銀砂の海(1)
「ネイ。」
耳元で囁くクロムさんの緊張した声に、私は目を覚ましました。
フオコさんと船をひとしきり見て回って、日暮れ前にランクさんを交えて簡素な食事を済ませて、出港したそばからずうっと眠っていたクロムさんの隣の寝台に横になって、ゆったり揺れる船の動きを揺り籠のように感じながら眠りについて……それから、ええと、あれ?
強烈な違和感。寝起きのとぼけた私の頭が、その違和感を言語化するのに、たっぷり二呼吸ほどの時間が要りました。
船の揺れが、ぴったりと止まっています。
「え、もう着いたんです?」
私はそう言いながら、そんなはずはないと気付きました。港に泊まっていたときでさえ、ゆらゆらと船は揺れていたのです。こんなに根が生えたように、がっつりと動きが止まるはずがありません。
クロムさんは頭を振って、なにか言葉を探してから、すぐに諦めたようでした。
「なんだか分かんないんだけど……、まぁ、見てみてよ、ネイも」
そう言って、彼女は甲板に続く通路へと私を誘いました。
甲板の上には、白い骨のような細い月が出ています。月の光に照らされて、海まですっかり白く染まって……いえ、なにか様子が違いますね。
見渡す限りの白い波は、まるで凍りついたように動きません。気付けば、近くにあるはずの陸地が見えません。
ぞっとした私は、とっさに詠唱付きで『生物探知』を発動させましたが、私たち冒険団メンバーしか探知できません。船の乗組員も誰もいません。海の生き物も、魚や虫の一匹さえ、見つかりません。
音もなく、風もなく、しんとした月夜に、いったい私たちは何処にいるのでしょう?
「こっちこっち〜」ランクさんの呼ぶ声が、甲板の端のほうから聞こえます。
縁からロープを下ろしている様子でした。ランクさんの隣で縁から見おろすと、二階か三階くらいの高低差の下、垂れさがったロープから離れて、白い海の上にフオコさんが立っています。彼はぐるっと辺りを見渡し、こちらを見上げて笑って手を振ってから、半人らしい身軽さでロープをすいすい登って戻ってきました。
「すごくきれいですよ、これ」フオコさんは小さな布袋を手のひらの中で開いて、銀色のさらさらした砂を皆に見せました。
クロムさんの目の色が変わりました。「それ……真銀だわ」
「……うわ、ほなうちら、見渡す限り一面のミスリル砂漠のど真ん中なんや」
「ひゃあ、宝の山じゃないですか!」フオコさんが歓喜の声をあげます。
「まぁ、持ち帰るとこまで含めてのお宝やからねぇ」ランクさんが応じて、甲板の上に立てた何かを指差しました。エルフ造りの短剣が甲板の木材に突き立てられ、月光がその影を床に延ばしています。
「さっきからずっと、その短剣の影が動けへんねん。縫い付けたみたいに、ぴったり変わらへん。てことは、あのお月さん全然うごいてないわ。……んー、もしかしたら、時間そのものが動いてないんかも。」
* * *
私たちはランクさんの短剣を囲むように座りました。作戦会議です。
いつの間にか船には私たち四人だけ、ミスリルの砂漠の真ん中で海も陸地も見えない、私の『生物探知』もランクさんの『不可思議な瞳』も効果範囲めいっぱい探索して何の発見も無し、月は動いていない、体感時間で1時間ほど過ぎたけれど辺りには何の変化もない。
「少なくとも」とランクさん。「魔法の発動は出来てるんやから、ここは全く未知の世界ではない、とだけは言えるわ」
「で? 戻るなり進むなり、どうにかするには、どうすりゃいいんだい? なにかの魔法で、どうにか出来るの?」
「いやぁ、わからんねぇ……。なんかこんなん昔話にでも聞いたことあったかしらん、思い出せるかどうか暫く考えてみるけど、期待はせんといて」
ランクさんも珍しく自信なさげです。
「ぼく聞いたことありますよ、西の港町の吟遊詩人の歌で」とフオコさんが、歌うように話し始めます。
「若い船乗りが航海中、夜中に目覚めたら独りきり。あたりは遥かな金の砂漠、こっそりひと掬い持ち帰る。……それで帰ったあと、彼はお金持ちになるんです。」
「ふぅん、じゃあ、その船乗りさんはどうやって帰れたんですか?」と私。
「寝て、目が覚めたら、元通りだったんです。確か、多分そんな話だったですね。」
私は首を傾げました。うーん、根拠はないですけど、なんだかそんな簡単な話じゃない気はします。
「じゃあまずそれ、試してみよっか」クロムさんが立ち上がりました。「あたしは役に立たなさそうだし、ちょっともう一眠りしてくるわ。あたしの斧が必要そうになったら、起こしてちょうだい。」
「僕は、船の中をひととおり調べてみます。何を探すあてもないですけど……。」続けてフオコさんも、あまり晴れない顔のまま立ち上がりました。
「私、ランクさんの思い出すのをお手伝いしてもよいですか?『心理探査』使ってみます」
「あ、うん、ええよー、お願い」
そんなわけで、私たちの当て所ない探索が(あるいは、ドワーフ娘の二度寝が)始まったのでした。




