ハーフリング(1)
残り一本の魔力湧泉の水薬を飲み干し、魔力が身の内にすいすいと湧き出てくるのを感じました。
よし、準備完了です。これで間に合うかは、やってみないと分かりませんが、できるだけのことはしました。
私は、弱々しく蠢くイカ的な魔物の触腕を右手に掴み、意識を失って横たわる半人の胸の上に左手を当てて、両者のあいだにゆったりと座りました。ふふ、もしも他人に見られたら、これはきっと相当シュールな光景でしょうね。
私はもいちど深呼吸してから、『心理探査』の詠唱を二回くり返し、左右それぞれに魔法を発動させました。
左手側に広がるのは、先ほど見たフオコさんの心象風景です。柔らかい草の生えた緑の丘の連なるその奥、ハーフリングの村が……あるはずの場所が、すっぽりと虚無に喰われています。
右手側には、新たに捉えたイカやろうの心象風景。無機質で寒々しい、モノクロームの地下室めいた広い部屋です。
うむむむ、水薬のおかげで魔力はなんとかなりそうですが、私一人で二つの心に同時に同調するのは結構きついですね。自分が二人いるような、変な気持ちになってきました。
このままだと、また自分自身を『心理探査』して暴走しかねません。私は便宜的に、左手に見えるハーフリングの丘と、右手に見えるイカやろうの地下室と、その間に立つ私と、というイメージで、自分の魔法視野を整えました。
私は、左手側にある緑の草をひとつまみ取り、これと同じものが右手側の部屋のどこかにないか探りました。
右手側のさらに奥の部屋から、反応があるようです。私がそちらに意識を向けると、右手側の視野は転じて奥の部屋へと移ります。そこには、手術台のようなものに載せられた、よくできたミニチュアのように見えるハーフリングの村がありました。
何か機械的な管状のものが、あるものは床から這い上がり、他方では天井から垂れ下がり、台上の「村」にぶすぶすと突き刺さっています。
相手の心を剥ぎ取って、台の上に載せ、じっくりと味わう。……ある意味では、心理学にとって理想の姿なのかもしれませんが、私にとってはそれは、吐き気がするような悪徳です。
こころは、いきものなのです。生きて動いている心身ぜんたいのなかにあって、はじめて意味を持つものです。こんなグロテスクなやりかたで心を手に入れようだなんて、生とし生けるものへの冒涜です。許されません。私が許しません。
奪い返すのです、ネイ!
イメージするのは、水路です。イカやろうの手術台にあるハーフリングの村を、私という水路を介して、フオコさんの心の虚無に流し込むのです。
イカやろうは強烈な『心理探査』を使ってきました。試したことはありませんが、あの強度で発動させれば、心を抜き取って奪うような効果を発揮するのでしょう。
まずは、イカやろうに掛けた『心理探査』から読み取ったものが、直に『以心伝心』に繋がってフオコさんの心の虚無へと流れ込むように、自分のなかで魔法の流れを組み替えます。
続いて、イカやろうに掛けている『心理探査』の強度を、ぐぐっと上げてみました。
最初のうちは、強度を上げても表面的な情報ばかりが少々多めに流れ込む程度で、フオコさんの虚無を埋めるにはとうてい足りませんでした。
魔法の強度を更にぐいぐいと上げていくと、予想通り、ある一点を越えたところで流れが流れを呼ぶようになり、情報量が爆発的に増大しはじめました!
ハーフリングの村がイカやろうから溢れ出し、私を目掛けて洪水のようになだれ落ちて、私を介してフオコさんの心の虚無に、どっかんどっかん流れこみます。んうぅっ、いけない! これは激しすぎます、予想以上の負荷です、私の意識のほうが保ちませんっ!
私は迷わず覚悟を決めて、私の意識の手綱を離し、水路になった自分という心象風景に、意識を集中させました。
* * *
……気付くと、私はハーフリングの村のなかに居ました。より正確に言うなら、私はハーフリングの村の水路でした。
村をぐるりと巡る用水路の水面には、村の様子が幻灯のように映り込んでいます。……
……ファブリナは覚束ない幼子の歩みでカヴォロのもとへと急ぎ、リヴァと老ファブリナは微笑みながらそれを眺めやり、老ファブリナはかつて幼子だったカヴォロが同じようにリヴァにあやされていたのを思い出して、それをどうリヴァに伝えればよいものかと言葉を探しています。……
……フィウミとイドリコはしょっちゅう喧嘩しているがあれは愛情の裏返しなのだと、フォンターナには思えます、いやどうなんだろう?と思う日もあるけれど、なんだかんだで二人はたいてい一緒にいるのですから。ラーゴはそんなことは露とも思い至らずに、ただただ二人の仲違いをいさめようと、ことあるごとに心を砕いて努めています。……
……カムポのところの瓜が今年はひどいくらいの豊作で、イドリコもカヴォロも収穫の手伝いに駆り出されました。夏あれほど騒がしかった瓜畑も、秋の終わり頃には静かになります。この味がないと締まらないんだ云々と、瓜の漬物を白パンに挟んで頬張りながらイドリコはカムポに語り、畑の主であるところのカムポは全く満足そうに、それを聞いて笑っています。……
……用水路のへりに腰かけて、流れる水をぼんやりと眺めているのは、小さい頃の僕です。
この水はずっと遠くの海にまで流れ込んでいるのだといいます。このころの僕は、まだ海を見たことがありません。冒険者になれば、海だとか魔物だとか地下迷宮だとか、見たことのないものを沢山、見ることになるのでしょうか。小さなフオコは、そんなことをぼおっと考えながら、流れる水をただただ見つめていました。
そう、僕はいつ頃からか、将来は冒険者になるのだと心に固く決めていました。その理由は、さて、どうしてだったでしょうかねぇ。居心地の良いこの村で生涯を過ごすこともできたはずなのに、まるで吹く風や、飛ぶ鳥や、流れる水にでもなったかのように、僕の気持ちは訳もなく、村の外へと向かっていました。
変わり者の血筋のせいだと、いつだかリヴァ伯母さん、僕に言ったっけ。僕のひいおじいちゃんも変わり者で、若い頃は冒険者として世界じゅうを駆けまわっていたのだとか。
(フオコさんの心の中に私が取り込まれているのか、私がフオコさんの心象風景を俯瞰しているのか、だんだん分からなくなってきましたが、それでもこの風景は涼しく心地よく感じられ、もうすこしこのまま見守っていようと、思ったのでした。)




