東の港町
船旅の二度目の夜は何事もなく明け、三日目の朝に私たちは、朝日の昇る東の港町に到着したのでした。
体感的には数週間くらい、銀砂の海を彷徨さまよっていたような気もします。何だかまだ、硬い地面の上に足を置いていることのほうに、逆の違和感を覚えます。
海鳥たちがみゃあみゃあと群れる、波止場の隅すみにある小さな食堂で、私は少し寝ぼけた心持ちのまま、仲間たちと簡単な朝食を摂りました。
魚の摘入汁、黒パン、熱い薬草茶。簡単なものですが、船の上では食べられなかった温かい食事は、身と心とに沁みいります。
「ねぇ、確認したいんだけどさ」食後ひといき付いたところで、クロムさんが皆に話し掛けました。「東の森でその名を呼べば、異邦人の女はいつでも姿を見せる……んだったわよね?」
「オッペの話やと、そういうことやったね。」少しの躊躇いのあと、ランクさんは私に話を促しました。
「はい、『彼女』の真名、前世の私の名前そのままを、私から呼びかけてみる積もりです。」と私。
フオコさんが空になった皿を脇に避けつつ、用意していたらしい巻物状の地図を、テーブルの上に広げてくれました。
「千六百年まえの、かつての東の森が、いまは大きく広がって大森林になっているんですよね。ほらここ、この町外れからすぐのところで、街道が大森林の中に入るんです。」
「……ということはさ」地図を指差しながら、クロムさんが続けます。
「この港町の町外れ、すぐそこにある森の入り口から、東の森はもう始まってるんだよね、ある意味では? じゃあさ、ちょっと今から行ってみない? そこから呼びかけても、『彼女』には聞こえるんじゃないかな、ちゃんと。」
私は、頭を急に強く揺さぶられたような気持ちになりました。
この旅の、この探究のゴールは、もうすぐ目の前にあるのかも、しれないのです。
* * *
僕は皆を先導して、町外れまで歩きました。地図の通り、街道はすぐに森の中へと続いていました。
森に入ると梢は高く、街道の両側から空をすっぽりと覆っています。余す所なく陽の光を集めようと、木々はその腕をめいいっぱいに伸ばしているのです。
馬車がすれ違えるくらいに広い街道ですが、それでも木々の梢に囲われて、ここが森の中だという実感があります。
梢から目線を下ろして、私は冒険団員たちを振り返りました。澄ました風情のエルフの魔剣士、何気なくだけど油断なく戦斧に手を添えている赤毛のドワーフ娘、生真面目に私を見つめる只人魔導士の少女。
……その少女は見た目通りの歳ではなく、彼女の言う「前世」を足すと、僕よりも年上になるくらいだそうです。
そう、この黒髪の只人魔導士は普通じゃない。世界を横断する貴種、創世の秘密の生きた証拠。
ここからは、何が起きるか分かりません。時間の止まった銀砂の海さえも突然に現れたのです。異邦人の真名を呼びかけたその瞬間に、ネイさんが忽然とその姿を消したとしても、そしてそれが永遠の別れとなったとしても、まったく不思議じゃありません。
あぁ。覚悟なんか、とうていしようもありません。
そもそも僕ら冒険者は明日をも知れぬ身、出会いと別れとを常にして過ごすことを選んだ種族です。それでも僕がネイさんと出会えたのは素敵な幸運で、きっとこの先にも起こり得ない貴重な出来事で、あぁもっとお話ししておきたかったなぁ。
まとまらない気持ちのまま僕は、彼女が数歩踏み出して、この森の主に呼びかけるのを、ただただ見ていました。
「■■ ■■、聞こえますか? わたしがあなたに、会いに来ました。」
* * *
「黒沢明海、聞こえますか? ネイが明海に、会いに来ました。」
森は、ただ静かに何事もなく、私の声を吸い込んで仕舞いました。
ゆっくり辺りを見回しましたが、特に変わった様子もありません。
綺麗な声で鳴く鳥が、梢の何処かで姿も見せずに暫くのあいだ囀ったあと、小さな羽音を響かせて飛び去ってゆきました、ただそれだけでした。
「……何も起きない、みたいですね。」ほっと胸を撫で下ろしながら、私は仲間たちを振り返りました。
「まぁ、そう簡単には行かないってことかねぇ」とクロムさん。
「せやね、なにせ千と六百年の昔やもの、せめて近くに居てないと、聞こえへんのかもねぇ。」ランクさんも、なんだか皆を慰めるみたいに、優しい声で言いました。
「じゃあいったん、町に戻りましょうか。定石通り、冒険者協会で情報を仕入れましょう。」なんだか安堵したような顔付きで、フオコさんが私を見たあと、町へと戻る道のりを先導しはじめました。
* * *
冒険者協会の受付には、先客がいました。
「よぉ、あんたらか、しばらくぶりだねぇ。」
にっかり笑ってこちらに手を振るのは、白髪に白髭、白銀の板金鎧に使い込まれた白い陣羽織、辺境でも見覚えのある老年の騎士です。
気さくなお爺さまですが、聞けば何処かの領主を務め終え、引退後に冒険者になった変わり者なのだとか。ええと確か、お名前は……。
「そうか、ザイク卿、ご出身がこの辺りなんでしたっけ?」とフオコさん。
「おお、まぁ広い意味じゃあ、このへんだな。知り合いの息子が今ここの領主やっててな、相談したいってんで行ってみたら、探求依頼ひとつ預かっちまってよ……そうだな、あんたら、いま暇だったりしねぇかな?」
ひらひらと、受付のカウンターから取り上げたクエストの案内状を降ってみせます。
「東の森、大森林の探索。同行者を募集してんだがね。」
私たちは顔を見合わせました。
「詳しく、話を聞いてもいいですか?」代表して私が、ザイクさんにそう声を掛けました。




