銀砂の海(2)
のそのそと船倉から、一眠りしたドワーフ娘が甲板に登ってきたのが、その特徴的な重い足音で分かりました。
「どうお、調子は?」
甲板の上に仰向けに寝転がった私たちを、寝ぼけた瞳で見下ろす彼女は、なんだか冬眠から覚めた熊みたいに見えました。
「……まぁ、かんばしくはないみたいね」クロムさんが、わたしたちの様子を見回して言いました。
ランクさんもフオコさんも私も、甲板に横たわって空を、雲一つ無い夜空と動かない月とを、眺めていました。
三人ともお手上げでした。
* * *
私はランクさんの心の奥にまで『心理探査』で潜り込み、エルフの大図書館めいた深層心理下の記憶を探ってみましたが、今のシチュエーションに合致するような類話を見つけることはできませんでした。
フオコさんの聞かせてくれた、黄金の砂漠に出会った船乗りの昔話は、ランクさんの本棚にもありました。が、これはどちらかというと正直者の長者譚、単なる迷い家譚の亜種として処置できる御伽話に過ぎないようでした。
フオコさんは船じゅうを調べて回り、さらには砂場に降りて船の外郭ぜんたいも確認してくれましたが、何を見つけることもできませんでした。
乗組員たちは誰ひとり、痕跡すらありません。
水と食糧はそのまま残っていたので、当面は飢えや渇きに悩むことはなさそうです。……とはいえ、なぜか私たちは誰も、お腹も空かないし喉も渇きません。時が止まっている効能なのでしょうか。
ランクさんは背嚢の底から魔導書や絵札や小振りの水晶球なんかを引っ張り出してきて、『未来予知』系統の魔法を何度か試みていました。
が、慣れていない魔法のせいか、あるいは、そもそも今のこの状況を打開するには単発の魔法でどうにかなるレベルじゃないということなのか、目立った成果は得られなかったようです。
* * *
「うちわかったわ、ひとつだけは違いない、クロムちゃん」とランクさん。寝そべったまま水晶球を片手の中で玩んでいます。
「なにさ」
「このまんまやと、うちら、ここから動かれへん。そう、見えたわよ、うちの占いに。」ぴっ、と、水晶球を人差指と中指の間に摘んで、空へと翳します。
「……うーん、そうね、それくらいはあたしにでも何となく分かるわ。エルフのえせ占い師に言われなくったって、ね。で、どうすりゃいいってんだい?」
「いやぁ、んー、それはうちにも分かれへんねんなー、これがまた……。なんかこう、何ていうんかな、なんか有んのは見えてんねんけど、解釈すんのが難しゅうて」
いや困った困った、と嘯くランクさん、その実なんとなく楽しそうにも見えます。
フオコさんは、少し疲れた様子です。いちばん身体を動かしていたからかもしれません。
「みなさんで一斉に寝て、それで一斉に起きてみて、起きたときには全部が元通り、ってことには……ならないですかねぇ」と、気弱に呟きました。
「期待薄だわね。……船を降りて、まっすぐどこかに向かって歩いてみる、ってのは、どう?」クロムさんは、私の隣にどっかと腰を下ろしました。
「最後の手段やと思うわ、それは。道に迷うかもしれんし、何か未知の魔物と出くわすかもしれへんし、それとも、きゅうに元通りの塩水の海に戻ってしもて、溺れてしもたりしてしまうかも」ランクさんが身を起こして、そう言いました。「まぁ、心配してたら何にも進まへんけども」
「そもそも僕たち、なんでこんな事になってるんでしょうね?」フオコさんも、ぴょこんと半身を立てて、眠そうに目をこすりながら言いました。
「……秘密。」
クロムさんが、その素敵な低い甘い声で、ぽつり、と呟きました。
「へっ? なんやの、いきなり。何が秘密なん?」
「真銀の石言葉だよ。あたしらドワーフの間ではね。紫石英は誠実、紅玉は情熱、金剛石は不屈、ミスリルは秘密。」ゆっくりと歌うように、クロムさんが言いました。「そうね、この石言葉そのものも、ドワーフの間だけの秘密とも言えるかもね。」
その言葉を、まるで待っていたかのように。
風が、今の今までそよとも吹かなかった風が、だしぬけに強く、烈しく、びゅうびゅうと吹くと、張ったままの帆を撓ませ、船をぐらぐらと揺すり、そしてまた、出し抜けに止みました。
私たちは顔を見合わせました。
「そうか、それやったら、うちの占いにも合うわ。『秘密』か。……うん、なんかしらの秘密、隠しごと、知らせていない大事なこと、そういうもんが残ったまんまやと、この砂の海はうちらを閉じ込めて、どこにも行かしてくれへん。そういう、ことか……。」
ランクさんはそう宣言すると、いちど目を伏せて、(彼にしては珍しくも)黙ったまま遠慮がちに、私に視線を向けました。
エルフの、次いでハーフリングの、そしてそれに気付いたドワーフの、三人の視線が、私に集まります。
……そうですね。いまが語るときなのかも、しれませんね。
私は覚悟を決めて、大きく深呼吸をしてから、口を開きました。




