゃあ、あの人は本当にえん罪だった?……)
しかめ面で須藤は教壇から告げた。
「法務省から今回の件についてはいっさい外部に洩らさないように通達があった。いろいろと調べ回っているマスコミもいるようだが、絶対に何も答えないように。いいな?」
ザワめく生徒を「静かに!」と一喝する。
「今回の社会見学はレポート提出は不要だ。すでに提出されたレポートはこちらでシュレッダーにかけておく」
須藤はそう言うと教室を出て行った。
◇
翌日、ようやく三原和志に関する記事が出た。下校中の裕紀は足を止め、スマホに目を落とした。
《東京拘置所(東京都葛飾区小菅)は、世田谷一家殺害事件で死刑が確定していた三原和志(27歳)が死亡したと発表した。拘置所内で意識不明で発見され、病院に搬送されたが、午前10時34分に死亡が確認された。
関係者によると、パジャマのズボンを洗面台の蛇口に結び、座った状態で首を吊ったとみられている。》
ネットニュースに裕紀は目を疑った。
(自殺だって?……)
記事では同時に、真犯人と思われる容疑者が見つかったとも報じられていた。死刑が執行されてしまったため、法務省は三原が自ら命を絶ったことにしたのだろう。
少年はスマホ内の動画を見た。そこには絞首刑の映像が残っていた。
(これが外部に流出したら大変なことになる……)
とんでもないものを撮ってしまった。さっさと消せ、消したほうがいい……心の声に押され、裕紀の指が「削除」のボタンに伸びたときだった。
「あの……青海高校の生徒さんですか?」
道で背後から声をかけられ、あわててスマホをポケットにしまう。制服姿の美しい顔立ちの少女が立っていた。どこかで見た記憶があった。
(あのときの女のコか?……)
拘置所の外で市民団体に混ざっていた少女だ。「三原和志はえん罪です」と書かれた紙を掲げていたので、恐らく関係者なのだろう。年齢からいって、妹とか従姉妹だろうか。
「先日、東京拘置所で死刑執行を社会見学されましたよね?」
「はい……」
「三原和志のことで何かご存知ではないですか? みなさんが社会見学をされた日に拘置所内で亡くなっているんです」
裕紀は黙って少女の顔を見つめた。執行後に真犯人が見つかり、法務省が事実を隠蔽したことを彼女は知らない。
「本当は死刑が執行されたのではないですか?」
脳裏にえん罪を叫ぶ三原和志の声と、宙でブラブラと揺れる身体がよみがえる。
「すいません……守秘義務があるので何もお話できないんです」
かすれた声で言った。担任の須藤から、もしマスコミに取材されたらそう答えるように指導されていた。
「お願いです。本当のことを教えてください」
裕紀は反射的に制服のズボンのポケットに手を入れた。指先に固いスマホの感触が当たる。
「……なんで、僕のところに?」
社会見学に行った生徒は他にも大勢いる。なぜ自分なのか。
「バスで拘置所を出るとき、あなたと目が合ったので……」
裕紀は後悔するように奥歯を噛んだ。制服姿の少女は目立ったし、可愛らしい顔立ちだったのでつい見てしまった。
「お願いです。あなたしか頼れる人がいないんです」
汗ばんだ手でズボンの中のスマホを握りしめたときだった。背後から肩に手を置かれ、弾かれたように裕紀は振り返った。
担任教師の須藤が怖い顔で立っていた。
「南――ちょっと来い」
肘を掴まれ、強引に近くのビルの物陰に連れて行かれる。
「スマホを出せ」
「え?……」
「監視カメラにおまえが隠し撮りをしていた姿が映っていたそうだ」
裕紀はのろのろとポケットから手を出し、教師にスマホを渡した。
「データを消したらスマホは返してやる。コピーはとってないな?」
じろっと睨まれ、裕紀は黙ってうなずく。須藤が疲れたようにため息をつく。
「もう執行されたんだ。よけいなことを考えるな。来年は成人になるんだ。大人の生き方を学べ」
裕紀は顔をうつむかせる。屈辱なのか、怒りなのか自分でも説明のつかない感情で顔が熱くなる。
立ち去りかけた須藤が足を止た。
「おまえ、K大の推薦を欲しがってたな? あれ、なんとかなるかもしれないぞ」
裕紀は身体の脇で拳を握りしめる。口止めの交換条件というわけだ。押し黙る少年に須藤は苦笑いし、「明日、学校でな」と言ってその場を立ち去った。
裕紀は辺りを見回した。少女はいなくなっていた。教師が現われたので姿を消したのだろう。
裕紀は反対のズボンのポケットに手を入れ、中からスマホを取り出した。拘置所で使ったのと同じ手口だ。須藤に渡したのはダミーの古いスマホだった。
手の中の黒い筐体に少年は目を落とす。
(大人の生き方を学べ……か)
18歳で成人になると言われても正直ピンとこなかった。だが今は〝大人になる〟とはどういうことかわかった。
それはあったことから目を逸らし、都合のいい嘘をつき、大人たちが望む行動をする人間になるということだ。
脳裏にさきほどまで話していた制服姿の少女の顔が浮かぶ。
(可愛いコだったなぁ……名前を聞いときゃよかった)
裕紀はスマホをいじり、ネットの動画配信サイトを開いた。拘置所で撮影した動画をアップロードし、「三原和志の死刑執行動画」とタイトルを付ける。
画面をじっと見つめた後、「公開」のボタンを押した。
◇
(ここか……)
週末、私服姿の裕紀が雑居ビルのドアの前に立っていた。扉の横には『NPO 死刑廃止ネットワーク』と書かれた看板がかかっている。
ドアのノブを回し、失礼します、と言って室内に入る。十畳ほどのこじんまりしたオフィスだった。
デスクに座っている四十代ぐらいの女性に声をかける。
「あの……お電話を差し上げた南といいますが……」
「ああ、南くん?」
女性が笑顔で立ち上がり、応接スペースに案内された。グラスでお茶を出され、ソファテーブルで向かい合う。
「ありがとう。あなたの公開してくれた動画のおかげで、この国の死刑廃止運動に勢いがついたわ。あなたはヒーローよ」
「はあ……」
なんだかこそばゆい。担任の須藤に言いくるめられるのに反発し、半ば勢いで動画を公開してしまった。
反響はすさまじかった。動画は三百万回再生されたところで運営に削除されたが、コピー動画が世界中に拡散した。死刑の残酷さが映像で明らかにされ、日本の死刑制度は猛バッシングを浴びた。
「お役に立てて良かったです」
あれ以来、学校では〝腫れ物〟のように扱われている。K大の推薦はもらえないだろうが、もうどうでもよかった。
「どうして動画を公開しようと思ったの?」
「三原さんの妹さんに本当のことを教えてほしいと言われたので……」
真実を伝えられなかった申し訳なさがあった。今日ここに来たのは、彼女と再会できないかと思ったからだ(可愛いコだったというのも大きな理由だったが)。
女性が困惑した顔で首をかしげる。
「三原君に妹さんはいなかったと思うけど……」
「じゃあ従姉妹の方かもしれません。執行があった日、拘置所の前でみなさんと一緒に活動をされていませんでしたか? 学校の制服姿で……」
「学生さんかしら。でも平日の午前だったし、制服姿の若いコがいれば目立つし、覚えてると思うけど……」
三原和志は一人っ子だったし、彼の関係者で、このNPOの活動に加わっている人間はいないという。
(じゃあ、あのコは誰なんだ?……)
裕紀の視線がふと女性の背後に向いた。壁のボードに新聞記事のコピーが貼ってあった。
少年がソファから立ち上がり、ボードに近づく。モノクロの写真に、両親らしき夫婦と制服姿の少女がいっしょに映っていた。
「このコです!」
裕紀は記事のコピーを指さす。顔を見てすぐにわかった。あの少女だ。
だが、女性はますます困惑した顔になった。
「見間違えじゃないかしら?」
「いえ、間違いありません。このコです。拘置所の前で『三原和志はえん罪です』っていう紙を掲げて、僕に会いに来たコです」
「……それは無理ね」
「いえ、本当に――」
裕紀の言葉を遮るように女性が言った。
「だってその女の子は、世田谷一家殺害事件の被害者だから」
「え?……」
改めてボードの記事を見る。それは家族三人が惨殺された事件を報じる内容で、写真も在りし日の被害者の家族を紹介するものだった。
「似た人を見たんじゃないかしら?」
女性が苦笑しながら裕紀の顔を覗き込む。可愛いコだから、そういう気持ちになってもしかたないわね、という表情だ。
「いえ……すいません。僕の誤解でした」
その後の会話は頭に入らなかった。女性から死刑廃止運動への参加を熱心に求められ、考えておきます、と答えて裕紀は事務所を後にした。
(彼女は僕が映像を持っているのを知ってて会いに来たんだ……)
犯人に殺害された被害者だけが三原和志が犯人ではないと知っている。
死刑の執行は防げなかったが、せめて真実を伝えてほしいと頼みにきたのだ。もしかすると真犯人が見つかったのも彼女の力かもしれない。
裕紀は事務所で渡されたチラシに目を落とした。死刑廃止運動の内容が報じられていた。
大学に入ったら、もっと死刑のことを勉強してみよう。法学部に行き、裁判官や弁護士を目指すのもいいかもしれない。
(あーあ、可愛いコだったのになぁ……)
裕紀はチラシを折りたたみ、ズボンのポケットに入れると、陽光の下を歩き出した。
(完)